ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

大林宣彦 幻の初期三部作!

2006-07-05 | 映画
第一に、「ハウス」。

大林監督の劇映画デビュー作品。それ以前のCM監督としての活躍や、自主映画(「食べた人」や「Emotion 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」といった作品)で有名な人物だったが、初の本格監督作品がこれである。
池上季実子、大場久美子、松原愛、神保美喜、佐藤美恵子、宮子昌子、田中エリ子、これらの(当時の)少女たちが演じる女子高校生が、みな、それぞれに振られた個性に輝いて可愛い。

それぞれのあだ名が、オシャレ、ファンタ、ガリ、クンフー、マック、スィート、メロディと、その個性をあらわしている。

死んだママの代わりに、「仲良くして欲しい」ひと(鰐淵晴子)を紹介したいというパパ(笹沢左保)に反発しながら、田舎のお婆ちゃま(南田洋子)のところへ、上に挙げた仲良したちを引き連れて訪問したオシャレ。

実はお婆ちゃまは戦争で亡くなった恋人(三浦友和)のため、死んでも死ねない存在になっていた。(化け猫シロと一体になっている。天井の梁を身軽に歩くのだ)。

可愛らしい乙女(チェリー)たちは、「家」全体と一体化したお婆ちゃまの化身である、柱時計に、あるいはピアノに、あるいは電灯の傘に、次々に食べられていく……。

♪ As sure as cherries are made for eating, and fish are made to swim in the sea, you are made to be loved a lot, by nobody else, but me……(あくまで記憶で書いているので違ったらごめん。ゴダイゴによる挿入歌「君は恋のチェリー」)

「ハウス」の主題は、「待つ愛」(「ナンジまででもお待ちしますわ?」「イツまでも、だよ!」)である。

ひとは、愛しいひとを追憶の中にいつまでもとどめる。大切なひとを思い続けることで、その相手は永遠に生き続ける、というような意味のことが最後のナレーションで語られ、それに続くエンドロールバックには、まさに彼女たちが、その若々しい姿を今もとどめ続けている。

第二に、「瞳の中の訪問者(BlackJack「春一番」より)」。

テニスボールが目に当たって失明した千晶(片平なぎさ)は、先輩今岡(山本伸吾)がアイバンクから盗み出した角膜の、移植手術を、ブラックジャック先生(宍戸錠)によって施される。そして、視力を取り戻して以来、人には見えない幻の男(峰岸徹)を見るようになる。

この男は実在していた。千晶は、その本人と出会って、強烈に惹かれていく。

湖に浮かぶ一艘のボート。千晶と男が乗っている。男もまた千晶の瞳に惹かれて、再度同じ過ちを繰り返そうとする。男は、かつて愛したその瞳の持ち主(ハニー・レーヌ)をその湖のボートの上で、絞め殺していたのである!

この、大変に臭いメロドラマに、実に大げさな音楽と台詞まわしが見ていられない、とんでもない作品ではあるが……。

主題はひとの思いは角膜ひとつにも宿る、「忘れえぬ愛」ということか。

そして、最後に「ふりむけば愛」

百恵・友和初の「ベッドシーン」が話題になった。

まあ、あれを「ベッドシーン」と言い切る「宣伝」担当の言い分は聞けたものではないが。

主題は「振り向いて、気が付けばそこにあったはずの、愛」ということかな。


さて、これがなぜ三部作かというと、大林監督もおそらく気づいていない「はウス」「ひトミの中の訪問者」「ふリムケば愛」。「は・ひ・ふ」のハ行三部作である!