ヴィヴィアン リー [ポスター]
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映画「風と共に去りぬ」を見た。スカーレット、ビビアン・リー。昔、(高校生頃?)この小説を読んだ記憶があり、その頃はスカーレットをそれほど好きでなかった気がするのですが、その頃彼女は超わがままなだけのお嬢さんに見えて、優しいメラニーの方に好感が持てたのです。今頃になって、先日この「風と共に去りぬ」の映画を観たのですが、年のせいか人生に疲れてきた?せいか、・・このスカーレットの魅力的なこと! スカーレット・オハラは美人なだけじゃない。
風と共に去りぬ 価格:¥ 2,100(税込) 発売日:1998-12-18 |
南北戦争前後のアメリカ南部。ビビアン・リー演じるスカーレットという令嬢の、いい意味での我の強さにまず圧倒されてしまいました。彼女は自分が愛しているアシュレーが従姉妹メラニーと結婚しても、それでも彼は本当は自分を愛しているのだと、無邪気に思いこんでいる。しっかり勘違いしている。アシュレーは(スカーレットの強さや美貌に魅力に感じてはいるが)真剣にメラニーを愛しているのに。
南北戦争がはじまり、南部の敗戦が濃厚になった頃、アトランタは町中に負傷者が溢れ、戦火がすぐそこまで迫っていた。スカーレットは、身重で移動できないメラニーのために、「アシュレーと約束したから」とアトランタに残る。とことん切羽詰まった状態で、医者なしでメラニーの出産を成し遂げ、レット・バトラーの助けを借りて、瀕死のメラニーと赤ん坊を馬車にのせ、陥落するアトランタから脱出。途中でレットが「南部のために闘う」と言い出して、スカーレットたちを置き去りにした後も、彼女は雨の中、疲れた馬を引き、メラニーと赤ん坊を守り通して故郷タラにたどり着く。故郷タラにたどり着くまでのスカーレットには本当に感動!
たどり着いたタラで荒れ果てた我が家。母はチフスで死亡、父は苦労で心を病み、食べ物もなく皆が疲れ果てて絶望の中にいる時、彼女はタラの土を握りしめて「・私は決して負けない。二度と飢えさせません、身内の誰一人も。・」と誓う。
生きていれば誰でも、病気だったり怪我をしたり精神的に疲れていたり、いろいろな状態のときがあるものですが、スカーレットを見ていると、ただ生きているだけの消極的な状態がほとんどなかったように思う。平穏時はアシュレーの愛を貪欲に求めていたし、戦争の時もどんな時も彼女は強烈に「生きる」意思をもっていた。生き抜くことが彼女の「生きる」ことだった
スカーレットが多くの人を魅了するのは、彼女にはごくあたりまえのようにどんな苦難にも負けない意思が備わっていること。彼女は我が強く、欲も深かったりするのだけれど、彼女の強い意志は、欲のためにやっていることでも結果的に周りの人を助け周りの人々を未来に導く。そういうスカーレットを一番理解していたのはメラニーだろうと思う。彼女は「生きる」ことに伴う喜びや悲しみや困難さ、ときには残酷さなど、どんな要素も否定しないで立ち向かう「生き抜く」人である。
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そんなに前の映画なのですね。そんな風には感じませんね。
(以前に「華麗なるギャッツビー」の映画を見て<こちらは1920年代の設定で1970年代製作>、日本では戦前の時代のアメリカの先進ぶりにびっくりしたことがありました)
これは南北戦争の頃、というと、日本では幕末ですね。
黒人の乳母はまるで実母のごとく家の柱のごとく、でしたね。
心を病んだお父さんと荒れ果てた我が家を前にしてのスカーレットの強さに感服しました。
親を守らなければならない年頃になっている自分とつい比べたりして、ぜーーったい無理なんて思ってしまいまして。それから、日本の家族意識は希薄になっているなあ、とも感じました。
男性と女性では受け止め方が違うと思いますが、思春期に出会ったこの作品には、少なからず影響を受けたと思います。ビビアン・リーのキュートさは、美貌を備えたお嬢様の気位の高さを好演し、レッド・バトラー船長を演じた...(年のせいか名前をド忘れ)もどの出演者も好きですが、私は乳母の黒人女性の存在が印象的でした。しばらく忘れていましたが、又読み返したくなりました。思い出せて下さって有難う御座います。
因みに、ビビアン・リーがキスシーンではバトラー船長の口臭に辟辟したと語っていた記憶があります。(笑)