上発地村から

標高934mぐらい日記

遥かなる雲南の旅 十五幕(勐拉温泉からタイ族の村巡り)

2018年05月30日 | Weblog
ヤオ族のおばさんを降ろしたあと輪タクは検問所にさしかかった。竹でできたバーが道をふさいでいる。横の小屋からおばちゃんがやってきて何やら運ちゃんと会話し、竹のバーが手動で上げられた。どうやらここが勐拉温泉の入口、ここで温泉入場料を払うらしい。S氏がお金をおばちゃんに渡し僕らは駐車場らしき広場で輪タクを降りた。川を渡りブーゲンビリアのアーチを抜けると緑色の池のようなのが現れる、どうやらここが温泉らしい。入浴客はまばらで向こう岸(向こうの浴槽の縁)に水着を着たちょっと太めのおばちゃん達が二人ほど座っているだけだった。小学校の25mプールぐらいの広さだろうか、たぶん縁から大きな木が覆いかぶさるようにせり出しているのでその反射もあって温泉全体が緑がかって見えているようだった。木陰の温泉は南国のリゾートスパって感じで、S氏はたまらず靴下を脱いでさっそく足を湯舟に漬けている。俺も一緒になって靴下を脱ぎ温泉に足をつけてみた。温度はぬるめ、こんな感じだったら一日中のんびり入っていられそうだ。ただ混浴ということもあり全身入る場合は水着を着用しなければいけないみたいだった。S氏はこの感動をすぐ伝えねばと思ったらしく、足湯しながら愛妻に国際電話をかけていた。(いまどき国際電話っていうのかどうかわからんが)
温泉施設っていうと日本ではもっと大々的に展開するはずなんだろうけど、ここは穏やかな佇まいだった。そもそも中国では温泉文化っていうのがあんまり盛り上がっていない気がする、だいたいこっちに来てからバスタブのついたホテルの部屋なんて一つもなかった。
「いつも冷え性がひどくてなんとかならないかなって思ってるんだけど…」っていう女性の友人がいたんだけど、彼女は冬でもシャワーしか使っていなかったらしい。とにかく灯油代がかかろうが何しようがお風呂にちゃんと入るべきと強く説得したら、そのあと風呂に入るようになったらしく、いくらか冷え性が改善したって言ってた。とにかく風呂に入ってカラダを温める行為っていうのはどんな健康法を試すよりもまず先にやるべき事なんだと思う。風呂に入る習慣が日本人の長寿を支えてると言っても過言ではないはずだ。
とはいえ僕らはリゾートを求めて雲南に来てるわけではないのでここに長居するつもりはなかった。足が温まったところで靴を履き、来た道をのんびり歩いて戻りながら途中来た村を散策することにした。ここらへんもバナナの木がちらほら見受けられて中には食べなれた大きさになった房状の青いバナナがたわわになっている。小学校のころ教師が「目の前にバナナがなってればとりあえずはそれ食べて生きていられるからいいなぁ」みたいなことを言っていたがそれもどうなんだろうとこれを見て思う。バナナって野生にあるもんじゃなくて人間の手がガッツリはいって無理やり栽培されてるものなのだ。のんびり南国それすなわちスイートバナナって思っていたらそれはかなりの思い違いと考えていい。
道端にはこんな田舎にも携帯電話の鉄塔だけはしっかりあって、S氏は心置きなく国際愛妻電話をかけることが出来ている。民家のブロック塀には相変わらず性病科病院の広告、ここでは婦人性病科ってなってたが大筋は一緒だ。
心理学者のアドラーは「すべての悩みは対人関係の課題である。」としているが、たしかに人と交わらなければ性病もうつらないし色んな人間関係の摩擦も起きない。ただ人は誰かとかかわらないと生きていけないし、かかわりの中で喜びも悲しみも怒りも性病も貰い受けるのだ。とはいえコンドームをしっかり使って交わったほうがゼリーが塗ってある分摩擦も少ないだろう。人間関係はべったりするよりは、薄皮一枚隔てたほうが上手くいくことだってあるのだ。薄皮一枚ぐらいじゃ相手に失礼ってことは無いだろうと思うのだが…
ぶらぶらと緩い下り坂を歩いていくと左手にきらびやかなタイ寺院が見えてきた。取り囲む塀にはブーゲンビリアが垂れ下がっていて、お寺の華やかさを一層際立たせている。門も美しい金で塗られていて何層にも庇が重なっている。門のてっぺんにはシルバーの尖がった飾りがついていてなかなか美しい。「勐拉大佛寺」と書かれてあるその門をくぐり抜け、靴を脱いで本堂に入ってみた。お坊さんは常駐していないようだったが、本堂の中心には金色の大仏様が安置されていて厳かな雰囲気が漂っている。こういう場所っていうのは日本でもそうだが実に清々しい気持ちになる。日々の生活空間とは違うこういう異空間が時に必要なのだろう。
寺を後にするとすぐ近くに集落があった。おじさん二人が山から切り出してきた孟宗竹を鉈で割って何かの資材にしていたり、水牛が家の軒先で水桶の水を飲んでいたり、大量のバナナの房を日陰に置いて荷積みを待っているおじさんなんかを横目に集落の路地に入って行ってみた。するとおばさんが家の外で糸車を回し糸を紡いでいた。その横では違うおばさんがその糸を使って反物を編んでいる。これはこれは!と近づいていきS氏の通訳で見せてほしいとお願いして家の敷地に入らせてもらった。するとそこん家のおじさんもやってきて僕らにきゅうりの皮を剥いてごちそうしてくれた。いまどきというか、日本でもデモンストレーションでなくガチで糸を紡いでいるところを見たことなかったので自然と興味がそそられた。隣の家を覗くと今度はバナナを回転式のスライサーで削っているお兄さんがいて、隣ではそのオヤジさんであろうおじさんが竹を薄く裂いた材料でラグみたいなのを五畳ぐらいまで編み進めていてこれからまだまだ伸びていく感じだった。ここでも見学させてもらってる僕らにバナナやもち米の粽(ちまき)をふるまってくれた。使い古しのペットボトルに入れた水はさすがに遠慮したけど、こういうおもてなしを受けるのは本当にうれしい。人との交流が旅一番の楽しみだっていうのはS氏のほうがことさら感じてようだった。ちまき親子にお礼を言って村内をさらにブラついていると今度は機織りしているおばさんに出会った。とにかくみなさん家の軒先みたいなところで作業しているので、ぶらっと歩いているとそういうことになるのだ。
日本は屋外と家屋っていうのがしっかり分けられすぎていてこういう出会いが街を歩いていても少ない。冬が寒いのでどうしてもそういうスタイルになってしまうのだろうけど、昔の百姓家のように「土間」っていう空間が家の中にワンクッションあると、もっと外仕事に対して活動的になれるんじゃないかと思う。オープンカフェが都会で流行ってるのも(流行ってるんだっけか?)そういう気分に都会人がなってるからなんだと思う。無理にアウトドア志向になってグランピングしなくても、普段の生活から屋外と家の中とのつなぎ部分を意識していればもっといいライフスタイルになるような気がするのだが。こっちにきてから田舎ではみんなどんぶり持って外でメシ食ってたもんな…(まさにスタンディングオープンカフェだ)
機織り機はその辺の材木を拾ってきて組み立てたようなもので大雑把な造りだった。日本で見るようなカチっとしたものではないけれど、操作方法や仕組みはまるっきり同じ、ということは機織り機っていう道具も究極形になっていて、もうこれ以上進化すんの無理!っていうところまできたのだろう。十里村では落胆させられたこともあったのだが、このタイ族の村にきて少しだけ穏やかな気持ちになった。家内制手工業がまだ経済をしっかり担っていて、エキジビションでない丁寧な暮らしがここにはちゃんと残っている。プラスチック文明と程よい距離感を保って生活しているタイ族に自分の田舎での暮らし方のヒントを見つけたような気がした。ここにはゴージャスは無いけど極度の貧困も無い。ただ日本の田舎者がこの村を覗かせてもらってああだこうだいうのも甚だ不遜ではあるのだけれど…
タイ族の村を後に僕らはホテルへ戻ることにした。途中オレンジ色の三輪トラックを捕まえヒッチハイク、荷台におばさんと相乗りになって三人とも激しく勐拉の町まで揺られていった。町はずれで降ろしてもらい運転手にお礼のお金を払おうとするも彼は「いいよそんなの!」と言って受け取ろうとしなかったがS氏はなかば強引に紙幣を彼の手に渡した。ホテルに帰る途中でアイスを買い食い、ビールとつまみも買って一休みの体制を整えた。到着してすぐビールを開け、いつものテラスに行って本を読みながらのんびりした。中庭では若いお父さんが三輪リアカーにタンクを積んで何やら液体を運んでいた。ちっちゃな男の子がリヤカーにつけられているヒモを引っ張ってお父さんを手伝っていてなんともかわいい。
読んでる本はジェーン・スー著「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」全くここの雰囲気とかけ離れた内容なのだが逆にギャップ感満点で面白い。半分ぐらい読んだところでビールの酔いが回ってきたらしくテラスの椅子に座ったまま石でできた広めの欄干に突っ伏して寝てしまった。風がちょうどよくて気持ちよかったのも手伝っていた。S氏も部屋で一眠りして次の行動に備えていた。
夜の七時半ごろホテルを出て夕食を食べに出かける。食堂に行く前にスーパーマーケットでお土産を物色、目星をつけておいてからその後食堂に入って夕食をとった。いつもはS氏にメニューの選択を任せていたが、今回は最後に自分の意思も主張し、牛センマイとセロリの炒め物を注文し、北京の燕京ビールも頼んで勐拉最後の晩餐を堪能した。薄口のビールもなかなか良くて料理にバッチリ合っていた。ただ「老百姓飯館」っていう店の名が少し気になっていた。老とは古い、百姓は人々と訳されるのだが、日本語と中国語は漢字っていう共通部分がありつつも全く意味が通じないっていうのが逆に厄介だなって思う時
がある。それが相互の誤解を生んでいる発端になっているのかもしれない。

まあそんなこんなで勐拉の夜は更けていった。いよいよ旅もフィナーレに向けて残すところあと僅か、もうここまできたら多少の誤解や偏見や思い込み、羨望、郷愁、名残惜しさといろんな感情全部ひっくるめてスパートしていくしかないだろうとちょっとやけくそにも似た気持ちになっていた。

あとすこしだけつづく… とりあえず終わらせないとけじめがつかず心の収まりが悪いので…






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