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無情説法(実相の説法=縦の真理)について

2013-11-04 17:13:53 | 日記
現象世界には
神の理念が貫かれ、
それが実は実相理念であり、
純粋形相である。
これは「諸法実相」とも言われ
「実相」が現象(諸法)となって
展開しているということである。
正法眼蔵の
「無情説法の巻」には
無情(実相)の説法について
以下のように説いている。

(参考 正法眼蔵を読む 無情説法の巻 谷口清超著)
【<つるが巻きつく>
そこで凡ゆる眼をことごとく学びつくすとしても、なお眼処を体得したわけではないのである。ただひたすら、無情説法を聞くに、眼処をもってすることを学びとれ。それが急務である。今、高祖の言われる本旨は、耳では無情説法を聞くことは難しい、眼で声を聞けよということだ。つまり眼耳の働きを超えるのである。全身で説法を聞く、渾身で聞く、たとい眼で声を聞くということを体得しなくとも、無情説法を無情が聞き得るということが体得できて、はじめて身心脱落する。この道理が嫡々として伝承されている真理であるから、先師天童古仏はこう言われたのであった。
「瓢箪(ひょうたん)のつるは、それ自らの力で、瓢箪にまきつくわいな」と。これが無情説法である。】

私のうちの柿の木には、今柿の実が橙色になって、ついているのであるが柿の実も柿の葉も、現象の柿は、眼に見えない「実相の柿」の展開として現象界に存在しているのである。これが天童古仏の言った言葉の、私の解釈である。

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