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真理への「信」が確実なものとなりその「信」で観」を行ったときに、実相が現われるのである。

2021-08-31 11:17:42 | 日記
“生命の実相”に立ち帰りたいという強烈な願いが
実相奪還の原動力である。
ただ実相が顕われるためには
真理への「信」を妨げている疑念を
打ち破らねばならない。
真理自体が“生命”を帯びた確たるものに
変質して行く必要はある。
観念的な真理から
生動する真理へと質が変わる必要がある。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【このごとく“神の力”がわれわれに来臨して、われわれを通して自己表現せんとし給うているのが神癒であるのである。患者の心の扉をひらいて、神癒を可能ならしめるところのものは、その人の神癒を受けんとする“願い”と“信”なのである。患者の“信”が、常に到るところに存在して癒しの力を施そうと待ち設けている神の“癒し”を素直に受けとるには、患者自身が閉鎖している疑念という扉を打ち破らなければならないのである。神の癒しが顕現して来る通路は多数あるけれども、癒し給う力は唯ひとつ“神”なのである。医師は傷口を繃帯する、しかし、癒しの力は何処から来るかというと、本来の人間の実相の霊的完全さに立ち帰ろうとする“生命”自体の常住の“願い”を通して、大生命の自然良能が癒しのはたらきをしてくれるのである。】
 
 
 
 

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