湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 行き着けなかった「放牛上人」さんの墓

2015年05月20日 23時30分59秒 | 日常・その他
私が住んでいる家の近くに(といっても500m余り離れたところ)
「放牛上人」(ホウギュウショウニン)さんの墓があります。

  "あります"といっても、未だ御参りしたことがないので直接見たことはありません。
  バス道路の際に案内標柱が立っているのをいつも見かけているだけです。

ふと思い付いて
「放牛上人」の墓に行ってみることにしました。

案内標識から墓へ通じる狭い階段を少し上ると案内板がありました。
「放牛上人」がどんな人か、これをご覧ください。

   ※この案内文には
    「酒が買えなかったことに腹を立てた父親が子供めがけて火吹き竹を投げつけた ・・・」
     ように書かれてありますが、
     別の話「兄弟喧嘩をやめさせようと、父親が近くにあった割り木を投げつけた ・・・」
     もあります。
     この「鍛冶屋町の事件」を記した二つの記録(「奉行所日記」と「旦夕覚書」)が
     あるそうですが、詳細までは載っていないようです。


案内文の下に、墓まで200mあると書いてあります。
奥まったところあるんだな、と思いながら更に20段ほど上りました。
上りきったところで「アララ」となりました。

これが墓へと続く道です。


草ボウボウです。

どうしても行かなければならないということでもないし、蛇でも出て来そうなので
草むらを分け入るのは止めて、引き返しました。

  草が枯れてしまう秋にでも出直すことにしました。

このままでは中途半端なので
近くにも幾つかあるといわれる
「放牛上人」さんが彫って建立された石仏(地蔵菩薩)を見に行くことにしました。

石仏の場所を詳しく知りませんので、一旦家に帰ってWebサイトで調べました。

  石仏は全部で100体以上あるということでした。
  熊本市内に半数以上があり、私の家から半径1km以内にも5体以上あるようです。

「放牛上人」さんは彫った石仏に通し番号を彫られているとのことですが、
これが8体目(*)の石仏です。

   * : "8"(もちろん漢字で)と彫られているものが2体あるそうでなので、
      厳密にいえば8体目か9体目の石仏になるそうです。
      これ以降のものにも同じ番号を彫ってある石仏が何組かあるそうなので、
      彫られている数字=番目、にはならないようです。
      ("放牛もノミの誤り"ということになるんでしょうか)

案内柱にあるとおり86体目(彫られている数字上は)の石仏です。
 

38体目の石仏  ※「ぬれ地蔵」と呼ばれているそうです。
 

この「濡れ地蔵」の脇に立っていた案内板です。


「ぬれ地蔵」の直ぐ傍にある熊本水遺産の一つ「四方池の池」(ヨモチノイケ)です。

   ※2坪程度の池ですが鯉が泳いでいました。

「ぬれ地蔵」から狭い道を100m(?)ほど上ったところにある25体目です。



父親を無礼討ちにした侍の「大矢野源左衛門」さんのほうは
一応取り調べられたが、無罪となったそうです。

  「放牛上人」さんが100体を越える石仏を建立したのは事件からずっと後のことですが、
  「大矢野源左衛門」さんがまだ生きているときであれば、
  街中にある慰霊のための石仏の前を通ったかもしれません。
  どんな心境になっていたでしょう。


「放牛上人」さんの父親が無礼討ちに遭った経緯等については諸説あるようですが
大酒飲みであったことは事実かもしれません。

 10数年前に亡くなった私の父も酒は好きなほうでした。
 しかし、自分で決めた適量(多いときでも2合程度)を味わいながら飲む口でしたから、
 騒いだり酔っ払ったりした姿を一度も見たことがありません。

 そのおかげか、
 無礼討ちなどに遭うこともなく長寿を全うすることができたのだと思います。