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我の力は行きつまり、神にふりむく機会を得る。その時祈りによって神と自分とが一つになることによってのみ、それを解決する所の無限の力を神から与えられるのである。

2021-04-04 10:10:09 | 日記
我の力は行きつまり、神にふりむく機会を得る。その時祈りによって神と自分とが一つになることによってのみ、それを解決する所の無限の力を神から与えられるのである。
(祈りの科学 谷口雅春)
【問題が吾々の人生に起って来る毎に、それを我の力で解決しようと思ってはならないのである。我の力はくだける。我の力は道を失う。我の力は行きつまる。吾々は我の力で行きつまることによって、神にふりむく機会を得るのである。その時祈りによって神と自分とが一つになることによってのみ、それを解決する所の無限の力を神から与えられるのである。
「神は吾が手をとりて平和と愛と豊かなる恵みの世界に導き給う。」常にかく祈りかく念ずることが必要である。】
迷いも悟りもあるのは、
人は「始めから悟っている存在」であるからなのである。
このことに、
つまり人間は“神の子”(神)であると、
気づくために迷いはあるように見える。
「人間我」ではだめであり「神我」なら真の幸福が得られる。
「迷いの行き詰まり」の見方、捉え方が
大事なのである。
「物質有り」の観念が迷いの根本だ。
「人間我」の無力さを
失敗において学ぶことが大切だ。
少しずつ神を知ることになる。
 

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