顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

海辺の花…初冬

2016年11月30日 | 季節の花
大洗海岸には小さな公園が幾つかあります。
その一画に、花が少なくなってきたこの時期に目を引く黄色系の明るい花が咲いていました。

イソギクはもともと海岸線に自生する日本固有種の野生菊です。
野菊に見られる目立つ花びらのように見える小花(舌状花)はなく、真ん中の筒状花のみですが、全体が鮮やかな黄色なのでよく目立ち、またキク科特有の形の葉に白い縁取りがされているのが爽やかな印象を与えます。

ハナイソギクも海岸沿いに野生化していますが、イソギクと栽培菊の交雑種として生まれたというのが一般的です。こちらは筒状花だけのイソギクと違い、まわりに白い舌状花が出ています。
このような交雑が進むと、やがて純粋種が絶滅してしまうと、他の野生菊でも心配されています。

ツワブキも群生になっています。今は斑入りの葉の園芸品種などがありますが、もともとは海近くに自生したものです。艶のある蕗、ツヤブキが転化したと言われています。蕗と同じように食べられ、沖縄県では豚肉との煮物によく使うそうです。

花はキク科特有の筒状花と花びらの舌状花で構成され、舌状花は数えたものではどれも13枚ありましたが、図鑑では10枚くらいとなっており、また個体によって変異性が多く見られるようです。

イソギク類は季語としての例句があまり見つかりませんが、ツワブキ(石蕗の花)は初冬の季語としてよく詠まれています。

磯菊が蕾めり安房の舟溜  阿部筲人
ちまちまとした海もちぬ石蕗の花   一茶
大部分宇宙暗黒石蕗の花  矢島渚男

阿弥陀寺と額田城(那珂市)

2016年11月26日 | 歴史散歩
那珂市にある中世の城、額田城の1画に、浄土真宗二十四輩本蹟十四番の阿弥陀寺があります。親鸞聖人が建保四年(1214年)那珂西郡の大山の地に念仏の道場を開き創建、明徳3年(1392年)に大山から額田城内に移されて額田氏の守護寺となりました。正式には大山禅房阿弥陀寺。

鐘楼門の右側にあるのは、樹齢320年の枝垂れ桜(彼岸桜・糸枝垂れ)、春には桜まつりで賑わいます。

本堂と親鸞上人像、親鸞は大山に約10年滞在し、その間に24輩以下450余人の弟子が生まれたと言われています。

さてその額田城は地方の小領主の城としてはいたって規模が大きく濠、土塁などもよく残っています。その大きさを、google map上に現地看板の城址図を被せて実感してみました。

額田城は鎌倉時代の建長年間(1249~1256年)に佐竹氏5代義重の二男義直が築城し、その後拡張を続けて現在の規模になりました。この前期額田氏は、10代義亮の時、佐竹宗家と対立し、応永30年(1423年)佐竹13代義人に攻められて落城し滅びます。
その後、義人の家臣小野崎氏が城主となり(後期額田氏)、江戸氏から養子を迎えるなどして以後7代照通まで続いたが、「照通に異心あり」として攻められ落城しました。(以上説明板から)
東日本大震災で損壊したひたちなか市の土蔵から、伊達政宗から額田城主小野崎照通への起請文が発見されたという話題が賑わしたことがあり、伊達政宗に内通していたことが証明されました。

本丸(右)と二の丸(左)郭の間にある堀跡と本丸の北西端です。堀、土塁などの残っている77,000㎡が市の史跡に指定されていますが、当時は東西1140m、南北840m、957,600㎡の広大な城郭に、4つの郭と城下集落をも取り込んだ7つの外郭分に城塁を複雑にめぐらせた大城郭(埋もれた古城HPより)でした。

阿弥陀寺のある4郭から本丸への谷津状の堀あとに季節外れの花菖蒲が咲いていました(11月中旬)。
城跡はあまり手を加えない状態で、草を刈り案内板が整備され、広い散策路になっています。中世の城跡としては県内でも最大規模、しばし5世紀以上前の妄想に遊びました。

季節外れの桜咲く偕楽園

2016年11月22日 | 水戸の観光
昨年もご紹介の偕楽園の桜、間もなく冬を迎える園内に可憐な花を咲かせました。
爛漫と咲く春のさくらと違い寂しげで、あたり一面の晩秋の景色の中に控えめにぽっと咲く様子は、独特の風情をもたらします。

東門入って右側の二季桜、春(4月〜5月)と冬(11月〜1月)の2回開花する珍しい桜で、園内に4本植えられています。水戸市の親善都市、彦根市の彦根城内堀沿いにある金亀児童公園内にも、昭和47年4月に水戸市より寄贈された3本が花をつけるそうです。

表門入り口の十月桜は10月から4月にかけてで、断続的に小さい花を咲かせ続けますが、春に咲くほうが少し大きい花が咲きます。小彼岸桜(コヒガンザクラ)系の園芸品種で、江戸時代の後期から広く栽培されてきました。

なお、季語としてはこの時期に咲くものを総称して冬桜と呼ぶようですが、厳密に言うと冬桜はコバザクラ(小葉桜)ともいい、花は一重の別品種です。

木洩れ日のやうな十月桜かな  鈴木伊都子
今日ありと思ふ余命の冬桜  中村苑子

里美野外活動センター(常陸太田市)

2016年11月21日 | 山歩き

山の会の同窓会を予定していた日が、たまたま雨になってしまいました。こんな時に主催者は数日前から心配のし通し、雨が避けられない状況になって、弁当持参で入れてくれる山間部の施設を探していたら、里美野外活動センターという県の施設が見つかり、電話したところ快諾を得ました。

福島県境に近い牧場地帯の一画、標高は700m位あるそうで紅葉がほぼ真っ盛りです。
幸いなことに11時ころの到着時には一時雨も上がり、施設の方にその一部を案内していただき少し歩くことができました。
広大な敷地内には100名~300名収容のキャンプ場が3つもあり、また7つのハイキングコースなども用意された、四季折々の自然が満喫できる野性味いっぱいの施設です。

古い建物ですが、紅葉の林の中にあり、大きな暖炉には好意の薪が赤々と燃えている部屋で、各々持参の昼食も食べることができました。平均年齢80代半ばのメンバーはみな満足、また新緑の春に是非再訪しようという話もまとまってしまいました。(建物写真はホームページから)

カタクリなど季節にはいろんな花も咲き乱れるという山道の道端にリンドウ、急がないと花が開かないうちに寒さが来てしまいそうです。


錦秋の偕楽園公園

2016年11月19日 | 水戸の観光
梅花の印象が強過ぎる偕楽園周辺ですが、秋が深まると、えっこんなとこに!というように色付いた木々が自己主張をはじめます。

まずは近年人気のもみじ谷です。護国神社から徳川ミュージアムに向かう谷沿いに遊歩道をつくり整備されました。谷間ですので鑑賞、撮影は午前中がいいかもしれません。

護国神社入口向かい側の淵明堂跡、2代藩主光圀がこの丸山の上に小さな堂を建て、敬愛する中国の詩人陶淵明の木像を安置し、淵明堂と称しました。また堂の壁に猩々の絵を描かせたので猩々亭とも呼ばれました。

9代藩主徳川斉昭と7番目の子、最後の将軍となった徳川慶喜の親子像は千波湖畔で紅葉に囲まれていました。ともに激動の幕末に大きな足跡を残しました。

湖畔の紅葉の間から、好文亭を撮ってみました。最近街路樹で人気のモミジバフウ(紅葉葉楓)のようです。紅葉(もみじ)の葉に似た楓(フウ:カエデとは近似種)というのが名前の由来です。

常磐神社境内の義烈館は、2代藩主光圀(義公)と9代藩主斉昭(烈公)や水戸学などに関連する資料が展示されています。

偕楽園内のもみじ谷と勝手に名付けた、吐玉泉南側の水のある一画はいつものように人通りもなく、ひっそりと最後の晴れ着を見せていました。

暁鐘は旧制水戸高校の寄宿舎の暁鐘寮にあった鐘楼の鐘です。弘道館の学生警鐘に由来して昭和10年に建てられ、戦時中に供出されましたが、昭和44年に復元鋳造、その後この場所に建てられた鐘楼に吊るされました。破帽、マント姿の卒業生が記念日には姿をみせていました。

隣接した茨城県歴史館には、偕楽園の西門から県道の下を通って行けるようになりました。銀杏並木は半分くらい葉が落ちてしまい、黄色い絨毯になっています。少し臭うのは銀杏の実、あまり拾う人も最近は見かけなくなりました。飽食の時代ですが、かく言う仙人は、別な公園で(数えながら)700個以上拾いあちこちに分けてあげました。
やがて葉もすべて落ち、寒い冬の到来です。

山くれて紅葉の朱をうばひけり  与謝蕪村
濃紅葉に涙せきくる如何にせん  高浜虚子