「自己を神に与え尽すことによって神との融合は遂げられるのである」ということと
「‟愛”が完成するのは吾等の‟神への共同”が無ければ不可能であるのである。」ということの
二つのことが必要である。
自分を神に与え尽すことと愛の完成との
これら二つがあることに到って
実相が顕われる。
実相は「自他一体」であるからだ。
つまり実相と云うものは
この二つのことが結局一つに成るに到って
顕現するのである。
(心と運命 谷口雅春)
【「究極実在」の体感体得―此れこそ吾等が努力して達しようと目指したところの目標なのである。吾等の求めたところは究極実在との融合に他ならない。吾等は茲(ここ)に先に掲げた「如何にして宇宙霊と共同活動すべきか」と云う問いに帰るのである。答えて曰く「自己を神に与え尽すことによって神との融合は遂げられるのである」と。神は「愛」の完成を求めてい給うのである。何故なら「愛」は同種族の二つのものの結合であるからである。併し「愛」が完成するのは吾等の「神への共同」が無ければ不可能であるのである。「神は霊にてあり給う。それ故神を崇むるものは『霊』としての神、『真』としての神を崇めねばならないのである。神は斯くの如きをその崇拝者に求めたまう。」併し神は強い給わないでのである。神は戸の外にて待ち給う。吾等はみずから自己の戸口を開かねばならない。】
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