顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

蕗味噌…胃袋を覚醒させる苦みとか

2023年02月27日 | 季節の花
散歩道にある農業用水池の土手は、蕗が出ることを思い出して久しぶりに歩いてみたら、小さな蕗の薹がごっそり出ていましたので、また蕗味噌に挑戦してみました。

フキ(蕗)はキク科フキ属の多年草、早春に出る花茎の蕗の薹と、春本番になって地下茎から出る葉柄と葉は春の山菜の代表です。冬眠から覚めた熊が最初に食べるのは蕗の薹とか、この苦みが冬から春に向かって身体を覚醒させる妙薬ということを熊も知っているという話も伝わっています。

今回調べていると蕗の薹が雌雄異株というのを初めて知りました。食べてしまったので確認することができず、在庫写真を調べてみたら、蕾が丸くて大きいのが花粉を飛ばす雄花、蕾の先が尖がっているのが雌花という記事が出ていたので、多分そうかなと思う写真を並べてみました。

花が終わると雄花は枯れてしまい、雌花が花茎を高さ50cm位まで伸ばし、白い綿毛をつけた種子を風に乗せて飛ばす役目をするそうです。


陽の当たる場所ですが採るのが可哀そうなくらいの小さいのばかり、山のものをいただくときは全部採らないで残しておくのが鉄則ですが、それでも春を味わうには充分な量が採れました。

料理はいたって簡単です。きざんだ蕗をごま油で炒めてしんなりしたら、味噌とみりん、酒を混ぜたものを加えて水分がとべば出来上がり、10分も掛かりません。

最近嗅覚が鈍くなった気がする仙人ですが、それでもいつもの酒が一味違うような?…値上げの世の中でのすこぶる安上がりな晩酌になりました。

蕗味噌や先焦がしたる竹の箸  松岡一郎
蕗味噌のにが味手窪に祝い酒  後藤光治
嗅覚の萎えて蕗味噌箸の先  顎鬚仙人

花粉症の犯人…スギ(杉)とヒノキ(檜)

2023年02月23日 | 季節の花

今年は花粉飛散量が非常に多いとの予報、幸いなことに感覚の鈍い仙人は今のところその症状が出たことはありませんが、ここ数日車に降りかかった花粉の量には驚かされます。

原因の花粉を発散する植物はいろいろあるそうです。しかしその中でも最強はスギとヒノキ、その犯人の顔を観察してみました。この二つは同じような状況で植えられているので、葉を見ないと区別は難しいのですが、この時期のスギは紅葉したような色になるので遠くから見てもよくわかります。


花粉を供出するスギの雄花は、雌花に比べると圧倒的に数多く、枝先に付いています。その花粉は風媒花のなかでも特に小さくて軽く、約30ミクロン( 1mmの約1/30 )、マッチ棒の頭くらいの大きさの一つの花に、約40万粒の花粉が入っているそうです。しかも風に乗って500mくらいの高さまで、距離は200kmくらい飛散するというので、ビル街の市街地でも降り注ぐことになります。


こちらはヒノキの雌花、葉の形が違いますが、仕組みは同じようなものです。ただスギに比べて約1か月後に花粉の飛散が始まるそうです。植物は本能的に他家受粉を目指すので、雌花に比べて雄花の数の多さが頷けます。昨年結実した球果がまだ枝に付いています。


たまたまスギとヒノキが並んでいる林がありました。右がスギ、左がヒノキです。どちらも幹の皮は屋根などの利用されてきましたが、区別は葉を見ないと難しいですね。
特にヒノキの樹皮は檜皮葺き(ひわだぶき)として、社寺仏閣の屋根などに今でも使われています。


ところでヒノキによく似たサワラ(椹)は、金閣寺や、偕楽園好文亭の屋根のこけら葺きに使われますが、よく似ているので見分け方が難しいと言われます。

いつか弘道館公園内の植生についての講習会で、その見分け方を聞いたのを思い出して写真で確かめてみました。葉の裏の白い模様がヒノキはYの字、サワラはXの字または蝶の形に似ているというのがはっきりとわかりました。造園業の方もこれで区別しているそうです。

そういえば、スギの雄花は少年時代にスギ鉄砲で遊びました。雄花を篠で作った筒に押し込み、後から細い篠の棒でもう一個押し込むと圧縮されてパン!という音がしてはじき出ます。今思うと雄花がまだ硬い秋の頃に遊んだのでしょうか。

しかし当時は花粉症の話を聞いたことはなかったような気がします。調べてみると最初に花粉症が報告されたのはなんと1962年!原因としては、日本人の体質の変化や大気汚染によるアレルギーの原因となる物質の増加、そして戦後のスギ植林事業…などが考えられるそうです。

これら文明の進歩が引き起こした原因は、今度の新型ウイルスなどにもあるのかもしれません。最近では花粉を出さないスギの品種も開発されたそうなので、人類の叡智で充分な対抗策を期待したいと思います。
しかしここ2,3年、花粉症の症状が軽くなったり、インフルエンザの流行が以前ほどではないのは、いたって初期的な対策である「マスク」の効用であるとされます。着用の義務化が撤廃されるようですが、今後しばらくは、すっかり慣れ切ったマスク生活が続くのではと思ってしまいます。

世界にひとつ、陶の雛人形…笠間焼

2023年02月18日 | 日記



茨城県笠間市の窯元やギャラリーが陶製のひな人形を並べる「笠間のひなまつり桃宴(とうえん)」が、今年で23回目を迎え3月3日まで周辺の20店舗で開催されています。



笠間焼というと現在は「特徴がないことが特徴」とよく言われるそうです。国の伝統工芸品に指定されていますが、いつの間にか伝統や格式にこだわらない自由な風土が根付き、移住してくる若手作家も多く、現在地元の陶芸家と合わせて300人以上が活躍しています。



陶製のひな人形は今までの歴史がなかった分、その自由な発想が特に生かされた様々な作品が会場を飾っています。
同じものが二つとない世界に一つだけのひな人形、ほんの一部ですが紹介させていただきました。



ところで笠間焼は、江戸時代中期の安永年間(1772~1781)に、箱田村の久野半右衛門が、信楽の陶工長右衛門の指導で「箱田焼」として焼き物を作り始めたのが最初とされ、天保年間(1830~1840)に隣村の山口勘兵衛の作り始めた「宍戸焼」との二つが合わさって笠間焼になったといわれています。



笠間藩主の牧野家は、これらの焼き物を積極的に保護奨励し、陶土の蛙目(がいろめ)粘土の頑丈さから甕や摺り鉢などの日用雑器が作られ、幕末から明治時代にかけて一大産地として知られていました。



戦後の生活様式の変化により需要が激減する中、県立窯業指導所や窯業団地、笠間焼協同組合などが設立され、作家の個性に重きをおいた作品づくりを指導する場をつくったことで官民一体となり工芸陶器への転換を図ってきました。現在では、さまざまな作家たちが笠間に集まり、地元の作家と切磋琢磨し合いながら、多様な装飾技法を駆使した自由な作風でそれぞれの個性を表現しています。




会場のひとつ、笠間陶芸の丘では、笠間焼作家が干支や小動物を題材に手がけた約130体が並ぶ15段飾りが、会場内を華やかに彩っています。




この一画には笠間芸術の森公園として、茨城県陶芸美術館や県立陶芸大学校などの陶に関する施設が並んでいます。(マップは笠間市のホームページより)

因みに「益子焼」で知られる栃木県の益子町は、笠間市にほぼ隣接しており、江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まるとされています。鉢、水甕、土瓶など日用の道具の産地として発展していましたが、昭和の初めに柳宗悦らの民芸運動の中で芸術品の側面を持つようになり、濱田庄司、島岡達三という二人の人間国宝を輩出するまでになりました。

この隣り合った笠間と益子は、お互いに自由でおおらかな環境の中で600名を超える陶芸家が活躍しており、令和2年に「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ‘‘焼き物語”~」というテーマで日本遺産に認定されました。

ところで、仙人が笠間焼というと思い浮かぶのがこの感じの壺と皿、東日本大震災でずいぶん割れた我が家の棚に残っているのがありました。

どちらも作家ものではありませんが、50年近く前に親しくさせていただいていた「製陶ふくだ」の作品です。

なお、益子焼の陶土も鉄分を多く含み、人間国宝の濱田庄司、島岡達三の作品も赤茶色で、笠間焼の色と似ていると思います。(写真はオークションサイトから借用しました)

ただ現在は、どちらの産地の作家たちも、他所の陶土も使って幅広い作品を作り出しているようです。

はぁ~るよ来い…顔のぞかせた道辺の花

2023年02月13日 | 季節の花
立春過ぎても寒さは続いていますが、少しずつ日照時間も増え、畦道にも小さな花が顔を出してきました。めっきり距離の短くなった散歩道など身の回りで春の兆しを探してみました。

今はほぼ一年中顔を見せるホトケノザ(仏の座)でも、これから咲きだす花の色はより鮮やかになります。葉の出方から付いた名前ですが、春の七草のホトケノザはキク科の別種です。


花の形がよく似ているヒメオドリコソウ(姫踊り子草)、傘を被って手を叩きながら踊る姿は、小さくてよく分かりません。


春の七草のナズナ(薺)は、別名ペンペン草の方が馴染みのアブラナ科の越年草、実の形が三味線の撥(ばち)に似ているので名付けられました。


これも春の七草のハコベ、昔から食用植物として知られ、お浸しなどにして食べたそうですが、手乗り文鳥を飼っていた時には貴重な餌になりました。
 

ヒメオドリコソウの葉の間から顔を出したのはイヌフグリ(犬陰嚢)の仲間の外来種オオイヌノフグリ…イヌフグリの名前は牧野博士が二つ並んだ小さな実が犬の陰嚢に似ているので思い切って?付けましたが、外来種の方はハート形をしているそうです。


太陽が地面に降りたようなタンポポ(蒲公英)、この時期の花は花茎が伸びず地面に張り付いていますが、総苞片が反り返ったセイヨウタンポポでした。
 

農家の土手のの花は、もう花期が終わりを迎えていました。あまりに早すぎると触媒昆虫が活動しないうちに受粉時期が終わってしまいそうです。


家庭菜園の菜花は早咲きの品種で、正月頃から蕾を食してしまうのが可哀そうなようでしたが、やっと花が見られるようになってきました。


フキノトウ(蕗の薹)も芽を出しました。ちょうど落ちていた空蝉を添えて、「早く起きろよ」と揺さぶっているような写真になりました。


フクジュソウ(福寿草)とリュウキンカ(立金花)…どちらも競うように春一番に顔を出します。同じキンポウゲ科の多年草です。


サンシュユ(山茱萸)の蕾にも黄色が見え始めました。

早春の花に「黄色」が多いのは、いち早く活動を始めるアブやハエの仲間は黄色い色に敏感なためといわれます。虫媒花にとっては黄色が子孫を残す大きな利点になっているようです。

蒲公英の一番花の茎短か  瀬戸十字
たんぽゝや生れたまゝの町に住み 五所平之助
たんぽぽの皆上向きて正午なり  星野立子
湯たんぽを蹴飛ばす朝のたんぽぽ黄  顎鬚仙人

眉目秀麗…1500年前の先祖たち

2023年02月07日 | 歴史散歩
いま、東海村の歴史と未来の交流館で「東海村の人物はにわ図鑑」という企画展が開催されています。(3月5日まで)

日本国内で原子力の火が最初に灯った東海村は、村としては全国2番目の人口(36,000人)で、昭和30年(1955)に近隣2村が合併し、藤田東湖の「正気歌」にある「…卓立東海濱…」から命名されました。
この科学先端の地にはなんと4世紀から7世紀までの古墳が約80基もあり、今回はその出土品の中の人物埴輪が展示され、眉目秀麗な先人たちに出会いましたので一部ご紹介いたします。


長い髪を真ん中で分け顔の左右で結んでお下げ髪のように垂らした「美豆良(みずら)」という男子の髪型です。古墳時代の男子は髪を長く伸ばしおしゃれに束ねていました。


女子の埴輪です。頭に載せた粘土の板は、長い髪を前後で折り返して束ねる「古墳島田」という当時の女性の髪形です。


丸い帽子を被った埴輪、頭頂部から十字に垂らした帯が印象的な丸い帽子は、特別な儀式に被るもののようです。


左側は帽子を、右側は頭巾を被る男子の埴輪です。顔の左右に丸い輪にした粘土を張り付けて耳を表現しています。


跪く男子の埴輪は哀悼の気持ちを伝える様子を表現しているという説もあります。

美しい顔立ちで顔には赤い化粧のあと、口の周りに塗られた紺色は髭の表現です。威厳や気高さが感じられ王の埴輪とする説もあります。

腕と弓は欠けていますが、弓を担いだ身軽な装備の武人埴輪です。


盾持つ人物埴輪の頭部と胴体、古墳に背を向けて守るように置かれていました。頭部には天辺が二つに分かれた帽子を被っています。


東北地方の土器の特徴を持つ大木式縄文土器の深鉢です。細かい装飾が施されており、作られた地方との交流があったことが推察されます。



村内の古墳80基は、ほとんど水辺を見下ろす台地の上にあります。近くの真崎古墳群を訪れてみました。


前方後円墳1基、6角形墳1基、円墳5基、方墳1基の8基の古墳がまとまっています。


珍しい六角形の古墳です。

古墳群の南側の水田地帯は、当時海の入り江になっていて真崎浦や細浦を形成し、北側の標高差20mくらいの海岸段丘の上にこの古墳群があります。

この地方の水上交通を掌握し付近を治めた権力者の墳墓が、水上から仰ぎみる高台の上に屹立している光景が目に浮かんでくるようです。