顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

佐竹領西方の軍事拠点…檜沢城

2019年05月26日 | 歴史散歩
最近その存在が明らかになってきた檜沢城は、常陸大宮市下檜沢字館にある山城です。
領地支配のための城というよりは、この地方の西隣に勢力を持つ那須氏の一族が治める烏山城が直線距離で約17km先にあり、16世紀半ば頃には佐竹氏との幾度かの攻防戦が繰り返されており、その兵を動員する拠点として在番していたいわゆる檜沢衆が詰めていたという説が有力なようです。この地方では最大規模でしかも急峻な自然の中で遺構がしっかり残っている謎多い城跡です。

地形図にいろんな方の縄張り図を参考に到って大雑把にはめ込んで見ましたが、標高約210mの本郭から約130mの居住館と思われる平地まで、高度差約80mの急な斜面に段々状に曲輪が築かれています。

一番下の館跡と思われる平坦な郭は南北約50m、南側は崖、北側も急な斜面が沢に落ち込んでいます。

館跡の北側は急な斜面が沢に落ち込んでいます。

館の郭の上方には5,6段の郭が階段状に並んでいて圧巻です。

階段状の郭の西側には堀切があり、南北に掘られた竪堀に繋がっています。

堀切を越えた狭い郭の先にはまた堀切が設けられており、南側で竪堀に落ち込んでいます。

郭の手前は急峻な切岸で、登るには地元の方が設置してくれた虎ロープがとても役に立ちました。

本郭は南に向かって緩やかな階段状の3郭に分かれています。

本郭の南側には腰曲輪が廻されて要所に竪堀が設けられています。

本郭の西側には2重堀切がありそれぞれ竪堀に繋がっています。この先の尾根上の三角点291mが下檜沢館です。物見や狼煙場の役目をしたといわれます。

郵便局先の緒川にかかる橋から見た檜沢城、真ん中の平坦地が館跡、左の山のピークが下檜沢館です。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿