como siempre 遊人庵的日常

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「翔ぶが如く」を見る!(8)

2009-08-31 20:19:05 | 往年の名作を見る夕べ
 このあたり、条約勅許、尊皇攘夷、公武合体…などの幕末史のキーワードがいちどに噴出してくる時期で、幕末史のなかでは大きなターニングポイントになるのですが、どうしても難解になりがちで、それが幕末史劇が敬遠される理由のひとつかもしれません。そういうのをできるだけ端折って、男子のドラマティックや女子のロマンティックだけ堪能するのも幕末劇の楽しみ方ではありましょうが、このドラマでは、びっくりするくらい丁寧に史実をフォローして、端折っていません。それで、男のロマンのほうも犠牲にしていないあたり、やはり、歴史というのはきちんとやればドラマはついてくるものだと思います。
 そういうことを、女性の脚本化がやってのけるというのがまず凄いですね。15話では、3人の南国の女が登場するのですが、この女達、そろいもそろって「男前」な女子なんですよね。女も男も、男前。いいドラマだなあ。このごろは草食系が主流になって、暑苦しいドラマが少ないので、よけい郷愁を感じます。
 ということで、幕末史の重大ポイントのひとつ「桜田門外の変」を取り扱う、第14話と15話です。

第1-14「桜田門外の変」

 正助(鹿賀丈史)がもぎ取ってきた島津久光(高橋英樹)の諭告書により、誠忠組の兵児たちは、一藩あげて挙兵上京の機が熟するまで待機することになりました。が、それでは、水戸主導のクーデターと連動して動いていた江戸薩摩藩邸の工作員たちが、二階に上がってハシゴを外されたことになるわけです。
 有村俊斎(佐野史郎)の二人の弟、有村雄助(山口健次)と次左衛門(剣 介)兄弟は、クーデター実行犯のメンバーとして、もう日取りまで決めて待っています。その計画というのは、大老井伊直弼(神山繁)を殺害し、幕府の主要な政庁で同時多発テロを行う。そこに、薩摩藩三千の軍勢の挙兵が連動する…という壮大なもの。薩摩は動かないと決めて納得したものの、計画の詳細を聞かされると、有馬新七(内藤剛志)など武断派は、「脱藩突出しかなか!」となってしまうわけです。
 この熱い気持ちを、正助は、久光の側近に伝えて、挙兵上京という壮挙への起爆剤にしようと考えます。ですが、久光は「じゃっどん、未だ変事は起きておらん。出兵の大義は立たん!」と冷静なもの。マイペースというよりも、風評が一人歩きするなかで正助が誠忠組をどうまとめるか、試しているようでもあります。
 ここで、19歳になった西郷信吾(緒形直人)と、その幼馴染の岩山いと(田中裕子)が登場します。薩摩のティーンエイジャーは兄貴たちに輪をかけて過激で、女の子のいとも男装をして、誠忠組に入りたくてたまらずにいるのです。
 薩摩の若者たちは、テロ決行の予定日が近づくと、「もう久光様など当てにならん、脱藩じゃ!!」という声が優勢になります。脱藩してテロに加わってもろくなことはできないと説得につとめる正助でしたが、若い信吾が「禁裏守護の一番乗りは西郷吉之助弟・信吾が果たしもす!」としゃしゃり出ると、ついにキレます。
 もはや止めもはん、じゃっどんオイを斬ってから行きやい!と、…時代劇定番のセリフなんですけど、このドラマの凄いのは、「よか、オイが斬る」とマジで斬りそうな男が名乗りをあげるところ(!)。で、正助の返しがまた良いの。
「口出しは無用!斬るも武士道、斬られるも武士道。じゃっどんオイは、君命は命より重く、たとえどげんこつなっても組の首領の言葉には背くなち、薩摩隼人の魂を叩き込まれた兵児でごわす! 信吾、オイが斬られたらおはんも腹を切れ。機が整うまではあくまでも待てち、吉之助サアの言葉に、実の弟が背いてすむこつではなかど!!」
 当時の武士道の絶対原則(主君に背く=天下国家に対する叛逆ということ)を盾に取った正助の捨て身の気迫で、おいどん達の集団脱藩は中止になりました。が、中止にできないのは転がり始めたテロ計画のほうで、安政7年3月3日、雪の桜田門外。薩摩の有村兄弟は、雄助を伝令にし、次左衛門が事変に参加ということになります。果たして、雪のなかで井伊の首級を掲げたは有村家の末弟でした。…この桜田門外の変の場面はすごく美しい。雪の中での乱闘の俯瞰が、まるで絵画のようです。
 薩摩藩士が井伊の首級を上げたことに、久光は臆面もないくらい大喜びします。いよいよ薩摩が時代を変える!とか言って、この騒ぎに便乗して、いよいよ挙兵じゃ!…という気に一瞬なるんですが、そうはいかなかったんですね。というのは、桜田門外の変は、便乗してなにかできるほどの騒ぎにならなかったんです。藩主を討ち取られた彦根が、挙兵して水戸藩邸を取り囲む、みたいな、予想された過激な武力行使にでなかったので、大老の死はそのまま有耶無耶に霧散。事件に関わったものの処分だけが苛烈に行われて、死んだ次左衛門のかわりに、雄助が切腹を命じられます。
 この処分に、薩摩兵児たちは憤り、失望し、藩に半ば見切りをつけて、さらに「集団脱藩」の声が高まるのですが、当の雄助が「オイの死が挙兵の魁になるなら本望でごわす」と言って堂々と切腹していったので、どうにもなりません。
「こんままでは薩摩は日本国の裏切り者になりもす!」という雄助の遺言を胸に刻み、おいどん達を代表して、正助が久光に拝謁を許されます。「今まさに変事出来、われら君命のもとに命を捨てる覚悟でおりますれば、お指図を…」と願う正助に、久光は冷たく「下が上を侵しては世はさかさまじゃ」と。薩摩77万石の藩主の実父が、空騒ぎする浪人どもの尻馬にのって動けるか!!
…と一喝された正助。ですが、彼は間もなく小納戸役に抜擢されて、城中に上がります。ますます誠忠組の同志とのシコリは大きくなってしまうのですが…。
 一方、吉之助のほうは、島の現地妻の愛加那(石田えり)が妊娠し、それなりに安定した遠島ライフを送りながら、本土からの便りに焦燥を覚えておりました。…

第1-15「南国の女」

 奄美大島の吉之助(西田敏行)と愛加那(石田えり)の間には男の子が生まれます。名前は菊次郎。美人の現地妻と子供と、なんとなく島に根を下ろしたような緩い生活を送る吉之助でした。
 薩摩の情勢のほうは、桜田門外の変をめぐる脱藩突出騒ぎが収まったあとも、なんとなく、誠忠組の中に走った亀裂は消えません。純粋一途な有馬新七(内藤剛志)が過激派のカリスマリーダーになっているのですが、過激派の目からみると、久光(高橋英樹)に取り入って城中役付きに出世した正助は、変節漢で裏切り者だったりするわけです。西郷家の信吾(緒形直人)と弟の小兵衛(金山一彦)、いとこの大山弥助(坂上忍)は、大久保家の前を「大久保どんが気張っとは出世と子作りだけじゃ」とか嫌がらせを言って通ったりしているわけですが、そういう男子を引っ張って歩いているのが、女の子の岩山いと(田中裕子)です。
 一方で正助は、藩主お側役になった小松帯刀(大橋吾郎)と信頼の絆で結ばれ、これから力をあわせていこう!といろいろビジョンも持っているのですが、若い連中が足を引っ張る。ある日、西郷家の吉二郎(村田雄浩)が顔色を変えて相談に来て言うには、弟達が、長崎行きの船に乗って異人を斬りに行くといっている、と。江戸で流行り始めた攘夷テロにいち早く染まったんですね。しょうもないガキどもです。正助は吉二郎とふたりで西郷家にかけつけると、信吾、小兵衛、弥助の三人が、イノシシ撃ちに行くと家にウソついて銃器を持ち出し、出かけようとしているところでした。で、その男子たちを手引きしているのが、いと女だったりするわけです。特にこの娘は有馬新七の影響を受けていて、バカなことは許さんと止める正助を、いとがクソ生意気「誠忠組の心は尊皇攘夷、藩主に擦り寄って出世することではなか!」とか主張したりする。
 じゃっどん女子にはついちょるものがついちょらんど、と、西郷家の婆様(大路三千緒)に身も蓋もないことを指摘されたいとは、ブチ切れて、ヤケになって自分の着物をむしり取り(!)あんたたちも女から生まれたんだ、女には男にはない、男を育てたこのオッパイがあるっっ!!とご開帳しようとして、正助に体を張って止められます。このいと女がサブタイの「南国の女」の一人目なんですが…うーん、田中裕子さん・当時35歳のの「男勝りのオテンバ少女」の芝居って、ちょっとキビシイもんがある(笑)。後に吉之助の妻になってからが、凄くいいのはわかってるんですが。
…って、同じことを篤姫の富司純子さんについても言いましたが、その篤姫は天璋院と改名し、大奥でヒッソリと暮らす日々です。そんな天璋院のところに、「公武合体」という噂が持ち込まれるんですね。井伊の死で、幕府の威信はズダボロで、少しでも取り繕うために朝廷の後光を拝借するしかない。「情けない」と嘲う幾島(樹木希林)に、天璋院は、公武合体の人身御供として嫁いでくる皇女・和宮が、「おいたわしさの限りではないか…」と本気で涙ぐみます。天璋院を日本一の鬼姑に育てるのが生きがいの幾島には拍子抜けのセリフですが、「わらわは武家の出、殿様のご命令をまっとうする覚悟はできていました。じゃが、なにも心得がなく嫁いでくる宮様のご苦労を思うと…」と心配する天璋院。女のバトルのお楽しみはまだちょっと先ですね。これが、南国の女の二人目です。
 この、和宮降嫁・公武合体という気運に刺激された久光は、よし!兵を率いて上京するぞ!そしてそのあと江戸にいって雄弁に献策するのだ!!といきなり目くるめく絵を描きます。今を逸したらデビューの機会がなくなってしまう!というのですが、これを家老が半泣きで止め、「はっきりいって、政界に人脈もなく、無名の貴方では兄上のようにはいかない、何もできませんよ」とまっとうな説得を試みるのですが、久光は、かえって逆ギレ。門閥家老たちを勢いでリストラしてしまいます。
 こんなわけで、はからずも旧世代の藩重役が一掃された鹿児島城内では、小松帯刀などフレッシュな顔ぶれが登用されます。で、とうとう正助も、久光に意見を具申できるお目見得以上に取り立てられるんですね。そこで、正助は一蔵と改名をします。
 正助あらため一蔵が最初に久光に印象付けたのは、挙兵上京するにあたって、藩主が参勤で江戸にいてはまずく、なんとか出府を伸ばさなくてはならない、そのためには万やむをえぬ事情が必要で、それには…と、なんと、江戸の薩摩藩邸に狂言放火という、大胆なことを提案するわけです。火消の辰五郎(三木のり平)もびっくりです。久光も、「顔に似合わず大胆なことを考えるやつ」とご満悦で、一蔵はお気に入りの座をゲットです。
 そして、やっと久光にこう言える日がくるんですね。「いまこそ、大義のために出兵にあたり、西郷吉之助を呼び戻してください」と。斉彬時代に京都政界に通じた吉之助は顔も広く、京都での工作活動に必要な人材。さらに若者達の信望もあつく、これを纏め上げるのも西郷でなくてはできません。こういわれると久光は、なんだか気に入らないのですが、とりあえず「呼び戻すがよか」と許可します。
 で、島の吉之助。ある日、愛加那が男の髪の毛を隠し持っているのを見てしまい、「別れた男がいたのか」と想像を逞しくするのですが、愛加那は、これはあんたの髪で、菊次郎が大きくなって父さんはどこにいると聞かれたらこれを見せるつもりだった、という意味のことをディープな奄美言葉で言います。あたしは旦那さんが大和んちゅだから泣く泣く人身御供に上がるような、誇りのないおなごじゃない、いずれ薩摩に戻る旦那さんに、島の嫁はお供できない掟も承知で所帯を持ちました。そんなあたしに男がいるだなんて、好かん好かん!…と、この愛加那が、南国の女の真打です。
 愛加那の健気さにメロメロになった吉之助は、家を建てようふたりの家を、この島に!と宣言し、実際家は建てるのですが、そんなころ、薩摩から吉之助呼び戻しの藩命が船に乗り、島に向かっていたのでした。…

(つづきます)


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