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吾等は唯、高所より来たる水路を開いて、その水を流下せしむれば好いのである。水を高所より自己の内へ流入せしめよ。空虚なる溜りは何の労苦もなしに一杯になる。

2021-08-07 12:19:27 | 日記
病気や不幸はただ実相の虚(不在)であるのだ。
実相流入の水路を描いて、
実相の大河を流入せしめよ。
それには“神の子”即ち「神」を観じるのである。
これが基本だ。
神と親子になるのだ。
神は愛である。
愛が聖癒を呼ぶのである。
(心と運命 谷口雅春)
【愛によって吾等と「宇宙霊」との結合がなされたならば吾等はあらゆる不幸に対する「聖癒」の大神秘力が何処(いずこ)より来たるかがわかるであろう。何となれば、愛、生命、及び美は「完全」の象徴であり、その反対は「不完全」、完全の欠乏、又は恐怖、死、無智、欠乏及び苦痛の象徴であるからである。されば病気を癒すには、何者かが欠乏したけ結果そうなったところの欠陥に鋳掛け継ぎをする必要はないのである。それよりもその欠乏せるところの原因に供給すれば好いのである。病気は消極的なる要素に基づいて生ずる。それ故吾等はそれに積極的なる要素・・・愛・・・を供給することによって癒やすことが出来る。これは誰でもが行うところの「空虚」が出来たら「充足」すれば好い・・・と云うところの原理である。
 人は「空虚」に対いて零(こぼ)すことも、不快(いや)らしい臭気について不平を云うことも、その醜さについて悲嘆することも要らないのである。吾等は唯、高所より来たる水路を開いて、その水を流下せしむれば好いのである。何と云う雑作もないことだろう・・・水を高所より自己の内へ流入せしめよ。空虚なる溜りは何の労苦もなしに一杯になる。結果は原因によって変化する。】
 

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