“生命の実相”の真理は
珠玉中の珠玉、
他の何にも代えがたい至宝である。
これを求めるに
一生を捧げても悔いはない、それほどの真理である。
世間的な毀誉褒貶は放棄して私はこれを求めるのである。
(人生は心で支配せよ 谷口雅春著作集第10巻)
【真理の自覚は宇宙の法則を唯知的に知ったと言うだけでは足りない。それ以上のものでなければならない。それは真理を奥底から感じなくてはならない。「人は心の底より感ずるところの物となる」それ故に「真理」を情(こころ)の奥底より強烈に感じ得る手段を吾等は熱心に講じなくてはならない。全霊、全感情を真理にうちまかしたような状態こそ何ものにも優(ま)して望ましいのである。吾々は人生をボートに乗った人々に譬えることが出来るのである。ある者の船は岸にしがみついているのに、岩に打ち当って骨端微塵となるのである。又ある物の船は、港の内に波にゆられながら折から吹き来る軽風を帆に孕ませて、他の地点へと舵をとるのである。が、さて到着したところは何処であろう。出発した地点なのである。然るにある者の船は、神と海とに打ち委せて帆をあげると、あたかもよし順風が吹いて来て宝の山へと着くのである。新しき真理に打ちまかせた状態こそ全く必要なのである。半ば真理であると云うことは全然虚偽であることがあるものである。臆病な出発ぶりは失敗の先駆者である。ゲーテはこう言っている。
かように不決断は手間取るほかに何もない
毎日毎日悩みながら、日は失われる。
いよいよ益々吾等が熱情的に健全の大道に身をうちまかすならば・・・すなわち吾等が信仰の海を航海する勇敢さの度が増すに連れて、吾等の成功の確実さの度は増すのである。それ故に、吾等のうちで、真理に対する最も狂熱的な信奉者が神の王国を獲るのである・・・それは勝利の戦いの褒章である。】
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