顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

暑中お見舞い申し上げます

2021年07月27日 | 日記

いろいろありましたが、開催された東京オリンピック2020がいま熱戦たけなわです。
先日の新聞で浅田次郎氏の論理的な五輪無観客肯定論を読むと、単純な構造の頭脳ではこの時期に開催することの疑問も霧散し、一生懸命プレーしている選手をTVの前で夢中で応援している単なる日本人になっていました。


コロナ状況下での今回の五輪は、よく100年前のアントワープ五輪(1920)に似た状況だといわれています。当時スペイン風邪は収束に向かっており、開催地ベルギーの感染はそれほどひどくなかったようですが、第一次大戦からの復興もままならず盛り上がりに欠け惨憺たる状況だったようです。それでもクーベルタン男爵の強い意志で、「平和と復興の祭典」として開催されました。
しかしそれから1世紀、いまや五輪そのものが商業化され、テレビ放映権などを伴う巨大ビジネスになっており、多分中止という選択肢はないのかもしれません。バッハ会長は「東京大会がパンデミックのなかの明るい兆しになる」という言葉を残していますが…。


今まで夏季五輪に影響を与えた出来事を列挙してみると、戦争で中止になった大会などいろいろあるので、決して今回が特別だったわけではありません。

第6回 1916  ベルリン(ドイツ)  第一次大戦で中止
第7回 1920  アントワープ(ベルギー)  4500万人もの死者が出たスペイン風邪
第12回 1940  東京(日本) 東京からヘルシンキに変更になるも第二次大戦で中止
第13回 1944  ロンドン(英国) 第二次大戦で中止
第14回 1944  ロンドン(英国) 日本とドイツは招待されず
第20回 1972  ミュンヘン(西独) ゲリラによる選手団襲撃、17人犠牲
第22回 1980  モスクワ(ソ連)  日米や西側諸国がボイコット


ところで、英国では一日の感染者が3万人もいるのに、マスク着用やソーシャルディスタンスの義務や、集会、イベント、飲食店などの自粛などを解除されたとのニュース…、ワクチンの効果で死亡率や入院患者数が激減したからということです。多分、恐れるに足らず、インフルエンザの一種に過ぎないとの認識に至ったのでしょうか。
ジョンソン首相は、「われわれはウイルスと共存することを学び始めている、今後は法律による強制より、確かな情報に基づく個人の判断が重要である」と話しています。

日本でも秋の終わりくらいには、ワクチンの接種も希望者には行き渡り、同じような心境になっているかもしれません。仙人も間もなくファイザー製の二回目を接種いたします。


先のことは分かりませんが、まだまだ収束には程遠く、暑さも続きますのでどうぞ体調には充分お気をつけください。

茂木町の滝2題…そして細川興元の墓所

2021年07月23日 | 歴史散歩
人影のない涼しい場所を求めて、隣接する栃木県の茂木町にある滝をふたつ回ってきました。

「馬門(まかど)の滝」は国道123号線沿い、道端に車3台くらいの駐車場があります。調べてみると馬門(まかど)という地名は他所にもあり、マカ(曲)・ド(処)という意味とか、ここも川が曲がったところということでしょうか。実際にこの逆川(さかがわ)は、滝の手前で向きを180度変え、約4km先で那珂川へ合流します。

駐車場の下に滝を見下ろす観瀑台があります。両岸に安山岩が切り立つ天然の岩滝は高さ7.6m、幅27.3m、傾斜した川床や岩盤の上を滑るように流れ落ちていく滝は渓流瀑というそうです。

かっては上流に魚が遡れなかったので、「魚止めの滝」ともよばれていました。大正時代にはここに水力発電所があり、この地区に初めての電灯を灯しました。

そこから直線距離で約6Kmのところにある「坪渕の滝」です。8台くらい停まれる駐車場から見下ろすと竹林越しに滝が見えます。

最近知られるようになった滝で、かっては生い茂った竹林の中にあり地元の人も音だけしか知らない幻の滝だったそうです。案内板などはほとんどありませんし、滝に下りる道にも勇気が要ります。

この竹原川も那珂川の支流で、落差約10mの岩盤を斜めに流れ落ちるこのような滝は、渓流瀑の中でも斜瀑というそうです。

この竹原地区は竹林が多く「かぐや姫の郷」とよばれ、ブルーベリー農園などもありますので、滝への通路の整備もお願いしたいと思います。


ところで、国土地理院の地形図の滝とは、高さが5m以上で流水が急激に落下する有名で好目標となる場所をいい、滝の幅が20m未満のものは滝(小)、20m以上のものは滝(大)の記号で表示すると載っています。

上の図で「馬門の滝」は滝(小)の記号、近辺の「袋田の滝」は滝(大)の記号で、「坪渕の滝」は知られていないせいか、滝の名前も記号も標示されていません。


九州の大大名細川家の一族で茂木藩細川家の菩提寺、曹洞宗塩田山能持院が近くにあるので寄ってみました。

もともとは鎌倉初期に八田知家の三男知基が茂木城の鬼門除けに建立しました。茅葺きの山門は江戸時代に手が加えられていますが、室町中期に再建された当時のものとされています。

江戸時代、茂木藩初代の細川興元は、大河ドラマ「麒麟がくる」に出てきた明智光秀の盟友、細川藤孝(幽斎)の次男で、始め父や兄、忠興と共に織田信長に仕え、その後豊臣秀吉、徳川家康に仕えて武功を上げましたが、豊前、豊後39万9000石の大守となった兄、忠興と不仲になり、徳川秀忠が興元に10万石を与えようとしたところ、不仲の兄、忠興の反対で茂木1万石になったといわれています。後に大坂の陣の戦功により常陸国に6,200石を加増され拠点を谷田部に移し、谷田部藩16,200石として廃藩置県まで存続しました。

なお、細川忠興の正室は、明智光秀の娘、玉子(細川ガラシャ)で、興元は義姉の影響や高山右近の勧めもあり家臣5人とともに洗礼を受けてキリシタンになったといわれています。

両側に石灯篭を配し墓の石の代わりに杉を植えた珍しい墓が歴代藩主の13基並んでいて、初代細川興元の杉は、若木が植えてありました。一帯は蝉の声も聞こえない静寂の空間でした。

茂木城については、拙ブログ「鎌倉時代から400年…戦国の山城、茂木城  2018.7.18」で紹介させていただきました。

大洗磯前神社…海沿いに4つの鳥居

2021年07月18日 | 歴史散歩

大洗磯前(いそざき)神社は太平洋に面した高台にあり、古くは薬師菩薩名神と称され医薬や疾病平癒、近年では豊漁や航海安全、家内安全の守り神として信仰を集めてきました。
祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日に神社下の岩礁に降臨したと伝わります。大己貴命は大国主命(おおくにぬしのみこと)とも呼ばれ、出雲大社の主祭神です。

一の鳥居は昭和38年竣工の鉄筋コンクリート製明神型で高さ16.5m、扁額には二品親王熾仁書と書かれています。
有栖川宮家の第9世、熾仁(たるひと)親王は17歳の時に孝明天皇の妹、和宮親子内親王と婚約しますが、公武合体策で和宮は14代将軍の徳川家茂と結婚してしまいます。その後の戊辰戦争で親王は新政府の東征軍大総督となり、倒幕の指揮をとるという皮肉な運命に翻弄されました。

神が降臨したと伝わる、神社直下の磯の上にある「神磯の鳥居」です。光圀公がこの景観を「あらいその岩にくだけて散る月を 一つになしてかへる浪かな」と詠んだ歌が残っています。
ここは初詣の絶景ポイントとしても知られ、元旦には宮司以下神職も神磯に降り立ち初日の出を奉拝するそうです。

二の鳥居も明神型で高さ10m、扁額は同じ熾仁親王の書です。これより急な階段を90段登り海抜26mの境内に入ります。



彫刻で飾られた随身門の頭貫の木鼻は「籠彫」という透かし彫り、正面と背面の蟇股には祭神に因み「因幡の白兎」が彫られています。

随身門から三の鳥居越しに海が見えます。神紋は十六菊と右三つ巴です。

社殿は永禄年間の兵乱で焼失したものを、水戸藩2代藩主光圀公が元禄3年(1690)造営の工を起し、3代綱篠公が享保15年(1730)に現在地に遷座したと伝わります。拝殿は入母屋造銅板葺き、正面に千鳥破風、1間の向拝軒に唐破風が付いています。

茅葺きの本殿は、美しい曲線の一間社流造(いっけんしゃ・ながれづくり)です。

境内に錆び付いたり、貝が付いた錨などが納められていました。漁に関係する水の神様は、金属が嫌いとされており、魚網に引っかかった金属類はここに奉納してお祓いを受けるそうです。
捕鯨砲も置かれていてびっくりしました。

神社を取り囲む松林の中に磯節発祥の地の碑が建っています。

三大民謡といわれる「磯節」は、地元の漁師達に唄い継がれてきたものが座敷歌になり、水戸出身の第19代横綱「常陸山」がマッサージを頼んだ関根安中の節まわしと唄声に惚れ込み、巡業の際に同行させて各地で磯節を唄い、全国に広まったといわれています。

松林の中で咲いていた野草です。

ハマナデシコ(浜撫子)は名前のとおり本州から九州の浜辺に生えるナデシコ科の多年草で、つやのある肉厚の葉が特徴です。

同じ場所にカワラナデシコ(河原撫子)も群生していました。河原や草原に咲くとされますが、海辺にも進出して咲く姿は、さすが別名大和なでしこの花言葉、「可憐」「大胆」そのものです。

こちらはひっそりとウツボクサ(靭草)、拙ブログで前回も取り上げました。海辺の松林の中では青紫の色がより鮮やかに感じました。

さて、この一帯は22日より1か月間、海水浴シーズンを迎えます。コロナ感染対策で県内18の海水浴場はほとんど閉鎖になりましたがこの近辺の3場は開設されるようです。地元のいろんな事情はあるでしょうが、首都圏からの海水浴客が集中するのでは!?…我ら世代はとりあえず近づかないようにするしかありません。

季節の花…公園の水辺にて

2021年07月14日 | 季節の花
もうすでに接種率70%以上といわれている、コロナワクチンの高齢者1回目接種を、かかりつけの内科医院で昨日済ませてきました。
接種を済ませても、相変わらず近くの公園などの彷徨です。今回は水辺の植物を撮ってみました。

ミズキンバイ(水金梅)は抽水性(根が水底にあり茎や葉の一部が水上に出ている)の多年草です。現在自生が確認されているのは千葉、神奈川、高知、宮崎のみといわれ、絶滅危惧種に指定されています。

自生地でも水質の悪化や農薬などの影響で急激に減少していますが、ここは湧水を利用した公園の水辺なので、最近どんどん増えてきました。
特定外来生物で駆除が厄介な「オオバナミズキンバイ」との見分けが難しいのですが、葉が幅広で毛が無いことからミズキンバイで間違いないと思うのですが…。

ユリ科ワスレグサ属の野草でこの時期水辺で目にするノカンゾウとヤブカンゾウは、古来より花の美しさを見ると憂いを忘れるといわれ、忘れ草という名で万葉集にも5首詠まれています。
ノカンゾウ(野萱草)は一重の花です。

八重がヤブカンゾウ(藪萱草)です。


イネ科の水辺の植物、ミクリ(実栗)です。名前の通り栗のような形の実が雌花、茎の上の方にある小さな蕾が雄花です。

ガマ(蒲)の穂、このフランクフルトのような花穂の上部が雄花、下部が雌花の集合体です。因幡の白兎の「がまの穂綿にくるまれと~♫ 」のメロディが浮かびますが、実際この花粉は止血、外傷治療の「蒲黄」という生薬だそうです。

水辺に気根を出しているラクウショウ(落羽松)の実、面白い形のため子供たちが拾うと、強い脂分で手がべとべとするので要注意です。

湿地が好きなミソハギ(禊萩)は、花穂で水をふりかけ禊ぎに使ったことからの命名ですが、最近まで恥ずかしながら味噌萩だと思っていました。

水辺が多い公園でよく見かけるオニクルミ(鬼胡桃)の実が大きくなっています。固い殻の中の濃厚な実は、取り出すのが一苦労です。

強行開催のオリンピックも間もなく無観客での開幕です。おそらく歴史に残る希有の大会になるでしょうが、一方英国でのヨーロッパサッカー選手権、米国での大リーグオールスター、何万人というマスクなしの観客の熱狂ぶりを見ると、国民性の違い、ワクチン生産国の自信などいろいろ考えてしまいます。しかし、われらが大谷のオールスターでの活躍には夢中になりましたが…。

まもなく梅雨明け…季節の色を探して

2021年07月10日 | 季節の花
オリンピック開幕を控えて東京都にまた緊急事態宣言が発令されてしまいました。せっかく万全の準備をして造り上げた国立競技場も、無観客での開閉会式とは虚しい限りですが、結局コロナに打ち勝てなかったということ、仕方がないとしか言いようがありません。

今年の梅雨もまた大きな被害を与えて間もなく終わろうとしています。おそらく忘れられない夏になるでしょうが、せめて変わらない季節の色を偕楽園公園に探してみました。

この賑やかな実は、ウワミゾザクラ(上溝桜)です。青い実は塩漬けにして酒の肴に、熟した実は果実酒にして滋養強壮の効果があるそうです。また鳥やツキノワグマの大好物ともいわれます。

同じサクラの仲間で葉や枝は似ていますが、花はまるっきり違い白い小花がブラシのようにびっしりと咲きます。
古代の亀甲占いで溝を彫った板に使われたのが名の由来ですが、ウワミズザクとよばれることも多くなりました。

繊細な刷毛のようなネムノハナ(合歓の花)は夕方から咲き始める一日花です。昆虫を呼び寄せる目立つ花弁がなくても、長くて鮮やかな色の雄蕊と甘い香りで虫を呼びます。

夜になると葉をたたんで眠るようになることが命名の由来で、この「就眠運動」はオジギソウやカタバミなどでも見られます。

茨城県立歴史館のハス(蓮)は、今年は例年になくいっぱい花を付けました。

泥水の中から清浄で美しい花を咲かせる姿が仏教の世界では好まれ、蓮華をかたどった様々な意匠が使われています。

昭和26年(1951)に発見された約2000年前の大賀ハスといわれていましたが、その後在来種との交配が進み純粋の種ではなくなったとか、詳細は分かりません。

ホタルブクロ(蛍袋)は、捕まえたホタル入れて遊んだからという命名説などがあります。ただし成虫の蛍は水分を摂るだけなので、実際の受粉作業はマルハナバチ(丸花蜂)などが行います。

袋の中を覗いてみました。白い雌蕊の根元には縮れた雄蕊が見えます。雄蕊と雌蕊の成熟する時期をずらせて自家受粉を避け、昆虫による他家受粉をさせる仕組みがあり、袋の内側の毛は、マルハナバチが蜜を吸うときの足場の役目をしているそうです。