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この“科学的祈り”によって、人間は万物を支配する権能(ちから)を与えられるのである。

2019-08-29 08:48:22 | 日記

“科学的祈り”(神想観)は

実相を実現する祈りである。

人は

実相世界において万物を支配している、

のである。

<創世記第一章>を旧約聖書から引用しました。

26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。

27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

29 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。

30 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。

31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。》

万物を支配しているのが実相世界に於ける“神の子”のあり方であるから、

人間が実相を顕わせば、

現象においてもそのようになるわけである。

(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)

【マルクス・アウレリュウスは「私達の人生は私たち自身の想念が造るところのものである」といったのである。「人は彼の魂の底深く思う通りのものになるのである」というのは、同じ意味を他の語にて表現した聖句である。人間の関心が、刻下の自分の問題又は困難に釘付けされている限りは、彼が今経験している事柄を、依然として同じ方向に再創造をつづける傾きが一層強いのである。そこで“科学的祈り”によって想念の焦点を“神”に合わすことにするのである。そしてその結果、彼の想念は一段高く新生して、神の無限の智慧、全能の力、及び普遍的愛を現実界に投影し出すことになるのである。この“科学的祈り”によって、人間は万物を支配する権能(ちから)を与えられるのである。この祈りは“父”の有(も)ちたまう全てのものを継承する扉を開くのである。この祈りを通して父のもち給える全てのものは皆あなたのものとなるのである。】


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