como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「太平記」を見る。その20

2012-09-30 15:33:26 | 往年の名作を見る夕べ
第39話「顕家散る」

 はい、この回は、北畠顕家(後藤久美子)が討死する回なんですけど、ここまでの顕家の扱いがそんなに目立たない…というか、中の人が女の子という意外性に引っ張られた「出オチ感」がずっとあったので、突然のタイトルロールに、やや唐突感を感じる回ではあります。
 といっても顕家が出ずっぱりの主役回でもなくて、「父と息子」という隠しテーマでまとめたこの回は、もう一人の主役がちゃんといます。

 そこまでの経緯は、アバンでざくっと説明されるだけなんですが、奥州で挙兵した顕家は、破竹の勢いで関東を蹴散らし、京に進軍をはじめます。この勢いに、京都の幕府では、鎌倉にいる千寿王改め義詮の身を案じ、援軍を送るべしというのだけど、もう足利家の内々の話ではなく、幕府の評定というオフィシャルなものになってますので、簡単に棟梁が決済することはできません。多数決で決めます。多数決の結果、鎌倉への援軍を見送り、京に兵力を温存して、顕家軍を待ち受けることに決まります。
 そんなとこに、母・清子(藤村志保)が尊氏(真田広之)訪ねて来るのですね。なんの用かといったら、清子さんのいるお寺に、ひとりの稚児が訪ねてきたと。その子は、「わたくしがそなたに守りとしてあたえ、そなたは幼子にそれを与えた」、いわくつきの地蔵菩薩像をもっていた。
 そうです、不知哉丸だったんですね。鎌倉が戦に巻き込まれ、住んでいる寺を焼け出されて、坊さんたちと都に逃げ込んできた不知哉丸は、どさくさまぎれに出奔し、尊氏を訪ねてきたといいます。そして、「武士になりたいと申しておる…」と。

 清子さんのはからいで、不知哉丸と尊氏がご対面する日が来ます。成人した不知哉丸は、筒井道隆さん。当時20才。わっかーい(当たり前だけど)!かわいい!
 あのお地蔵様をみせ、「おん殿のくださったこのお守りを今日まで肌身離さず、かたときも御恩を忘れたことはございませぬ」と深く頭を下げる不知哉丸。そっか…不知哉丸は、まだ尊氏のことをお父さんと知らない、ということになってるのでした、この時点では。
「おん殿のお力をもって武士に取り立てていただけぬかと思い、非を顧みずまかりこしました」と、やっぱりなことをいう不知哉丸。寺にいたけど性にあわない、仏にいのっても世の中はよくならないし、寺を焼け出されて世をはかなむばかり。その無力さに嫌気がさし、そんなことなら武士になって、自分の力を持ち、その力で世の中を変えたい…と、無邪気に夢を語る不知哉丸に、尊氏はキッパリ「それはならぬ」と。
 そなたの亡き母御前は、そなたには平和に生きて欲しいと願いを託された。わしは武家の棟梁の家に生まれたので、好むと好まざるとにかかわらず戦をし、世の毒も食ろうていかねばならぬが、そなたは違う、と。
「違いませぬ。不知哉丸の血にも、武家の棟梁の血が流れておりまする。おん殿は、父上ではござりませぬか」
 これを聞いてがく然とする尊氏。血の呼び声でわかってしまった…というか、いままでの出会いの経緯やあれこれで、悟ってしまったのですね。
 ですが尊氏は、「大きな思い違いじゃ…そなたはわしの子ではない」と認知を拒否。早く寺に帰って母の菩提を弔って暮らせ、と諭すのですが、不知哉丸は、もう寺にも鎌倉にも帰りません、この都で武士になりまする、と。
「ならぬ!」ときつく命じる尊氏に、不知哉丸は、
「なにゆえでございます。父上でもない御方が、なにゆえお命じになりまする!
不知哉丸は身寄りなし、身寄りなしは誰の命も受けませぬ!と言い放って立ち去る不知哉丸。見送る尊氏の目に、涙があふれます。

 いっぽう、越前の新田義(根津甚八)貞は苦戦中。金山城を捨て、杣山城というとこに立てこもっているのですが、ほとんど孤立状態。そんなとこに、顕家挙兵のニュースは、虹色の吉報に思えるんですね。
「顕家卿はかならずここにくる。そして合流を要請する。我らと合流せねば、兵力的に顕家卿だけでは都に入れない」、そして無敵の連合軍を組み、都を落として、足利軍を蹴散らしてくれるのだ…と、楽天的すぎる展望をえがく義貞。弟の脇屋義助(石原良純)は、「兄上はまだ公家を信じておられるか。公家どもはわれらを利用するだけして、使い倒して捨てたのでござる」と。
 ですが純朴な(?)義貞は、「顕家卿はかならず来る!」と目をキラキラさせて信じてます。…いや、どっちかというと「とにかく信じていたい」という、必死な感じがうかがえるのですけどね。

 ですが、顕家は越前には向かいません。父・親房(近藤正臣)のいる伊勢に向かうのです。せっかく勝っているのに、なんで遠回りして伊勢へなんか来た、となじる親房。
 ものすごい強行軍で兵が疲れ切っていることとか、新田を避けたのは、関東武士は足利のこともあって信用できないからだとか、理由はあるのですが、ようは、「顕家は疲れましてございます…」。
 ずっと、お父さんに言われるままに戦場にでて、後醍醐帝の親政を布教するための十字軍として戦ってきたのだけど、ふっと疲れを感じた。そして、伊勢にお父さんがいるんだなあと思ったら、「むしょうに父上にお会いしとうなりました…」といって、ぽろぽろと涙をこぼす顕家。
 顕家は21歳ですが、この時点でも武将と言うより、「戦場のカリスマ童子」という神がかった存在。そのことにに疲れちゃったんだ、と。顕家をそういう偶像に仕上げた親房は、わが子の涙にグッと胸を打たれるのですが、きびしく「その涙は決して武士どもにみせるではない」。伊勢は必勝祈願に来た、これから一気に京都を攻める!というのだ。ハイ、と涙を拭いて素直に頷く顕家。
 
 なんか、かわいそうだなあ…。顕家の「かわいそう属性」は、中の人が女の子なのをうまく利用して、すごく無垢なものを引き出してて、よかったんだけど、北畠顕家は、このころ、後醍醐帝の親政を批判する、歴史にのこる名文の書簡を書き残してもいるんだよね。公家だけど、侍も負ける気骨と言うか、そっちはスルーして、無垢な童子の部分だけ抽出というのは…。ちょっともったいないというか。もうすこしうまく取り込めなかったものでしょうか。
 ともあれ、顕家は勢いを取り戻して都に進軍。都の入り口の天王山まで迫ります。そこを、意地にかけて負けられない高師直(柄本明)・師泰(塩見三省)兄弟と細川顕氏の連合軍が奇襲し、ふいのことで顕家軍は総崩れに。
 流れ矢をうけた顕家は、戦線を離脱し、山中をさまよいます。弓が無い、弓が無うてはいくさに…と口走りながらさまよう顕家。弓は、顕家の神性のシンボルでもあったんですよね。それを失い、ただの少年になった顕家は、和泉の山中で、みずから喉を突いて命を絶ちます。
 いやあ後藤久美子ちゃんはお疲れ様でした。この配役、発想自体が微妙ではあったけど、顕家の神秘性と、けなげさ、痛々しさも抱合せて、ある側面はみごとに的を射ていたと思います。美しかった。
 
 その知らせをうけた親房は、「帝に召された顕家が神仏に召されましたと、帝に伝えるよう」とか、淡々と報告をうけるのですが、使者が去ったとたん、何かがブチっと切れます。「待て!和泉のどこじゃ。場所がわからねば奏上もできぬ…」
 そして、顕家…顕家…顕家…と呟きながら、泣き崩れるのですが、いやあここは文句なしの圧巻ですね。お化粧がおちた黒い涙を流しながら、わが子の名を呼ばわり、嗚咽する、老いた貴族。その哀れさと、誇り高さと、存在自体の悲しみを濃厚に漂わせ、もうここも、涙なしでは見られぬ名演技です。

第40話「義貞の最期」

 前回の北畠顕家につづいて、主要キャストのサヨナラ公演。いよいよ宿命のライバル・新田義貞が死ぬのですが、その前に、まずは前回から引きずってる不知哉丸問題から。
 悩み多い尊氏は、夜もよく眠れず、碁盤を持って朝っぱらから直義の家を訪ねます。ここで、唐突に「直義の妻」が登場。名無しの妻です。実名がわかっておらず、ドラマで架空の名前を付けるほどの役でもなかったんでしょう。直義も「いいからお前は奥へいっておれ」みたいな扱いで、なんかかわいそう。
 兄弟で碁を打ちながら、この頃悩みが多くて…と、愚痴モードになる尊氏。戦がこじれて南朝北朝に分かれてしまったことなどもあるのですが、目下の悩みは主に不知哉丸のことです。前回、認知を拒否した不知哉丸が、士官を願って佐々木道誉のところにいったりしている、と。
 道誉に身内の弱みを握られても困るので、これは尊氏から手をまわして断ったのですが、めげない不知哉丸は、いずれもっと面倒な人のとこに駆け込むかもしれない。いらん面倒を起こすより…と、直義は、かねて考えていたことを口にします。「不知丸どのを、それがしに下さいませんか」と。
 直義夫妻には子供がなく、思わぬ縁で出会って、気もあった不知哉丸とは、天の引き合わせのように感じる。養子にし、自分の手で立派な武将に育てたい。どうか育てさせてくだされ、と真剣に頭を下げる直義に、思わずグッと感動する尊氏。

 で、このことは妻の登子(沢口靖子)としても、反撃はできません。不知哉丸は認知して、足利の籍にいれないわけにはいかないのです。「不知哉丸どのは殿に似ておられましょうか。これから、会うたびに似たところを探すのでございましょうね」と、チクッと尊氏の心に刺さることを言ったりします。
 登子は、道誉に生け花を習っているんだけど、その道誉先生が、「気に染まぬ一輪の花も、他の花花とともに一緒に器に盛れば、見事な一点にみえてくることもある。それが立花の奥の深さ」と言っていたと(ようは遠まわしに尊氏の援護射撃をしたんだね)。「花も人も、そうであるならよろしゅうござりまするな…」と、あからさまに傷ついた風情でうつむく登子。
あの可愛いお嫁さんが、だんだん怖くなってる。衣裳も、以前のピンク系から一転し、ブルーや緑系など、冷たい印象のものになります。
 かくして不知哉丸は直義と養子縁組し、元服もして、「足利直冬」となります。元服式の日、不知哉丸は立派な立ち居振る舞いなんだけど、立ち会う尊氏夫妻や、重臣たちも、ものすごく複雑な硬い表情で、だれも笑ってなく、なんとも異様な雰囲気…。
この雰囲気の中で、「直冬は、やがて尊氏の生涯の敵となるのである」と、不吉なナレーションが挿入されます。

 さて、やっとタイトルロール登場、越前の新田義貞。足利一門の斯波高経と、藤島というところで激しい戦を繰り広げております…というか、明らかに押され気味。
 そんな義貞のところに、帝の御宸筆による激励の手紙がとどきます。義貞カンゲキ、それを、負傷者のところにいって読んで聞かせ、「あとわずかな我慢じゃ、都に攻上る日は近い!」と励まします。
 そして、自分は味方の援軍のために、深夜、わずかの供とともに移動するのですが、うーん、なぜ深夜なのか。わずかの供なのか。隠密行動だったってことなのかもしれませんが。で、闇のなかで敵に遭遇してしまいます。
 このあたりは、例によって画面が暗いせいかもしれませんけど、ナレーションで、妙にベタに逐一解説してくれるんだよね。ラジオドラマか(笑)。「このとき義貞の馬に矢が当たり、義貞は田のぬかるみに投げ出された。もがきあがろうとしたその時…」とかなんとか。まあ、こういうのも昔風でなかなかよろしうございます。
で、その時、ズブッ!と義貞は矢を受けてしまいます。「帝の御宸筆を…なんとしても、御心にお応え仕らねば…!!」とうめきながら、御宸筆を懐からだし、口にくわえて、立ち上がろうともがく義貞。御宸筆が、どんどん血を吸い泥に汚れ、ビリビリになってしまいます。
 こうして義貞は死にます。田んぼのぬかるみの中で。すんごいアッサリと。

 棚から牡丹餅みたいな義貞の死の報せに、都の足利勢は歓喜します。もうこれで勝ったも同然!!と、どんどん祝勝会の準備をはじめ、尊氏も今回ばかりは、酒じゃ酒じゃ祝杯じゃ、と。そしてフッと、義貞との思い出を回想するのですが…やはりというか、序盤、義貞がショーケンだったころのシーンはスルーでした。そりゃそうだ(笑)。でも、ショーケンが最後まで義貞だったら、どんなだったでしょうね。話の雰囲気も、だいぶ変わっていたんじゃないかなあ。
 で、尊氏は、義貞に個人的な恨みはなかったので、義貞との縁をつらつら回想しつつ、「不運な御方というほかない。ご自分の手で敵(自分のこと)を作ってしまったわれたじゃ…」と、思いにふけります。
「しかし、遠い道じゃのう。北条のみにくい政を正そうと思うた。それゆえ戦を始めた。赤橋守時どのを殺し、楠木正成どのを殺し、新田どのを殺した。安穏な世なれば、みなよき友じゃ。これだけ殺して、まだ世が収まらぬ。長いいくさじゃのう…」
 だが引き返すわけにもいかない。世の中を収めてよい世にするのが死んだ者へのつとめだ、と自分に言い聞かせる尊氏でした。

 そして尊氏はいよいよ征夷大将軍になり、直義は左兵衛督になって、名実ともに新幕府のトップ2を固めます。それはいいんですが、また吹き出す恩賞問題。義貞が死んだことで、越前の地は、そこを守っていた斯波高家が守護に任じられるのですが、これに高師直が猛反発。越前の守護は、一連の戦で軍功抜群だった兄の師泰がもらうべきだというんですね。
 直義は、幕府もなった以上、家の一存で領地をホイホイと郎党にくれてやることはできない、とつっぱねます。激怒した師直は、尊氏に直訴するんですけど、尊氏は「政は直義に任せているから、万事あれの考えで」と取り合いません。
 尊氏がこんなに直義を立てることと、別な問題を絡める向きもあるわけです。ようは、隠し子の直冬を引き取ってくれた直義への遠慮だ、ということですね。
 御曹司の義詮になにかあったら、足利家の後継ぎは棟梁の血を引く直冬。その後見である直義が幕府のすべてを握ることになる…と、この問題は、登子の気持ちにも大きく影を落とします。そこへすかさずつけ込む師直。
 さらに佐々木道誉にも。問題があるところにはどこにでも首を突っ込む道誉(笑)は、師直を自宅の酒の席に招き、「わしは尊氏殿が好きなのじゃ(ってなにげにカムアウト!)、ご舎弟に仕える義理はない」ということで、反・直義の連合に参加を表明。でも師直は、道誉のおだてにはさすがに乗らず、
「それがしは判官殿も御台様も利用させていただきます」とハッキリ言う。「この御仁もなかなかのバサラよの」と道誉は喜びます。ホントこういうの好きだねー。人のケンカとか、内紛とか。
 そこへ登場するのが、道誉の親戚の塩谷判官高貞と、その美人妻です。紹介されて、夫人の美貌から目が離せず、劣情を芽生えさせる師直…。そう、この塩谷判官高貞は、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵で浅野内匠頭になぞらえられた人物であり、高師直(もろのう)は吉良上野介のモデルですよね。のちの世に通俗ドラマとなって巷に流布する)、有名なスキャンダルの、これがはじまりなのでした。


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