大阪泉州地区に岸和田城があり、だんじり祭や桜の季節に何度か訪れている。
久し振り桜の満開に合せて岸和田城に行く、薄日が射す感じの天候の中だったが・・・
段々雨の地域が広がってた、4月8日に行く。
現場に着いたときは、曇天になっていたのが残念でした。
晴天になることを期待して行ったが・・・残念。
だんじり宮入の神社
岸和田城の歴史の背景
大阪府岸和田市岸城町にあった。
縄張りが滕(ちぎり)に似ているところから別称を千亀利城という。
本丸・二ノ丸・三ノ丸と総曲輪からなる臨海の平城で、総面積約七万二千坪
建武年間(一三三四―三八)楠木正成に属した和田新兵衛高家が構えたのがはじまりというが、
その規模や位置は明らかでない。
以来細川・三好・松浦と城主をかえたが、織田信長の上洛後はその代官がいた。
ついで豊臣秀吉は中村一氏をここに居らせ、紀州攻略の前線基地とした。
天正十三年(一五八五)小出秀政が中村氏に替わり、大いに築城の工を起した。
小出氏三代ののち丹波篠山からの松平康重を経て、
寛永十七年(一六四〇)岡部宣勝が摂津高槻から六万石(のち五万三千石)を以て
封じられ幕末に及んだ。
この間文政十年(一八二七)落雷のため天守を焼失し、
さらに廃藩置県後、旧建物は取り潰されたが、
昭和二十九年(一九五四)本丸に鉄筋コンクリートの天守が再建された。
城地は現在市庁舎・学校その他、この地方の政治文化の中枢となっている。
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