ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

積み重なっていきます……

2006-07-10 | Weblog
とにかく値頃と思ったDVDを買ってしまうことが続いていて、

ひたすら積み重なっていく。


見える範囲で「見ていない」(実際に見ていないか、または、以前見たことがあるのだが、DVDを買ってから見返していないものをも含む)ものを数え上げてみる。

「クモ男の復讐」「ザ・リング」「ザ・リング2」「スタートレック(TMP)(これはこの前途中まで見たな…)」「サイレントランニング」「サウスパーク」「シスター・シスター(これ、題名だけネタにした)」「この森で天使はバスを降りた」「マイ・ボディガード」「スフィア(今日買った)」「ウエストワールド」「ブレインストーム」「エクソシスト3」「ショーシャンクの空に」「ジュラシックパーク1・2・3」「マーズ・アタック」「ゾンビ」「死霊のえじき」「着信アリ2(昨日買った。特典ディスクは見たぞ!)」「鳥」「レジェンド 光と闇の伝説」「スタッフ(これも題名は書いたな)」「コーマ」「ある日どこかで」……

まあ、持っているだけで満足だというものもあるから、いいんだけどね。

欲しいのは暇です。

激走! 爆走! 悪霊列車は異界への扉を開く!

2006-07-09 | 映画
韓国映画でも、「レッド・アイ」なんて、ちょっとそそる作品もあるのだが、憑き物がしたか、とんでもない理由があって停められないのか、「停まらない列車」というモチーフがあるよな。

「ザ・トレイン」

とにかくヒロイン欲しさに悪魔が取り付いた暴走機関車が、乗客や運転手を次々惨殺するだけなのだが、何とはなしにもう一度見たいと思ったのである。

というのは、「デアボリカ」と「ザ・ショック」の英題がそれぞれ“Beyond the door”“ Beyond the door Ⅱ”だとわかったから。

そう、この「ザ・トレイン」。英題が“Beyond the door Ⅲ”なのだ。レンタル落ちのVHSでなんとなく買ったとき、「スリー(Ⅲ)ってなんだ? 前二作なんて知らないぞ」と、随分疑問に思っていたのだが、「デアボリカ」が“DIABOLICA”ではなく“Beyond the door”という英題とわかり、その上Ⅱ扱いなのが「ザ・ショック」だとわかったことで、何とはなしに「ザ・トレイン」が愛しくなったのであった。

エクソシストの二番煎じ、オーメンの二番煎じに比べれば、「ザ・トレイン」の方がオリジナリティあるんじゃないだろうか?

で、DVDはあるのか、と調べたら……「ザ・トレイン」だけ出ていませんよ。

仕方ない。どこに仕舞いこんだかわからない、レンタル落ちVHSを探すとしますか……。

ということで、見つかったら、ひょっとしてきちんとレビューしちゃうかもしれません。

*「カサンドラ・クロス」とか「暴走機関車」とか、まあ、とまらない汽車(中山千夏の歌って、知ってる? 古いなあ……)ネタというのは結構あるね。

*韓国「レッド・アイ」が日本で発売されないのは、ちょうど発売なり公開なりのチャンスの折に、あの列車事故があったからだろうな。

*「レッド・アイ」といえばウェス・クレイブンの同題の航空サスペンスが、「パニック・フライト」という「フライト・プラン」の紛い物みたいな題名でDVDリリースされたのだから……列車事故から1年余が経ち、韓国「レッド・アイ」ももとの題名で堂々と発売できそうな気がするのだが。

*実は「0:34(レイジ サンジュウ ヨンプン)」のリリースの際にも韓国「レッド・アイ」をイメージしたんだよな。(こだわってるなあ、韓国「レッド・アイ」に)

世紀末の足音響くロンドン。訪れたのは?

2006-07-08 | 映画
19世紀末、ビクトリア女王治世下のロンドン。ルーマニアの山深き古城から、死に覆われた船に乗ってロンドンに辿りついたのは元祖吸血鬼、ドラキュラであった。

そしてハレー彗星の回帰年、1986年。再び世紀末の足音が響き始めたころ。イギリスの彗星探査宇宙船「チャーチル号」は、彗星の尾に潜む全長240キロ、径の大きさだけでも32キロはあろうという巨大な古代宇宙船を発見した。

内部には無数の蝙蝠状の生物の死体があったが、その他に透明クリスタル(の、棺だな、当然!)に納められた一体の裸の美女と、二体の若い男をも発見する。

この発見の過程は、電波途絶状態であり、地上には報告されていなかった。それどころか、チャーチル号遭難が懸念されたため、アメリカ船が救出に行く。

チャーチル号は火災のため全滅、ただクリスタルケースの三体がロンドンにもたらされる……。

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スペースバンパイア」(LIFEFORCE)という作品が、実は、これほど「吸血鬼ドラキュラ」をモチーフにしていたとは、当時意識しなかったし、気付いていなかったよ。

裸女たちを最初に発見し、チャーチル号に運び込ませ、ただひとり脱出カプセルで地上に戻っていたカールセン大佐がジョナサン・ハーカー弁理士で、かつミナといったところか。

「ライフ・フォース」に関する見識を披瀝するファラーダ博士がヴァン・ヘルシング教授、特務機関のケイン大佐はミナの友達ルーシーを守るアーサー・セワード・キンシーたち、といったところか。

マチルダ・メイ演じる裸の姐ちゃんは、看護婦とかに乗り移りつつ、重度の精神病患者を収容する精神病院に潜り込み、パトリック・スチュワート(ジャン・リュック・ピカード艦長!)演じる医院長に乗り移るのだが……精神病者(の関係者)を手先とする、というのは、これ、レンフィールドじゃないか!

もともと原作がイメージさせた「死の感染」は、ネズミが媒介する「黒死病(ペスト)」であるようだが、クライマックスでパニックに陥るロンドンの街というのは、このイメージだ。

そして、カールセン大佐の自己犠牲はF・W・ムルナウ版の「ノスフェラトウ」を思わせる。

今回見返すまで、「ドラキュラ」そのものにこんなに似通った話として作られていると気付かなかった。

博識なる才人コリン・ウィルソンが書いた原作「スペース・バンパイア」も、生命と食餌に関する独特なペダントリーに満ちていたが、もう一度あれも読んでみようか。

マチルダ・メイのヌードを再鑑賞する、動機はそれでよいから未見の方、しばらく見ていない方、「吸血鬼ドラキュラ」との類似という着眼をも持ちつつ、是非御覧なさいな。

あなたはいま、赤い深淵を覗き込んでいる……

2006-07-07 | 映画
サスペリアPart2」(Profondo Rosso)(Deep Red)(赤い深淵)

冒頭に挿入される刃物による惨殺。「童謡」が流れて、お坊ちゃんのものらしいソックスを履いた革靴の愛らしい足が写り込む。

ジャズのリードピアノを務めるマーク。「みんな、きちんと演奏できている、でもなぁ。ジャズは心で感じて演奏するものだ」……お行儀の良過ぎる演奏に辟易しているらしい。マークはロンドン生まれのアメリカ育ち。ピアニストにして、ピアノ教師である。

超心理学のデモンストレーションが行われている会場。テレパシストのヘルガは会場前列の男がポケットの中で触る鍵の形状を当て、次いでその男の名前を言い当てたりもする。次の瞬間、ヘルガが怯えた叫び声を上げる。「屋敷の中、子どもの唄が流れている! ああ、酷い! 殺して……何もかも隠しおおせたというのね!」。会場に、いまだ明らかになっていない殺人事件の、犯人がいたのである。

アパートに帰宅しようとするマーク。近くの広場で、ボトルを抱えて飲んだくれている友人カルロと出くわす。「立派なピアニストのきみと違って、ぼくは、しがないピアノ弾きさ。誰聞くとも知れないピアノを弾いて、やっと糊口をしのぐ」

カルロと別れ、アパートへの一本道に差し掛かったとき、見上げた窓の中、大鉈で頭を殴りつけられ、割れた窓に倒れこむヘルガの姿をマークは見る。思わず、ヘルガの部屋へ駈け込み……。

このシーンが凄いのである! 壁に亡霊の顔のような絵がいくつも掛かっているのだが、左手に広がる廊下に掛けられた鏡の中に、本当に真犯人の顔が映りこんでいるのである。(もちろん、後半の解明部分ほど大きく映されることはないが。フェアな映画だ。注意力が充分で、写真的記憶が得意なひとなら、次に真犯人が登場した際にわかるくらいだ!)*1

警察の現場検証に立ち会うマーク。そこで新聞記者のジャンナと知り合う……。*2

以下、ストーリーを追うのはやめたい。

マークとジャンナ。このふたりの距離がよい。ジェンダー・フリーなんて言葉はなかったころの男であるマークは、優男のピアニストではあっても、間違いなく男性優位主義者だし、一方、ジャンナは男勝りな態度を取らずには置けない。それでありながら、惹かれあうふたりというのがよい。(そんなシーンはダレ場であって、要らないという向きがあるが、今回の見直しで、わたしにはそこが良かったと感じられた)。

それにジャンナの運転する軽自動車がオンボロで、助手席は沈み込む、ドアはロックすると開かない、で、大変な代物なのだ。しかし、そこがいいな。イタリアはご承知のとおり、枢軸国側で、日本同様敗戦国だ。この映画が撮影された30年前といえば、もちろんそれほど貧乏だというわけではないけれども、日本とてその後の拝金主義的バブル景気はまだ到来しておらず、こういうボロ車が笑える程度には身近に存在していただろうと思う。なにやら懐かしい、愛すべきボロ車だ。

さて、ストーリーは襲われそうになったマークが聞いた「童謡」の、同じ曲をレコードで見つけたり、「童謡」が流れる幽霊屋敷のことを書いた本を知り、その著者を訪ねると、先回りした犯人に著者が殺されたり……なかなか緻密な展開を見せる。

そして、やはり今回の見直しでも、例の「自動人形」のシーンが一番ゾッとしたということを書いて、この記事はおしまいにしよう。


*1「サスペリアDVD入手の回」に書いた大学時代の彼女が、本当に初見で犯人の顔を見分けてしまったのだった。

*2ジャンナ役のダリア・ニコロディはダリオ・アルジェント監督の奥方である。娘のアーシア・アルジェント(役者で監督)はこの作品の作られた年に生まれた。

*番外 超常現象研究家ジョルダーニって、なんだか秋山くんに似ている。一遍しか会ったことないけど、中学生のころの秋山くんにあったことがあるので、秋山くんと書いている。誰かって? 「超常バトル」でおなじみの「超能力者」秋山眞人くんのことだ。似てるよねぇ。

ダヴィンチ・コードか、ユダの福音か、はたまた死海文書か。

2006-07-06 | 映画
スティグマータ/聖痕」を見た。

南米の片田舎の寺院で、尊崇された神父の葬儀が厳かに行われる中、血の涙を流すマリア像を調査に、ひとりの神父がその寺院を訪れる。「バチカンの奇跡認定委員」であるアンドリュー神父だ。科学者でもある彼が、遠慮なくストロボを焚きながら写真を撮る隙を縫い、少年が死んだ神父の棺からロザリオを盗む。そのロザリオは言葉もわからぬアメリカ女性が買い取った……。

ピッツバーグで気ままな暮らしをする売れっ娘美容師のフランキー。恋人もあり、仕事も充実して、先行きにもなんら不安を持たない彼女のもとに、母親から荷物が届く。ブラジルはリオデジャネイロからのその小包には、各種の土産物に混じって、古びた十字架の首飾りが混じっていた。母からの電話では、それひとつだけは、田舎町で偶然手に入れたのだという。(無論、かの神父のロザリオだ)。

バチカンで血を流すマリア像の報告をするアンドリュー神父。亡くなった聖職者と教会の名まで聞きつつ、枢機卿は不思議にも全てを黙殺する……。

……髪結い仕事の最中、雨に煙る窓外をふと見たフランキーは、大通りを挟んで、ローブかレインコートかわからないものに身を包んで、真っ赤な産着に包んだ赤ん坊を抱えた女が佇むのに目を留める。そして女は、抱えていた子どもをわざとのように車道に取り落とす。フランキーは店を飛び出し、車に引かれそうになりながら子どもを救おうとする。だが、すべては「幻視」であったらしい。そのまま昏倒したフランキーは救急車で病院に運ばれる。

いつの間にか、開いていた傷。触れると血が流れるそれに、診断した医者は「自傷」を疑う。

第二の傷はより不可解な状況で現われる。地下鉄の車内。自分でもわけもわからず、乗り合わせた神父や尼僧たちに絡むフランキー。そのとき突然脱線しかねない衝撃に襲われる列車。列車が止まったとき、フランキーの背中には鞭打たれたような傷が無数に付いていた。

この地下鉄車両内の様子が防犯カメラに写されており、これを入手した乗り合わせた神父が、バチカンの奇跡認定委員会に調査を願い出る。ビデオには、つり革に固定されたような状態のフランキーの背中が、まさに見えない鞭に切り裂かれる様子が映っていた。

委員会は、南米に戻りたがるアンドリュー神父を、ピッツバーグに送ることに決めた。

……さてさて。このあたりまでは題名どおりの「聖痕」話なのだが、フランキーが男声で「わたしは言葉を伝えるものだ」と話し始めたり、宙に浮いたりとエクソシスト調の展開があったと思うや、

今度は壁に凄い勢いで古語を書き始めて、これをアンドリューが撮影、バチカンに送るに及んで、突如異端ミステリーものに流れが変わる。

ネタバレ、かましますよ!!!!!!!!!











この古語の内容は数年前に中止させられたプロジェクト関係者しか知らない「イエス自身の福音」そのものだったのである。

その内容は「真理はあなたの中にあり、また、身近にある。石と木で出来た寺院などは、だから必要がない」というもので、これを認めることは「教会」の否定につながるというものだった。

枢機卿自らが、「悪魔祓い(エクソシズム)」に事寄せてフランキーを亡き者にしようとするが……。

……ということで、今日の記事、感想でさえない。あらすじを自分なりに追っただけ。

でもね。仕方がないんだ。

わたしらに、「キリスト教」ネタは、身に迫らないよ。

そんなところも……「ダヴィンチ・コード」、見るまでもなく、やっぱりそうだよと思ったことだった。

大林宣彦 幻の初期三部作!

2006-07-05 | 映画
第一に、「ハウス」。

大林監督の劇映画デビュー作品。それ以前のCM監督としての活躍や、自主映画(「食べた人」や「Emotion 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」といった作品)で有名な人物だったが、初の本格監督作品がこれである。
池上季実子、大場久美子、松原愛、神保美喜、佐藤美恵子、宮子昌子、田中エリ子、これらの(当時の)少女たちが演じる女子高校生が、みな、それぞれに振られた個性に輝いて可愛い。

それぞれのあだ名が、オシャレ、ファンタ、ガリ、クンフー、マック、スィート、メロディと、その個性をあらわしている。

死んだママの代わりに、「仲良くして欲しい」ひと(鰐淵晴子)を紹介したいというパパ(笹沢左保)に反発しながら、田舎のお婆ちゃま(南田洋子)のところへ、上に挙げた仲良したちを引き連れて訪問したオシャレ。

実はお婆ちゃまは戦争で亡くなった恋人(三浦友和)のため、死んでも死ねない存在になっていた。(化け猫シロと一体になっている。天井の梁を身軽に歩くのだ)。

可愛らしい乙女(チェリー)たちは、「家」全体と一体化したお婆ちゃまの化身である、柱時計に、あるいはピアノに、あるいは電灯の傘に、次々に食べられていく……。

♪ As sure as cherries are made for eating, and fish are made to swim in the sea, you are made to be loved a lot, by nobody else, but me……(あくまで記憶で書いているので違ったらごめん。ゴダイゴによる挿入歌「君は恋のチェリー」)

「ハウス」の主題は、「待つ愛」(「ナンジまででもお待ちしますわ?」「イツまでも、だよ!」)である。

ひとは、愛しいひとを追憶の中にいつまでもとどめる。大切なひとを思い続けることで、その相手は永遠に生き続ける、というような意味のことが最後のナレーションで語られ、それに続くエンドロールバックには、まさに彼女たちが、その若々しい姿を今もとどめ続けている。

第二に、「瞳の中の訪問者(BlackJack「春一番」より)」。

テニスボールが目に当たって失明した千晶(片平なぎさ)は、先輩今岡(山本伸吾)がアイバンクから盗み出した角膜の、移植手術を、ブラックジャック先生(宍戸錠)によって施される。そして、視力を取り戻して以来、人には見えない幻の男(峰岸徹)を見るようになる。

この男は実在していた。千晶は、その本人と出会って、強烈に惹かれていく。

湖に浮かぶ一艘のボート。千晶と男が乗っている。男もまた千晶の瞳に惹かれて、再度同じ過ちを繰り返そうとする。男は、かつて愛したその瞳の持ち主(ハニー・レーヌ)をその湖のボートの上で、絞め殺していたのである!

この、大変に臭いメロドラマに、実に大げさな音楽と台詞まわしが見ていられない、とんでもない作品ではあるが……。

主題はひとの思いは角膜ひとつにも宿る、「忘れえぬ愛」ということか。

そして、最後に「ふりむけば愛」

百恵・友和初の「ベッドシーン」が話題になった。

まあ、あれを「ベッドシーン」と言い切る「宣伝」担当の言い分は聞けたものではないが。

主題は「振り向いて、気が付けばそこにあったはずの、愛」ということかな。


さて、これがなぜ三部作かというと、大林監督もおそらく気づいていない「はウス」「ひトミの中の訪問者」「ふリムケば愛」。「は・ひ・ふ」のハ行三部作である!

「プリンス・オブ・ダークネス」ではないぞ。

2006-07-04 | 映画
ダークネス」(ジャウマ・バラゲロ監督)を見た。

先ずは、この作品のイントロダクションだ。

レジーナ(アンナ・パキン)の一家は神経症を患う父マーク(イアン・グレン)の療養のため、アメリカからスペインの郊外へと引っ越してきた。この町はかつてマークが生まれ育った場所で、祖父アルベルト(ジャンカルロ・ジャンニーニ)もこの地で医師として働いている。一家は、緑に囲まれた静かな家で楽しい生活を迎えようとしていた。だがやがて、家の中で原因不明の停電をはじめ怪異な現象が度々発生するようになり、幼い弟ポールは怯え、マークも情緒不安定になっていく。原因がこの家にあると感じたレジーナは調べを進めていくうち、仲介の不動産業者も不明だったこの家の、唯一の手がかりだった設計者から、四十年前に7人の子供が失踪し、見つかったひとりの証言も要領を得ず、結局六人が失踪したまま迷宮入りとなった事件とこの家が関係あるらしいと知る。そして、この家は魔術的な意味を持って設計されているとわかる……。

「シャイニング」のような状況の父親。

「ブレア・ウイッチ」のラスティン・パーの被害者か、はたまた、「シャイニング」のエレベーター前の双子か、それとも「キングダム」ででもあるのかという感じで、闇にちらつく子どもたちの姿。

「リング」のように、次第に解きほぐされていく謎。(合理的な解明の、真反対に解明されてはいくのだが)。

ウロボロスの蛇。三人の老婆。皆既日食の訪れ。

……実に雰囲気のある、面白い作品だ。

そしてラストの見事なダウン・ビートっぷりも!!!、お勧めできる。

表題に「プリンス・オブ・ダークネス」ではないぞ、と書いたが、いやいや、闇の公子ものではないだけで、ほとんど「クトールゥ神話」的である。原初の闇が、禍々しい儀式によってこの世を再び覆うという想が、普通のホラーではなく、コズミック・ホラーっぽいじゃないか!

と、思っていたら「ネイムレス/無名恐怖」という、ラムゼイ・キャンベル原作の映画を監督しているよ、この監督!

うー。それでは、次は「ネイムレス」を見なければ!

*「プリンス・オブ・ダークネス」といえば、ジョン・カーペンターの「パラダイム」である。

*コズミック・ホラーっぽい作品といえば、ジョン・カーペンターの「マウス・オブ・マッドネス」。

明日はVol.4発売のようだし。

2006-07-03 | ドラマ
「スタートレック ベストエピソード コレクション3」で未見だった最後の1本、DS9の「二人のキラ(CROSSOVER)」を見た。


ジェームス・TがTOSで迷い込んだあの平行宇宙のその後ということだが、まあ、面白かった。しかしながら、とにかく、わたし自身が「ディープ・スペース・ナイン」を真っ当に見ていないので、どうしても乗り切れない。

粗野なシスコなんてありえないとかっていうわけなんだろうが、シスコがどんな男かも実際には知らないので。

どうも、ベスト・エピソードとしての位置づけがDS9だけ、イマイチ展開が悪いような気がする。

その、不満を打ち消すべく、昨日発作買いしたT.M.Pを斜め見している。

日本語で掛けているから、チャーリー(スコティ)とカトー(スールー)だね。

まあ、最後までは見ないでやめると思うけれど。

オリジナル・ストーリーはアラン・ディーン・フォスターだったんだね。

道理で独創に欠けるはずだ。

*写真は、ついついTMP版エンタープライズ。

30年経って、いまだ古びず。

2006-07-02 | 映画
今日も「サスペリア」。

購入したDVDは25周年ドキュメンタリーとかいう映像特典が入っているが、1977年公開ということで、ほとんど30年近くが経過している。

結局今日は「サスペリア」を見てしまった。

これはまったく好き嫌いの問題ではなく、30年経って、いまだ古びずというのが「サスペリア」に対する感想だ。

もう、「好悪」でいうと、当時から、わざとらしい色彩の使い方には批判があったが、ゴブリンの音楽と、原色一杯のライティングは見事に補い合っているな、と感じた。

高いバジェットで、CGやVFXで派手な演出を施した作品を「今風」というのなら、この作品にはそういうハイテクな技術は使われていない。しかし、この作品に映し出されている空気、しかも作り物臭さが色濃く漂う、それでいて「本物」にも紛う空気はただ事ではないと思う。

ホラーのバロックとでもいうべきか。

赤に、青に、黄色に染まる原色の部屋を、真っ暗な闇や補色関係にある色彩が蝕むように、ゴブリンの高音で耳を差すような金属や硝子の響きを思わせるサウンドは、しかし時折ひどく耳に障る不協和音を潜み隠している。

本質として「だまし絵」感覚の映画なのだ。

それは、巻頭から明白で、問題のドイツのバレエ学校が所在するのが「エッシャー街」だということ、また、最初の被害者が死ぬ部屋の壁のガラがまさにエッシャーの有名な鳥のだまし絵で、それが赤白で描かれていること、また、ステンドグラスの天井とそこを破って落下する被害者などというのも、平面から立体が飛び出るかのようだ……。

そして、最後の魔女の間への扉が壁にだまし絵のように嵌め込まれていることといい……。

ラスト、スージーの微笑みの指し示す暗い方向性(スージーはエレナ・マルコスの新しい器になったのではないか?)まで、文句なくよくできていると思ったのである。

*「真の続編」情報はインフェルノの回と0:34の回を参照のこと

ひとりで見なけりゃ、いつ見られるっていうんだろう

2006-07-01 | 映画
サスペリア

「決してひとりでは見ないでください」

そういう惹句でこの作品が公開された年。わたしは大学1年生だった。地方から上京して専門学校生になっていた彼女と、初めて映画にでも行こうということになって、新宿の街をあちらこちらさ迷った。

わたしは「サスペリア」が見たかったのだが、その年に初めて一人暮らしを始めた彼女は当然ホラーなんて見たくなかったのだと思う。結局、そのときは「サスペリア」を見なかったのだが、同じイタリア映画で、「ジョーズ」の亜流、巨大蛸映画「テンタクルズ」だったのだからそういう意味では大差ない不気味映画を見たのだったな。(まあ、名誉のために言っておくが、彼女もマンガやSFが趣味だったのであって、軽快なアクション映画であるとか、これはというSF映画であるとかを上映していたなら、問題なくそれを見たに違いない。で、「サスペリア」もそういう類いの映画と思ったのだが……でも、もう少しは下心があったかな?)

結局「サスペリア」を初めてみたのはテレビの洋画劇場だった。

サスペリアPart2」を見たのは池袋の名画座だったと思う。併映はなんだっただろうか? 多分ブライアン・デ=パルマの「フューリー」だったように思う。

そのころ、同じ大学の、同じ趣味の持ち主の女の子と付き合っていて、この娘とは始終映画を見に行っていたっけ。

「サスペリアPart2」では、あの「人形」のシーンで座席から飛び上がるほどびっくりしたっけ。

今日、「サスペリア アルティメット・コレクション」を手に入れた。

時間を作って先ずは「サスペリアPart2」こと「赤い深淵(プロフォンド・ロッソ)」を見たいと思う