ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

ダヴィンチ・コードか、ユダの福音か、はたまた死海文書か。

2006-07-06 | 映画
スティグマータ/聖痕」を見た。

南米の片田舎の寺院で、尊崇された神父の葬儀が厳かに行われる中、血の涙を流すマリア像を調査に、ひとりの神父がその寺院を訪れる。「バチカンの奇跡認定委員」であるアンドリュー神父だ。科学者でもある彼が、遠慮なくストロボを焚きながら写真を撮る隙を縫い、少年が死んだ神父の棺からロザリオを盗む。そのロザリオは言葉もわからぬアメリカ女性が買い取った……。

ピッツバーグで気ままな暮らしをする売れっ娘美容師のフランキー。恋人もあり、仕事も充実して、先行きにもなんら不安を持たない彼女のもとに、母親から荷物が届く。ブラジルはリオデジャネイロからのその小包には、各種の土産物に混じって、古びた十字架の首飾りが混じっていた。母からの電話では、それひとつだけは、田舎町で偶然手に入れたのだという。(無論、かの神父のロザリオだ)。

バチカンで血を流すマリア像の報告をするアンドリュー神父。亡くなった聖職者と教会の名まで聞きつつ、枢機卿は不思議にも全てを黙殺する……。

……髪結い仕事の最中、雨に煙る窓外をふと見たフランキーは、大通りを挟んで、ローブかレインコートかわからないものに身を包んで、真っ赤な産着に包んだ赤ん坊を抱えた女が佇むのに目を留める。そして女は、抱えていた子どもをわざとのように車道に取り落とす。フランキーは店を飛び出し、車に引かれそうになりながら子どもを救おうとする。だが、すべては「幻視」であったらしい。そのまま昏倒したフランキーは救急車で病院に運ばれる。

いつの間にか、開いていた傷。触れると血が流れるそれに、診断した医者は「自傷」を疑う。

第二の傷はより不可解な状況で現われる。地下鉄の車内。自分でもわけもわからず、乗り合わせた神父や尼僧たちに絡むフランキー。そのとき突然脱線しかねない衝撃に襲われる列車。列車が止まったとき、フランキーの背中には鞭打たれたような傷が無数に付いていた。

この地下鉄車両内の様子が防犯カメラに写されており、これを入手した乗り合わせた神父が、バチカンの奇跡認定委員会に調査を願い出る。ビデオには、つり革に固定されたような状態のフランキーの背中が、まさに見えない鞭に切り裂かれる様子が映っていた。

委員会は、南米に戻りたがるアンドリュー神父を、ピッツバーグに送ることに決めた。

……さてさて。このあたりまでは題名どおりの「聖痕」話なのだが、フランキーが男声で「わたしは言葉を伝えるものだ」と話し始めたり、宙に浮いたりとエクソシスト調の展開があったと思うや、

今度は壁に凄い勢いで古語を書き始めて、これをアンドリューが撮影、バチカンに送るに及んで、突如異端ミステリーものに流れが変わる。

ネタバレ、かましますよ!!!!!!!!!











この古語の内容は数年前に中止させられたプロジェクト関係者しか知らない「イエス自身の福音」そのものだったのである。

その内容は「真理はあなたの中にあり、また、身近にある。石と木で出来た寺院などは、だから必要がない」というもので、これを認めることは「教会」の否定につながるというものだった。

枢機卿自らが、「悪魔祓い(エクソシズム)」に事寄せてフランキーを亡き者にしようとするが……。

……ということで、今日の記事、感想でさえない。あらすじを自分なりに追っただけ。

でもね。仕方がないんだ。

わたしらに、「キリスト教」ネタは、身に迫らないよ。

そんなところも……「ダヴィンチ・コード」、見るまでもなく、やっぱりそうだよと思ったことだった。