ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

30年経って、いまだ古びず。

2006-07-02 | 映画
今日も「サスペリア」。

購入したDVDは25周年ドキュメンタリーとかいう映像特典が入っているが、1977年公開ということで、ほとんど30年近くが経過している。

結局今日は「サスペリア」を見てしまった。

これはまったく好き嫌いの問題ではなく、30年経って、いまだ古びずというのが「サスペリア」に対する感想だ。

もう、「好悪」でいうと、当時から、わざとらしい色彩の使い方には批判があったが、ゴブリンの音楽と、原色一杯のライティングは見事に補い合っているな、と感じた。

高いバジェットで、CGやVFXで派手な演出を施した作品を「今風」というのなら、この作品にはそういうハイテクな技術は使われていない。しかし、この作品に映し出されている空気、しかも作り物臭さが色濃く漂う、それでいて「本物」にも紛う空気はただ事ではないと思う。

ホラーのバロックとでもいうべきか。

赤に、青に、黄色に染まる原色の部屋を、真っ暗な闇や補色関係にある色彩が蝕むように、ゴブリンの高音で耳を差すような金属や硝子の響きを思わせるサウンドは、しかし時折ひどく耳に障る不協和音を潜み隠している。

本質として「だまし絵」感覚の映画なのだ。

それは、巻頭から明白で、問題のドイツのバレエ学校が所在するのが「エッシャー街」だということ、また、最初の被害者が死ぬ部屋の壁のガラがまさにエッシャーの有名な鳥のだまし絵で、それが赤白で描かれていること、また、ステンドグラスの天井とそこを破って落下する被害者などというのも、平面から立体が飛び出るかのようだ……。

そして、最後の魔女の間への扉が壁にだまし絵のように嵌め込まれていることといい……。

ラスト、スージーの微笑みの指し示す暗い方向性(スージーはエレナ・マルコスの新しい器になったのではないか?)まで、文句なくよくできていると思ったのである。

*「真の続編」情報はインフェルノの回と0:34の回を参照のこと