上発地村から

標高934mぐらい日記

いわんや悪人をや

2011年11月24日 | Weblog
朝ワラを切りに堆肥置き場に向かった。
さて切ろうかと思っていたところ携帯が鳴る。

「堆肥散布に来ますよね?」

忘れていた。 農作業は天気とのかね合いもあるので予定は未定、臨機応変なのだが
最低限のラインは守らないといけない・・・

今日はベテランオペレーターと二人一組での共同作業となった。
堆肥を積む人とそれを畑に撒く(まく)人の作業分担だ。俺は撒く人係になった。
普段自分の畑にまくのは結構いい加減なのだが、今回は受託作業で労賃をいただく仕事
丁寧にプロの仕事をせなばならない。

相方の先輩は丁寧な仕事をする人なので、どうも俺のやり方が気に入らないようだ。
まあ無理もない。B型のせっかち、年に1週間ぐらいしかやらない作業、慣れた頃にはいつも終わっている

そんな作業をしながら人間の個人特性についてぼんやり考えてみた。

丁寧な人と雑な人 どっちがいいのかと考えるに、まあ丁寧なのがいいだろう。
作業が速い人と遅い人は・・速い人がいいだろう。ということは丁寧で速いのがいいということになる。
丁寧で速いと時間給の場合賃金が減るが、周囲の人間に対しての評価は上がる。
賃金は減るが、その後の仕事をもらえるということだから、長い目で見れば良い方に転がる。

先日「悪人」という邦画をテレビで見たのだが、どうも何かが心のどっかに引っ掛かったままになっている。

善か悪かなんて簡単に分けられない、ていうか、そもそも善とは?悪とは?
利害が絡めば立場によって人が自分勝手に善悪を決めつける。
そうでなくても勘違いしたり、錯覚したりすることもあるのだ。
自分は正しいと錯覚せず、自分は「グレー」と思ってたほうが大きくOBしなくて済むような気がする

  俺はなぜだか「いい人に見られたい」ようだ。

世間で言ういい人になるためにはかなり自己犠牲出来る人でないといけない。
金銭的に余裕のある人は他人に対して金銭的自己犠牲しやすいし、精神的自己犠牲も多少出来ると思う
自己犠牲が純粋?な場合もあれば、最終的に自分に帰ってくるように無意識にしている事もある。
そもそも純粋な自己犠牲なんてあるのか疑問だが、そこはあるとしておこう。
そうじゃないと味気なくなってしまう・・・

そろそろ「悪人」を過剰に演じて、「なんか思ったよりいい人そうね・・」みたいな印象操作してみようか・・

善人なんてその程度のもんだ。

  今日の一席 立川談志 落語のまくら (一席じゃないけど)
  http://www.youtube.com/watch?v=4ANzaKB63VY


毒舌を吐きながら悪人のふりしてみんなに問いかけたかったんだろうな・・・
立川談志さんは悪人でも善人でもなくすばらしい落語家さんでした。

    ご冥福をお祈りいたします。

  


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