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「太初に言あり」の言が、私たち人間の一人一人に宿っていて、現象世界はその“神の言”の展開である

2018-02-27 10:17:21 | 日記
ヨハネ伝冒頭の
「太初(はじめ)に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」
にある“言”は、私たち総ての人に宿っています。
それが“生命の実相”であります。
ですから現象は生命の実相の展開でありますから、
現象世界は“神の言の展開”でありまして、
現象アサガオが実相アサガオ(神の言)の展開、鳴り響きであるのと
同様なのです。

(参考 ヨハネ伝講義 谷口雅春 日本教文社)
【言は肉体となりて我らの中に宿りたまえり。我らその栄光を見たり、実(げ)に父の独子(ひとりご)の栄光にして、恩恵(めぐみ)と真理(まこと)とにて満てり。
~ヨハネによる福音書第一章14節~
〔雅春先生の解説〕
此処に「コトバが肉体となって“我らの中に”宿っている」と複数になっていることを注意しなければならないのあります。イエス・キリストだけの中にコトバが宿っているのではないのであります。総ての人の中に神の言―仏の名号―が宿っているので、それが肉体の如く現れているのであります。「我ら其の栄光を見たり、実に父の独子の栄光にして恩恵と真理にて満てり」であって、ヨハネは此処に我らの中に「言」即ち如来の「名号」が宿っている、其の栄光を自分は見た、之は父の独子の栄光を見たと云うのである。我らは皆、神の独子だと云う訳であります。独子が沢山あるのであります。独子だと悟らないで迷っている人は、放浪の旅に出ている「放蕩の息子」なのであります。今迄の普通の説き方をなさるクリスチャンは、独子というと、イエス・キリスト一人だけしかない様に思っている。ところがちゃんとヨハネ伝には皆神の子である、皆すべての人間に神の栄光が宿って居る、そうして皆輝いている、皆父の独子であると云うことが書いてあるのであります。】

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