自分が神の子なのだと
真理的に分っていても、
それが実感としてなければ、
心に完全性の実感が伴わないので、
やはり不安定さは残るのである。
今日は「あ、自分の本体が神なんだな」と
実感できた。
実相神の子が別次元の所にいるなんていうと
ちゃんと理解できない場合には
現象の自分と実相と関係がないみたいで
現象をよくすることもできない。
自分自身が神を本体としているという自覚は
次第にできてきた自覚だから
退転しないはずだ。
人間のタイプとして
少しずつ確実に生長するタイプだし、
また勉強も欠かすことが無いから
自分が神(神の子)なのだという実感は
身に付いたと思っている。
“神の子”の自覚というものが
全てをよくするはずだ。
真理的に分っていても、
それが実感としてなければ、
心に完全性の実感が伴わないので、
やはり不安定さは残るのである。
今日は「あ、自分の本体が神なんだな」と
実感できた。
実相神の子が別次元の所にいるなんていうと
ちゃんと理解できない場合には
現象の自分と実相と関係がないみたいで
現象をよくすることもできない。
自分自身が神を本体としているという自覚は
次第にできてきた自覚だから
退転しないはずだ。
人間のタイプとして
少しずつ確実に生長するタイプだし、
また勉強も欠かすことが無いから
自分が神(神の子)なのだという実感は
身に付いたと思っている。
“神の子”の自覚というものが
全てをよくするはずだ。