アサガオに実相アサガオという
見えない「霊的アサガオ」があって、
それが本当のアサガオであるのと同じように、
人間にも実相人間という人間の本体実在があって、
それが本当の人間なのです。
それは自分の「いのち」でもあり、
「神の子」でもあります。
見えないし、違う次元にある存在ですが、
それこそが本当の自分と思い込んでしまうとよろしいです。
次元が違っていたとしたって
それが現象の自分になっているんだから、
実相人間が自分の本体です。
簡単にいうと
アサガオの本体である実相アサガオという「霊」みたいに
自分が「見えない実相人間」だと決めちゃえばいいです。
自分の本体は「見えない実相人間」と思い込んじゃえばいいです。
「見えない神の子」ってことです。
思い込んだとおりになるのです。
ただの木片の十字架をキリストの十字架と思い込んで
病気が治った人がいるそうです。
本気で思い込んだら神癒は起こると
アディントンも言ってます。
でも人間が霊なる実相人間ってことは真理なので
決めちゃえばいいです。
後は思い込む修行をすればいいです。
見えない「霊的アサガオ」があって、
それが本当のアサガオであるのと同じように、
人間にも実相人間という人間の本体実在があって、
それが本当の人間なのです。
それは自分の「いのち」でもあり、
「神の子」でもあります。
見えないし、違う次元にある存在ですが、
それこそが本当の自分と思い込んでしまうとよろしいです。
次元が違っていたとしたって
それが現象の自分になっているんだから、
実相人間が自分の本体です。
簡単にいうと
アサガオの本体である実相アサガオという「霊」みたいに
自分が「見えない実相人間」だと決めちゃえばいいです。
自分の本体は「見えない実相人間」と思い込んじゃえばいいです。
「見えない神の子」ってことです。
思い込んだとおりになるのです。
ただの木片の十字架をキリストの十字架と思い込んで
病気が治った人がいるそうです。
本気で思い込んだら神癒は起こると
アディントンも言ってます。
でも人間が霊なる実相人間ってことは真理なので
決めちゃえばいいです。
後は思い込む修行をすればいいです。
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