顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

海上保安庁 巡視船 PM55ひたち

2019年06月28日 | 日記

梅雨の晴れ間、たまたま立ち寄った大洗港の第4埠頭に海上保安庁の巡視船 PM55ひたちが入港していました。

主に関東地方一帯を管轄する第三管区海上保安本部の鹿島海上保安署所属で、全長72m、650トン、船名は霞ヶ浦から利根川に合流している「常陸利根川」に由来しているそうです。
苫小牧航路のフェリー「さんふらわー」とツーショット、青い海と白い船体は初夏そのものでした。

出港を見送るハマナスの赤い実、「紅い真っ赤なハマナスが海を見てます 泣いてます  その名も 網走番外地」。 この場合は、ハマナスの花ですが…

第4埠頭沿いの街路樹は半分くらいがヤマモモ(山桃)の木でいま実が鈴なり、食べ頃の赤紫色に熟した上品な甘さを数個つまみました。

この辺ではあまり食さず、熟した実は触れるとバラバラ落ちてしまいます。仙人のフォローしているブログ・ひげ爺さんは、これで美味しいジュースをつくるそうですが、億劫な老境に入った仙人は挑戦しないで終わりそうです。

紫陽花…酸性雨が大好き?

2019年06月26日 | 季節の花



紫陽花は酸性土壌で青い色が濃く出る、とよくいわれます。森林の多い日本の土壌はもともと酸性のため青い紫陽花が多く見られますが、海外の乾燥地のアルカリ土壌に植えれば同じ種類でも赤っぽい色になるそうです。ということは化石燃料依存の現代は酸性雨なので、梅雨は鮮やかな青の強い味方?かもしれません。
梅雨の合間に、近辺のアジサイ名所3園を訪ねてみました。

保和苑にある大悲山保和院桂岸寺は水戸藩附家老中山家の菩提寺として17世紀末に建てられ、その庭を水戸藩二代藩主光圀公が愛でられて保和園と名付けたという歴史を持ちます。

後に保和苑と名前を変えた公園部分は水戸市に寄贈され、約1.5haの敷地には100種6000株のアジサイが明星池や高低差のある階段沿いに咲いています。

水戸八幡宮は佐竹義宣公が居城を常陸太田より水戸へ移すにあたり、文禄元年(1592年)に馬場八幡宮を分祀し、後に水戸德川家の代にこの地に遷座されました。本殿は重要文化財に指定されています。

境内を彩る60種5000株のアジサイ…特に杉林の中に設けられた「八幡の杜…ヤマアジサイの小道」が花の姿にぴったりの雰囲気を出していました。

涸沼自然公園は、涸沼のほとりの山や湿地帯などの自然をそのまま取り込んだ34.5haの広大な敷地で、「あじさいの谷」周辺の山の斜面に約30種10000株のアジサイが植えられています。

いま人気のカシワバアジサイの連なる小道も造られています。



ところであじさいは日本原産ですが、欧米で品種改良されての里帰りや正式に登録されていない新品種も多く、その種類は3000種とか、また数えきれないとも言われ、品種名はどこの公園でも表示されてはいません。



ます咲き方でガクアジサイ(額縁のようにまわりに咲く)とホンアジサイ(手まりのように丸く咲く)で分けられ、さらにはヤマアジサイ(小型な野生種)、セイヨウアジサイ(欧米からの里帰り種)など様々な種類が目を楽しませてくれます。




俳句では、紫陽花の他に四葩(よひら)、七変化、手毬花、八仙花などと詠むこともあります。

紫陽花と同じ色なり筑波山  成田蒼虬
紫陽花やきのふの誠けふの嘘  正岡子規
雨雲をまた集めだす四葩かな  桑原泰子
日影の色日表の色七変化  伊丹三樹彦

子生の弁天様…厳島神社

2019年06月21日 | 歴史散歩

文永2年(1265)に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祭神とし、安芸の厳島神社より分霊を迎えたと古老の口伝に伝わる厳島神社は鉾田市(旧旭村)の子生(こなじ)にあります。

当時この一帯は平国香を祖とする常陸平氏の支配地だったので平清盛の崇敬した神社を分祀した経緯はそのへんにあるのかもしれません。さらに、平安時代の承暦2年(1078)にはこの地に弁財天が祀られていたという記述の資料もあるそうです。安芸宮島の厳島神社も市杵島姫命と弁財天が一つに習合されたように、やがてこの弁財天信仰と厳島神社信仰の二つが一緒になって近隣の崇敬をあつめるようになったといわれます。

鬱蒼とした森のなかの窪地の池は多分湧水池でしょうか、涸沼に流れ込む大谷川の水源地と出ていましたが、国土地理院の地形図では確認できませんでした。

大きさは全然違いますが水に浮かんだ様子が世界遺産の安芸の宮島の本宮を彷彿とさせる雰囲気です。

寛文12年(1672)、本殿などが焼失したため、神社の由来などの詳細な記録は残っていません。棟札によると本殿は元禄10年(1697)に再建、延享4年(1747)に改築がなされたとされます。
亨保2年(1717)領守岩田廣道奉る神鏡の刻文に「安産をこの神に祈らばすなわち安泰なり故に子生村と言う」と世々相伝で伝えられてきたそうです。江戸時代のこの地区は旗本領なので領主の旗本も崇敬して守護していたのかもしれません。

茨城県指定文化財ですが、管理は地元の氏子さん達のようなので、維持管理が大変らしく震災で倒れた拝殿前の灯籠はそのままになっていました。

裏参道脇の地層の見える切通にはたくましい根が露わに見えます。関東ローム層の中の筋状10センチ位の白い地層は火山噴火などの天変地異の跡でしょうか。

表参道は51号国道から入るようになっていますが、谷底のような窪地には急階段でおります。いつも地図上でこんなところに厳島神社が?と思っていましたが、詳しいことはよくわかりませんでした。

手打ち蕎麦 おにざわ

2019年06月17日 | 食べログ

そばとうどんの名店として知られる鉾田市のおにざわは現在5代目の老舗、以前は街の中にありましたが郊外に越してからも人気の店です。しかも営業は午後2時半までなので空き待ちの覚悟が必要かもしれません。

ここの名物は20センチを超える大きなエビの天ぷらですが、サービスメニューの「赤エビ天丼ともりそば」1000円(税別)を注文しました。茨城産と北海道産をブレンドしたという少し太めでしっかりとしたコシと香りのいい麺の旨さはいつもの通り、小丼の赤エビは、車えびの仲間で小型なものだそうですが、からっと揚がってプリプリ感そのまま、充分に満腹いたしました。

水戸城二の丸の復元整備

2019年06月15日 | 水戸の観光
水戸城は鎌倉初期に馬場氏が居館を構えてから江戸氏や佐竹氏が城として拡充し、江戸時代には御三家水戸徳川家の居城として明治を迎えるまで約680年の歴史を持ちますが、明治以降多くの建造物が消失や解体によって失われ、現在では土塁や空堀などの史跡と建造物では薬医門を残すだけになっています。

水戸市ではいま、歴史あるこの水戸城址の風情を市民や観光客に味わっていただくための歴史まちづくりの事業として、二の丸入り口にある大手門、南西側の隅櫓、二つをつなぐ土塀の復元整備工事を行っています。

大手門は三の丸から水戸城の中枢二の丸への大手橋にある正門で、土塁に取り付く大手門としては、全国的にみても最大級の大きさを誇りました。
発掘調査の結果,その規模と位置が判明し,また,絵図や古写真も確認されています。こうした調査に基づき,遺構を保護しながら,在来工法による復元整備を行っており、現在大扉の取り付けも終わり、屋根工事も終盤、大手門本体に葺かれる瓦がすべて葺き上がり、瓦の漆喰塗りが始まっています。 

完成予想図をはめ込んでみました。
木造2階建て、建築面積 128.57 ㎡ 、延床面積 208.22 ㎡、軒高 8.80 m 屋根 入母屋造,本瓦葺(土瓦)、棟高 12.66 m の大きな門は、茨城国体の始まる10月までの完成予定ですが、少し遅れそうな見通しもあるそうです。

二の丸隅櫓は、水戸城二の丸の南西側で水戸駅に面した角に復元されます。古写真や絵図を参考に在来工法により工事が始まっています。水戸駅北口ペデストリアンデッキから眺望できますので、水戸城跡の存在を気付かせるランドマークとなるでしょう。現在足場が組まれ、建物の姿も現れてきました。

完成予想図をはめ込んでみました。右の建物は三の丸ホテルです。
木造2階建て、建築面積 95.84 ㎡ 、延床面積 95.02 ㎡ 、外壁 一階・二階: 土壁の上漆喰塗り、軒高 7.015 m、 屋根 入母屋造,本瓦葺(土瓦)、棟高 10.016 m
なお、隅櫓内部には水戸城に関するいろんな資料の展示施設が計画されています。

また大手門と二の丸角櫓の間などには,土塀が廻っていたことが,絵図や古写真からも確認されています。往時の外観に復元する仕様による土塀の再生整備も同時に始まっています。
総長 450 m 、棟高 1.8 m、 外壁 上部: 大壁漆喰仕上げ、 下部: 板張り、 屋根 瓦葺

千波湖と那珂川を自然の堀とした天然の要害に築かれた連郭式平山城の水戸城は、その規模の大きさも存在そのものもあまり知られていませんので、これをきっかけに住んでいる人の郷土愛と観光客の増加につながればいいと思います。