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復活の質問

2016-08-10 20:28:08 | 日記
<マタイによる福音書第22章>
(22・23―33)復活の質問
(23)復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、その日、イエスのもとにきて質問した、
(24)「先生、モーセはこう言っています、『もし、ある人が子がなくて死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。
(25)さて、わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男は妻をめとったが死んでしまい、そして子がなかったので、その妻を弟に残しました。
(26)次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。
(27)最後に、その女も死にました。
(28)すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんながこの女を妻にしたのですが」。
(29)イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。
(30)復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
(31)また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことはないのか。
(32)『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。
(33)群集はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・前項のパリサイ人に代わって、ここではサドカイ人から死後の生活について質問の矢を受けられた。本書はサドカイ人について少ししか記してないが、サドカイ人は政冶に対しても聖書に対しても保守的な立場で、旧約聖書の正典以外の伝承を認めない。したがって、死後の生活に関する記事がないという理由で《復活ということはないと主張していた》。
・24 兄弟の未亡人をめとることを規定するユダヤ人の慣習法をさす。
・25ー28 実際に死者の復活というものがあるならば、このような不都合なことが生じるであろう。したがって復活の教理は不合理であり、成立しないという論法である。
・29以下32節まではサドカイ人へのイエスの答え。
・29 サドカイ人の論法は、《聖書も神の力も知らない》ところから来ている。なるほど旧約聖書正典には復活の記事はないが、そこには神の全能を示す記事にあふれている。サドカイ人のように聖書の字句にこだわって、その意味を見失ってはならない。
・30 サドカイ人の誤謬は、天国の秩序をこの世の秩序によって判断しようとしたところにある。来たりつつある秩序の中においては、《めとったり、とついだり》ばかりでなく、食べたり飲んだり、売ったり買ったりするようなこの世界をふたたびくり返すようなことはない。《御使のようなもの》霊的存在となり、自分や子孫のために、もはや結婚のようなことを必要としないものとなる。
・31 32 出3・6の引用。そこには神はモーセに、あたかもアブラハム、イサク、ヤコブが生きている人々であるかのように、わたしは彼らの神であると言われている。それは神が永遠者であるように、神の僕も永遠者であるからである。これらイスラエルの族長たちの神は生きた神であるから、神はその僕たちに来たりつつある新しい世界を継ぐ者にしてくださるのである。それが復活である。死すべき人間にとって神は死んだ者の神であっても、生くべき人間にとって神は生きている者の神である。





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