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”ケミカライゼーション”との信仰によるたたかい、というのが、 私の人生を云う“一言”である。

2020-09-21 12:54:33 | 日記
私は“楽をしたいと思う者”の代表くらいに、
楽をしたいと青少年時代には思っていたものである。
そんな私に楽には出来ない状態が現われ始めたのは、
20代後半から神経症になったときからである。
その時から人生をとおしての業の自壊が始まり、
何年か毎に大きな状態にそれはなるものだから、
(もっとも私の生活が前へ前へと突き進む生き方だったことの結果による業の自壊ではあったが)、
信仰で自壊作用に立ち向かうというのが、
いつの間にか私の生活スタイルになってしまい、
今日に到っている。
”ケミカライゼーション”との信仰によるたたかい、というのが、
私の人生を云う“一言”である。
もっとも私は勝ってしまった。

(参考 真理第二巻 第14章 処世の要諦について)
 <重荷を避ける者には重荷がやって来る>
 自分に降りかかって来る重荷は、ことごとく自分を強めるためにやって来るのである。その重荷を軽く感じることが出来るまでに自分を鍛えることによって自分自身が高まるのである。若し、青少年時代に、勉強や仕事と云う重荷を避けて楽な生活をしたいと思うならば、その人には又、別な重荷がかかって来るであろう。それは「仕事がない」と云う重荷や、「仕事をする能力がない」と云う重荷や、「生活苦」と云う重荷である。そんな詰らない重荷を背負う位ならば、自分に課せられた仕事や勉強をそのまま素直に受けて、それとしっかり取り組んで力を出すがよいのである。力は出せば出すほど殖えるのであって、やがて重い仕事と思われたものも軽くなるのである。


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