真の自由とは
どういうことなのか。
またそれを得るためには
どうすればよいのか。
谷口雅春氏は
次のように書いている。
【神は宇宙の創造の最後の最高の完成者として人間を神の像(すがた)―換言すれば神の完全自由の具象化―として造ったのである。そしてあらゆる万物を支配する権利を与えられたのである。これが真の人間の使命である。この使命を果たす者が、完全な人間であるのである。その完全さを神想観によって自覚する時人間はその実相の完全さを実現することができるのでる。釈迦は『法華経』においてすでに仏であるところの人間を説いたのである。自己の内に宿るところの「真の人間」を自覚する時あらゆる不完全は消え去り、不調和はなくなり、仏すなわちいっさいの苦悩から解脱したところの人間が成就するのである。しかしその自覚を文字の表面に触れるだけですでに得たりと思い、増上漫に陥ってはならないのである。正しき戒律を守ることと、精進努力と、禅定的工夫と、愛行と、忍辱(にんにく)と、真理の書の読誦と、六派羅蜜の修行とが必要である。】(参考 生命の実相第37巻幸福篇上 谷口雅春著)
ところで
私は今、
一生懸命
真の自由を求める努力を
しているのかと思う。
どういうことなのか。
またそれを得るためには
どうすればよいのか。
谷口雅春氏は
次のように書いている。
【神は宇宙の創造の最後の最高の完成者として人間を神の像(すがた)―換言すれば神の完全自由の具象化―として造ったのである。そしてあらゆる万物を支配する権利を与えられたのである。これが真の人間の使命である。この使命を果たす者が、完全な人間であるのである。その完全さを神想観によって自覚する時人間はその実相の完全さを実現することができるのでる。釈迦は『法華経』においてすでに仏であるところの人間を説いたのである。自己の内に宿るところの「真の人間」を自覚する時あらゆる不完全は消え去り、不調和はなくなり、仏すなわちいっさいの苦悩から解脱したところの人間が成就するのである。しかしその自覚を文字の表面に触れるだけですでに得たりと思い、増上漫に陥ってはならないのである。正しき戒律を守ることと、精進努力と、禅定的工夫と、愛行と、忍辱(にんにく)と、真理の書の読誦と、六派羅蜜の修行とが必要である。】(参考 生命の実相第37巻幸福篇上 谷口雅春著)
ところで
私は今、
一生懸命
真の自由を求める努力を
しているのかと思う。
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