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ヤイロの娘と長血の女(解説含む)

2016-04-12 21:33:48 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第9章>
(9・18―26)ヤイロの娘と長血の女
(18)これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「私の娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい、そうしたら、娘は生き返るでしょう」。
(19)そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。
(20)するとそのとき、12年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。
(21)み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。
(22)イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい、あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。
(23)それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群集を見て言われた。
(24)あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。
(25)しかし、群集を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。
(26)そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・ふたたびいやしの奇跡の記事。ここの奇跡の特徴は、信仰が絶対的に要求されていること。人々の信仰は、いやしを可能とするイエスの力への信仰の程度をでないが、やがて神への信頼を学ぶようになった。
・18 《ひとりの会堂司がきて》ふだんは礼拝の準備や会堂の管理を仕事にしているが、地方の顔役であり住民のうえに権力をもっていた。鬼代官のような人も娘の死にあって動転した。マルコによる福音書では娘は死にかかっているが、マタイは話を簡単にするためすでに死んだことにしている。会堂司の名はヤイロ。彼は死人の復活と言う今まで本書に書かれなかったような事柄について初めて語り、大いなる信仰を表現した。
・20 《するとそのとき》イエスの一行がヤイロの家へ行く途中の出来事。《十二年間も長血を》出血する病気で、らい病と同じく不潔な者として、ユダヤの国民から隔絶されていた。《イエスのうしろから》律法ではけがれた者にふれたものはけがれるとみなされていたため、彼女を控え目にさせた。女の羞恥心も働いたであろう。《み心のふさ》ユダヤの国民は神の律法を日常思いだすために、上着の四すみにふさをつけることがきめられていた。のちにはその起源の意味は忘れられ、装飾になった。
・21 彼女はイエスの衣を最小限度にけがすことで自分の病をいやそうとした。
・22 彼女の手の一触はイエスを彼女のほうへ《振り向け》たほどイエスの心を即発させた。こんなに群集がふれ合っている中で、このようなことがおこった。《あなたの信仰があなたを救った》彼女の信仰が賞賛された。信仰は神学書の中にあるのではなく、人の志向の中にある。しかし彼女がいやされたのは、イエスにさわったからであって、このことなしには信仰的熱心も人を救うことはできない。
・23 は中断されていたヤイロの娘の記事に帰る。イエスがヤイロの家に着くと、《笛吹きどもや騒いでいる群集》がいた。物の本によるとどんなに貧しいユダヤ人の葬式でもふたりの笛吹きとひとりの泣き女を雇わなければならなかったという。
・24 イエスは、少女は《眠っているだけである》と言われたが、当時も眠りは死の婉曲表現として使用された。
・25 死者に無関係な人々を《外へ出した》。そして死者に関係のある人とイエスは《内へはいって》いった。
・26 イエスの奇跡の評判は、彼の意志に反してひろまっていった。イエスの奇跡がもたらした全般的結果がこの言葉に総括されている。

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