私は神想観を極めて単純化した。
もはや神想観というより、
実相円満誦行に近い。
まず招神歌を唱えるが、
唱えずにストレートに「観」を始めることもある。
神に対することができればいいのだし、
別に生長の家の神と限定することもない。
神様は一つである。
「吾れ今五感の世界を去って実相の世界に入る」と念じ、
神に向かえばそれで可である。
そして
「内」なる神の許に居る自分の本体を、
「神の子円満完全」
「実相円満完全」
と念じる。
自分が神の許にいる“神の子”である、
“神の言”であると、
また
自分が神の許にいる“神の子”なる神であると、
認めるのである。
自分が神だと認めるというのが、
大事な大事な要素である。
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