今神想観は
一日3回になった。
食事前に2回、
夕食後に1回である。
実相さえ観じられれば、
安心感は得られるので、
回数が減ったわけである。
はじめに
「神に凭(よ)り頼める者はシオンの山の如くなるべし。動くことなく永久(とわ)に変ることなし」
と念ずるのは10回だが、
これは特別な理由があってやっているのではなく、
成り行きで(というより神様の意向で)、
やっている感じだ。
実相観で念ずる言葉は
「実相円満完全」
「神の子円満完全」
「生命円満完全」の三つであるが、
アサガオの実相が霊である感じから広げて
人間の実相を霊と観て観じるのであり、
これは“生命の実相”を観じることとも
人間の“いのち”を観じることとも
神の子を観じることとも
理念としての人間を観じるこことも一致し、
普通の生活においても
そこに横たわる理念の存在を
信じ切る方向に動いている。
要するに現象世界も
実相世界同様に“神の国”であるからだ。
一日3回になった。
食事前に2回、
夕食後に1回である。
実相さえ観じられれば、
安心感は得られるので、
回数が減ったわけである。
はじめに
「神に凭(よ)り頼める者はシオンの山の如くなるべし。動くことなく永久(とわ)に変ることなし」
と念ずるのは10回だが、
これは特別な理由があってやっているのではなく、
成り行きで(というより神様の意向で)、
やっている感じだ。
実相観で念ずる言葉は
「実相円満完全」
「神の子円満完全」
「生命円満完全」の三つであるが、
アサガオの実相が霊である感じから広げて
人間の実相を霊と観て観じるのであり、
これは“生命の実相”を観じることとも
人間の“いのち”を観じることとも
神の子を観じることとも
理念としての人間を観じるこことも一致し、
普通の生活においても
そこに横たわる理念の存在を
信じ切る方向に動いている。
要するに現象世界も
実相世界同様に“神の国”であるからだ。
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