「静謐(せいひつ)の度が深まるほど、その程度に応じて“霊の網”はひろがり漁獲高が増加するのである。」
と書かれているが、
“此の世には神しか存在していない”という究極の真理は
なかなか「信」にいたるまでが大変なのであるが、
「信」が熟してくると、
静かな確信、静謐といえるような境地に達するのである。
霊の世界に網を張る能力は、
「間断なき祈り」によって徐々に形成される能力であり、
祈らない人には形成は不可能である。
“祈ること”が信仰の中心的な行なのである。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【多くの人達は地上生活の一層の幸福と調和を求めて神想観する、換言すれば物質的な地上的な「善き物」がより多く得られるために、地上に網を一層広げることを念願するのである。しかし地上に網を大きく広げても、多くの魚を漁獲することはできないのである。魚を求めるならば、その魚が肉眼にはまだ見えないでも、海に網を広げなければならないのである。それと同じく、霊の世界の良き物はまだ肉眼には見えないが霊の世界に網をひろげてこそ、やがて肉眼に見える多くの魚(現象的な良きもの)を獲ることができるのである。霊の世界に網をひろげるには、現象的に噪(さわ)いではならないのである。静かなる心こそ、「霊の網」である。静謐(せいひつ)の度が深まるほど、その程度に応じて「霊の網」はひろがり漁獲高が増加するのである。】
でもこの真理を拡大するならば、
霊の網を広げることを怠らないならば、
現象の漁獲高も増加するわけだから、
その点も安心していてよいのである。
霊の網を広げることを怠らないならば、
現象の漁獲高も増加するわけだから、
その点も安心していてよいのである。
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