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まず明日一日を素晴らしい日にしよう

2017-08-25 14:05:06 | 日記
私は以前
4月頃、
同様なことをブログに投稿したが、
今回も
神想観を一日に何回かするようになって、
同じ内容のことに気づき始めた。
それは、明日を心配のない良い一日にしたいのならば、
「実相に入る」神想観を
する必要がある、
ということだ。
「実相に入らない」底の神想観では、
明日が心配の無い、
良い一日になることを神から
必ずしも約束された状態には
ならないのである。
「実相に入る」観になって初めて
霊の世界から、
つまり神から、
明日必ず素晴らしい日となることが
約束されるのである。
ではどうすれば「実相に入る」観ができるのかといえば、
自分の心が神に近いところまで
清まることを必要とする。
清まれば清まるほど
良い神想観ができる。
自戒を含めて
向上心あるのみか。
毎日毎日
明日一日を良い日にするべく、
頑張ればよいように思える。
そうすれば
次第に全部が良くなっていくはずであるから。

自分が「神の子」(神の理念)とわかりつつある

2017-08-24 13:28:28 | 日記
自分の本体が
本当に「神の子」(神の理念)だと
確信できれば
これほど力強く
自信が持てることはない。
この状態に近づいたことを
感じている。
しかし、
私の場合
よっぽど
真理の勉強するとか
神想観を沢山やる必要があったみたいで
このこと自体
感謝するしかない。
でも自分が「神の子」だと本当にわかる時が
近づいていることは
間違いないと
私は感じている。



絶対絶命の窮境は「霊によって」起ち上がれ

2017-08-23 09:49:53 | 日記
この現象世界に生まれた人間なるものは、
物質や現象を
五官で捉えられるものが実在であるのか、
それらの奥に潜む霊的なものが実在であるのか、
四六時中実は選択を迫られているのであって、
そういう公案を
突き付けられているとも
言えるのである。
それを
自分が物質的にまた
体力的にまるで無力な立場に立たされた時に、
その公案が
唯一の公案として突き付けられて立ちはだかるのであり、
その際
自分が使えるものとしては、
「心」一つであるという絶対絶命の境地に
立ち至るのである。
私は二度までもこの状況に追い詰められ、
二度ともそこから
起ち上がりつつあるのである。
「地によって倒れたものは、霊によって起ち上がることができる」のである。

何故神想観が素晴らしいのか?

2017-08-22 07:35:33 | 日記
結局私は
現象を素晴らしいものに変えてくれるのは、
神想観に他ならないということを
体験的にわかったのでありますが、
道元禅師は正法眼蔵の中で
そのことを教示してくださっています。
(参考 正法眼蔵を読む 弁道話の巻 谷口清超著)
<仏法の正門>
されば吾々は、師の伝え給うた道をまっしぐらに進むのであり、又三世の諸仏如来は、ともに坐禅して得道せられた。この道が正門であることを示しているではないか。又諸仏諸菩薩はそのことを伝え給うた。そればかりではない。インドや支那の祖師たちは、ことごとく坐禅によって悟りを得られた。それは「観る」ことが「あらわす」ことであり、観ぜざればあらわれざるところの法則によるのである。観こそが全てをつくるもとであり、一切のはじめであり、終りである。されば正しき観法こそ、得道の正しき入口であり、又出口でもあるということを、今全ての人間及び天人達に示す次第である。

『久遠の実在』について

2017-08-21 12:07:33 | 日記
私は幸運なことに
谷口雅春先生のご著書である
「生命の実相初版革表紙版」と
同じく「久遠の実在革表紙版」を
持っている。
これらの内容の多くは
「生命の実相」普及版の
第1巻から第14卷くらいまでの中に
入っているものと思われるが、
普及版に入っていない内容のものも
あるように思う。
この初版革表紙版の2冊は
人類光明化運動の原点であるので、
まずは原典の内容を身につけないと、
人類光明化運動なるものの
本質を身につけることは不可能で
自分を救うことも
他を救うことも不可能である。
私は今「久遠の実在」を読み始めたが
霊力すさまじく
元気が出ることといったら、
雅春先生のご著書の中でも
郡を抜いている。
当分私はこの2冊を中心にして
「生命の実相」の勉強を
していくこととする。