(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第11章>
(11・20―24)ガリラヤの不信
(20)それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。
(21)「わざわいだ、コラジンよ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。
(22)しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。
(23)ああ、カぺナウムよ、おまえは天にまで上げられようというのか。黄泉(よみ)にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日まで残っていたであろう。
(24)しかし、あなたがたに言う、さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・前項の今の時代がヨハネまたイエスを受け入れぬことと関連して、ここはガリラヤの町々の不信を責めておられる。
・20 《力あるわざ》奇跡。
・21 《コラジン》カぺナウムの西北へ数マイル、ツロに行く途上にある町。《ベツサイダ》原語の意味は漁夫の家、ガリラヤ湖北岸にある町で、弟子のペテロ、アンデレ、ピリポの故郷。この両地とも当時繁栄したガリラヤの代表的な商業の町であった。これらの町でイエスは宣教と奇跡を行ったが、町の人々は頑迷にも受け入れなかった。《ツロとシドンでなされたら》ともにフェニキアの有名な通商都市、地中海東岸に沿って建っていた。士師の時代にイスラエルはこの町々の偶像礼拝に感化された。イザヤなどイスラエルの預言者はこれらの町々の滅亡を預言している。イエスは一度この地方へ旅行された。《荒布をまとい灰をかぶって》自分の罪を嘆いて悔い改めていることを表明するしるしに行われた。
「荒布」は子羊またはらくだの毛で織った黒色の布で、死者のために哀悼、国家的災禍にあたりざんげのしるしとして腰にまとった。
・23 カぺナウムはイエスのガリラヤ伝道の本拠であったから、町の人々はイエスの言行をよく見聞する立場にあったため、彼らは《天にまで上げられようとでもいう》ような恵まれた環境にいた。しかし実際にはイエスを受け入れなかったため、彼らがいた環境は、かえって《黄泉にまで落される》ものとなった。この町に対するイエスの愛情が聞かれる。ユダヤ人は「黄泉」は死者が眠る暗い地下と考え、ふたたびそこから出てくることができないため非常に恐れられている。《ソドム》ロトはアブラハムと別れ、土地の肥えたこの地に住んだが、そこに建てられた町の住民は罪悪のゆえに、アブラハムのとりなしにもかかわらず、神により天からの硫黄と火とをもって滅ぼされた。
<マタイによる福音書第11章>
(11・20―24)ガリラヤの不信
(20)それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。
(21)「わざわいだ、コラジンよ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。
(22)しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。
(23)ああ、カぺナウムよ、おまえは天にまで上げられようというのか。黄泉(よみ)にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日まで残っていたであろう。
(24)しかし、あなたがたに言う、さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・前項の今の時代がヨハネまたイエスを受け入れぬことと関連して、ここはガリラヤの町々の不信を責めておられる。
・20 《力あるわざ》奇跡。
・21 《コラジン》カぺナウムの西北へ数マイル、ツロに行く途上にある町。《ベツサイダ》原語の意味は漁夫の家、ガリラヤ湖北岸にある町で、弟子のペテロ、アンデレ、ピリポの故郷。この両地とも当時繁栄したガリラヤの代表的な商業の町であった。これらの町でイエスは宣教と奇跡を行ったが、町の人々は頑迷にも受け入れなかった。《ツロとシドンでなされたら》ともにフェニキアの有名な通商都市、地中海東岸に沿って建っていた。士師の時代にイスラエルはこの町々の偶像礼拝に感化された。イザヤなどイスラエルの預言者はこれらの町々の滅亡を預言している。イエスは一度この地方へ旅行された。《荒布をまとい灰をかぶって》自分の罪を嘆いて悔い改めていることを表明するしるしに行われた。
「荒布」は子羊またはらくだの毛で織った黒色の布で、死者のために哀悼、国家的災禍にあたりざんげのしるしとして腰にまとった。
・23 カぺナウムはイエスのガリラヤ伝道の本拠であったから、町の人々はイエスの言行をよく見聞する立場にあったため、彼らは《天にまで上げられようとでもいう》ような恵まれた環境にいた。しかし実際にはイエスを受け入れなかったため、彼らがいた環境は、かえって《黄泉にまで落される》ものとなった。この町に対するイエスの愛情が聞かれる。ユダヤ人は「黄泉」は死者が眠る暗い地下と考え、ふたたびそこから出てくることができないため非常に恐れられている。《ソドム》ロトはアブラハムと別れ、土地の肥えたこの地に住んだが、そこに建てられた町の住民は罪悪のゆえに、アブラハムのとりなしにもかかわらず、神により天からの硫黄と火とをもって滅ぼされた。
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