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顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

キース・へリング展…茨城県近代美術館

2025年04月18日 | 日記


よく知らなくてもシンプルな線と色で構成された独特の作品は目にしたことがあるキース・ヘリング……世界で唯一のキース・ヘリングの美術館として知られる中村キース・ヘリング美術館(山梨県)の収蔵品をもとに茨城県近代美術館で「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」が4月6日まで開催されました。


撮影可だったので、わずか10年間の創作活動だったキース・ヘリング(1958~1990)の作品の一部を、構成された各章別にご紹介いたします。


第1章 公共のアート

キース・ヘリングは、正体不明で有名なバンクシーなどストリートアートの先駆者としても知られています。最初は1980年にニューヨークの地下鉄の広告掲示板の空いているスペースに貼られた黒い紙に、白いチョークで勝手に絵を描くサブウェイ・ドローイングが、ニューヨーカーの心をとらえて一躍有名になりました。
これで20回以上も逮捕されていますが、警官に捕まらないよう素早く描き上げ、地下鉄に飛び乗って次の駅でまたドローイングすることを繰り返したそうです。





第2章 生と迷路

この時代のニューヨークはHIVが蔓延して社会に暗い影を落としていますが、ピッツバーグから移ってきたばかりのヘリングにとっては、日々新しい文化が生み出される自由で刺激的な場所でした。混沌としながらも希望に溢れるこの街で解放されたヘリングは、生の喜びと死への恐怖を背負いながら、自らのエネルギーを創作へと注ぎ込んでいきます。






第3章 ポップアートとカルチャー

アメリカが経済不況にあった1980年代、ニューヨークは現在以上に犯罪が多発する都市として知られていましたが、多様な文化が混ざり合う環境で、ヘリングは舞台芸術や広告、音楽などと関わりながら制作の場を広げていくことになります。







幅6メートルに及ぶスウィート・サタデー・ナイトのための舞台セット、ダンサーが踊るように描かれており、この作品の前で実際にブレイクダンスが披露されました。


第4章 アート・アクティビズム

ヘリングは大衆へダイレクトにメッセージを伝えるため、ポスターという媒体を使いました。アートの力は人の心を動かし世界を平和にできると信じていたヘリングは、ポスターだけでなくワークショップや壁画といった多くの媒体を使って核放棄、反アパルトヘイト、エイズ予防や性的マイノリティをテーマとするメッセージを送り続けました。






第5章 アートはみんなのために

アートを大衆に届けたいと考えたヘリングは、自身がデザインした商品を販売するアート活動・ポップショップや、世界の都市数十ヶ所で制作された彫刻や壁画といったパブリックアートなどを通してのコミュニケーションを図りました。



この「赤と青の物語」は、絵画の連なりから1つのストーリーを想像させ、子どもだけでなく大人にも訴えかける視覚言語が用いられた、ヘリングの代表的な作品のひとつです。



第6章 現在から未来へ

1988年にエイズと診断されたヘリングはその後、死を意識ながらも最後まで自らの思いを未来へとつなぐ作品を発表しましたが1990年に31歳の若さでエイズ合併症により永眠しました。
31年間の生涯のうちアーティストとしての活動期間は10年程ですが、残された作品に込められたメッセージはいまなお色褪せていません。




最後の個展に出品された三角形の変形キャンバスによる大作「無題」1988 (キャンバスにアクリル)

19~20世紀のヨーロッパ磁器…茨城陶芸美術館

2025年03月23日 | 日記
何度か寒の戻りのあった寒い日に、茨城陶芸美術館(笠間市)で開催中の企画展「ヨーロッパ陶磁にみるモダンデザイン100年・岐阜県現代陶芸美術館コレクション」を見てきました。



すべて岐阜県現代陶芸美術館のコレクションをお借りしたもので、門外漢の仙人には知識も興味もあまりない分野で、聞いたことのある名前も2,3窯だけですが、撮影可だったのでその一部をご紹介いたします。



19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパでは、工芸や建築、グラフィック・アートなどの多岐にわたる装飾様式アール・ヌーボーの全盛期でした。花やツタなど植物を模したものや流麗で有機的な曲線の装飾が特徴のこの様式は、陶磁器のデザインにも顕著に現れることとなり、美しく優雅な作品や東洋陶磁に倣った作品が次々と誕生しました。



またその後1910~30年代にかけて流行したアール・デコ様式は、大量生産に向かう工業化を背景に欧米から国際的な広がりを見せた芸術運動で、幾何学的な抽象文や大胆な色使いが特徴で、戦争景気に沸く時代を彩りました。


ヴェルサイユ宮廷文化が花開いたフランスは、アール・ヌーヴォーの一大拠点で、ブルボン王朝の支援を得て王立となったセーヴェルのシンプルで優美なフォルム、鮮やかな色彩や繊細な装飾などに格調の高さが現れています。

セーヴル(フランス) デイジー文コーヒーセット


エミール・ガレ(フランス) 人物文コーヒーセット


フェリックス・ブラックモン(フランス) 花鳥に虫文 三つ脚付き鉢


テオドール・デック(フランス) 草花文大皿   テオドール・デックはフランス陶芸のジャポニズムの時代を代表する作品を残しています。


ヨーロッパで初めて硬質磁器を生みだしたのは約300年前、ドイツの名窯「マイセン」で、中国や日本の陶磁器に憧れていた西洋が、ついに独自に生み出した最初の磁器でした。

マイセン(ドイツ) 花飾りカップ&ソーサー


マイセン(ドイツ) 花飾り四季のプット像時計・燭台


KPMベルリン(ドイツ) 水仙文カップ&ソーサー


ローゼンタール(ドイツ) カップ&ソーサー


紅茶で知られるイギリスでは18世紀中頃から上流階級から中流まで喫茶文化が浸透し始め、技術革新により新素材の茶器が普及してきました。

ウエッジウッド (イギリス) 花文ティーセット


ミントン(イギリス) カップ&ソーサー 花文 幾何学文 点文


ミントン (イギリス) 天使文透かし彫り飾皿


オランダのアール・ヌーヴォー磁器を代表する存在になったのは、うねるような独特のフォルムに軽やか色彩で花々を描いたエッグ・シェル(卵のように薄い磁器)の器で、1900年のパリ万博で評判を呼びました。

ローゼンブルフ(オランダ) 蘭文カップ&ソーサー 


ローゼンブルフ(オランダ) カップ$ソーサー 三色スミレ文 リラに蜘蛛文


19世紀のアール・ヌーヴォー期の磁器でデザイン、技術両面で革新的な動きを見せたのがデンマークのロイヤル・コペンハーゲンなどの窯元でした。1779年には王立磁器製作所が創設され、後に民営化されますが、淡いパステルカラーの釉下彩や宝石のように輝く結晶釉の作品はアール・ヌーヴォー期の典型になりました。

ロイヤル・コペンハーゲン(デンマーク) 花文ティーセット 「マーガレットサーヴィス」



ユッタ・ジカ (オーストリア) カップ&ソーサー


ジノリ(イタリア) 馬の競技文コーヒーセット


アラビア(フィンランド) 三色スミレと果実文食器揃 


イリーナ・イリイニチナ・ロジェストヴェンスカヤ(旧ソビエト連邦) 幾何学文カップ&ソーサー 

この展示は6月22日(日)までの長い会期です。
休館日は毎週月曜日(祭日の場合は翌日火曜日)、観覧料/一般950円(70歳以上470円)です。

涸沼水鳥・湿地センター…両岸に展示施設と観察棟が完成

2025年01月19日 | 日記

水鳥など野生生物の貴重な生息地としてラムサール条約に指定されている茨城県の涸沼(ひぬま)は、鉾田市、茨城町、大洗町にまたがる面積約9.3k㎡の汽水湖です。


海水面が上昇した縄文時代には太平洋の入り江でしたが、やがて那珂川などの土砂で河口が塞がれ汽水湖としての涸沼が出来上がりました。今でも海抜は0mです。



昨年11月、環境省が約6億円かけて整備した「涸沼水鳥・湿地センター」の2施設、すでに開館している鉾田市側の湖岸にある木造屋上付き2階建ての「観察棟鈴の音テラス」に続いて、茨城町側の湖岸に木造平屋建ての「展示施設」が開館しました。


新たに開館した展示施設は、涸沼の歴史や環境、水鳥、魚類、昆虫、植物など豊かな生態系についての学習拠点として設置されました。


館内には涸沼に生息する生き物を紹介するパネルや水槽が並んでいますが、いたって分かりやすく配置、説明されているので好感がもてました。


汽水湖は全国で56か所、関東地方では唯一の涸沼は、海、川、陸から様々な栄養が供給されることで多様な環境が生まれ、様々な生き物が生息しています。


そもそもラムサール条約とは、1971年イランのラムサールで開催された国際会議で採択された、水鳥の生息地として重要な湿地に関する条約です。涸沼では、約88種以上の鳥類が確認され特にスズガモは東南アジア地域個体群の1%を超える5000羽程度が飛来し越冬しています。


汽水湖の涸沼では約108種類の魚類のうち淡水魚は約30%、残りは海水魚と海と川を行き来する回遊魚です。よくハゼ釣りを楽しんだ仙人も、セイゴ(スズキの幼魚)、チンチン(クロダイの幼魚)、カレイ、コチなどを釣ったことを思い出しました。


湖岸の葭原に生息する昆虫の中でヒヌマイトトンボは、1971年に廣瀬誠、小菅次男両先生が発見した新種で涸沼の名前が付けられました。


シジミの産地としても知られる涸沼のヤマトシジミ、きれいな水槽に入っていますが実際は泥の中で生育し、沼で採れるのは黒色、海に流れ込む涸沼川で採れるものは茶色といわれています。


ウナギも名産で湖岸に大きな看板のうなぎ屋もあります。涸沼は海との間に魚類の溯上を遮る堤のようなものがないために、天然ウナギはシジミを除く主要な漁獲のうちで、ハゼ類の次に漁獲量の多い種類となっています。仙人の口には滅多に入りませんが…



さてひと足早く湖岸の鉾田市側にオープンした観察施設「鈴の音テラス」は、まだ知名度が低いようですが、休日には家族連れで賑わっていました。


広々とした湖岸に設置された遊戯施設、特に芝生の滑り台に人気があるようです。


3階屋上テラスからの眺望、葦原の向こうに筑波山も見えます。


テラス上からの水鳥観察には双眼鏡の無料貸し出しも行われています。



「涸沼」のワイズユース(=賢明な利用)を推進するためにつくられた二つの施設が、「涸沼の魅力を知る情報提供拠点」、「涸沼を守り継承する活動拠点」、「涸沼の魅力に触れる利用拠点」という役割を充分に果たせることを願っています。

どちらも入場無料、休館日は毎週月曜日(祝日、振替休日の場合は翌日)・年末年始です

涸沼の砂州…自然が造り出した地形

2024年09月30日 | 日記
茨城町、鉾田市、大洗町にまたがる涸沼(ひぬま)は周囲約22km、湖水面積9.35㎢に及ぶ関東唯一の汽水湖です。シジミやハゼ釣りでも知られ、また野鳥の宝庫でもあり、望遠レンズのカメラマンにも人気の自然いっぱいの湖沼です。

この涸沼には、自然が造り出した沖に突き出た地形、砂洲(さす)があり、google航空写真ではっきりと分かります。

砂洲とは、河川によって運ばれた砂礫が、風や沿岸流によって堆積してできた砂嘴(さし)が成長して、やや沖合に細長く伸びた地形です。砂州の代表的な例は「天橋立」、砂嘴の例は「三保の松原」といわれます。


涸沼の砂州は北側が「親沢公園」、南側が「網掛(あがけ)公園」になっています。



親沢公園は、涸沼に突き出した一画に松林などの林が手入れよく並ぶ景勝地になっています。最大25張りのテント設営可能なキャンプ場もあり、ロケーションの素晴らしさから人気があるそうです。

松の木の間から筑波山が、山容がよりどっしりした形で見えています。ここからは「ダイヤモンド筑波」が10月10日前後に見られると出会ったカメラマンの情報です。

ヒガンバナも咲いていました。釣りをしていた方に聞いたら、今年のハゼは水温が高いせいかぜんぜん当りがないと嘆いていました。




さて対岸の網掛公園、広々としていますが夏草の刈り取りがまだのようです。


突き出した砂洲の湾曲した部分が良く分かります、大きなボラがたくさん水面から飛んでいますが、ここでも釣り人の釣果は散々なようです。ボラは水中の酸素濃度が低下しているため酸素を取り込もうと飛ぶので、魚の活性が低下している状況になり魚は釣れないという説もあります。




こちらは涸沼の出口に近い「広浦公園」…この一帯は、以前は沖合400mくらいまで黒松の生えた細長く突き出た岬状の砂州で「常陸の天橋立」と言われたそうですが、干拓等の埋め立てにより現在は砂嘴となっています。


あんば様で知られる大杉神社の鳥居とコブハクチョウ、多分ここに住み付いている個体です。


ここは、風波と東日本大震災時の0.2mの地盤沈降により侵食が進んだことから、平成25年(2013)久慈川の河床堆積土砂2,000 ㎥を運び込みましたが、まだ浸食が続いているようで砂浜がずいぶん後退しています。


水戸藩9代藩主徳川斉昭公が選定した水戸八景「広浦の秋月」の碑です。左側には保勝碑が建っていますが、常陸太田産の寒水石(大理石)のため、風雨に晒され細かい文字はよく読めなくなっています。


ところでこの涸沼は平成27(2015)年に、スズガモ、オオセッカ、オオワシの生息・越冬地としてラムサール条約湿地に登録されました。
※ラムサール条約とは「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といい1971年イランのラムサールで開催された国際会議で採択された、湿地の保全と利用、学習に関する条約です。

沿岸の自治体である鉾田市と茨城町では、ラムサール条約に関連した水鳥湿地の保護施設を今年度中に開設することになっています。


4月にオープンした鉾田市の「みのわ水鳥センター」です。観察センタ3階の屋上からは広々とした湖水を眺められ、また双眼鏡の無料貸し出しも行われています。

湖岸堤防には遊歩道があり、野鳥などの営巣地や水性植物の群落となる湿地の中には木道が敷かれて観察や散策、釣りには絶好のポイントになりました。


古墳のような高台には、お子様に人気の芝生の滑り台スロープが設置されています。


この施設のちょうど対岸には、沿岸自治体の茨城町が建設中の「涸沼水鳥湿地センター」が間もなく完成の予定です。(完成予想図は茨城町のウェブページよりお借りしました)



この一画にある「いこいの村涸沼」は、日本一の宿泊率を誇る国民宿舎「鵜の岬」の姉妹館として人気の茨城県営の宿泊施設です。夏の大プールや64ホールの林間芝生コースを完備したグラウンドゴルフ場も好評です。


また、34.5haの広大な敷地を誇る涸沼自然公園は、自然を丸ごと取り込んだ中に広場や遊戯施設が散在しており、隣接して規模の大きいテントサイト、オートキャンプ場も備えています。

海抜0mのため海の干満の影響で最大40cmくらい水位が上下する涸沼…、砂州や砂嘴ができやすくこれが葦原となり、海水と淡水が混じり合うため鳥たちの餌となる魚類やシジミなども豊富で、冬になるといろんな鳥類の群れで湖面がにぎわいます。この自然いっぱいの涸沼の豊かな生態系を後世に残そうと水質浄化や自然環境の保全に取り組む運動が行われています。

昭和のほのぼの家族…安部朱美創作人形展

2024年08月02日 | 日記
茨城県立歴史館ではいま「安部朱美創作人形展 昭和の家族 -伝えるこころ-」が開催されています。(9月16日まで)

猛暑の午後、懐かしい昭和の時代を思い出させてくれる人形たちに会ってきました。



作家の安部朱美さんは1950年鳥取県の生まれ、30歳を過ぎて3人の子どもに読み聞かせる本を探しに図書館通いをしていた頃、ふと手にとった「紙粘土人形の本」がきっかけだったそうです。
技法や材料も分からない手探り状態から始めましたが、模索を重ね独自の創作粘土人形の技法を編み出してきました。

石粉粘土人形で表現された昭和30年代の家族の姿はほのぼのとした温かさがあり、子供の歓声や当時の匂いまでするような気がしました。今ほど文明が進んでなく家庭に車やエアコンが無くても、ずっと豊かな気分だった……暫し昭和のノスタルジーに浸りました。


最初の作品「かあちゃん読んで」は、人形の寺として知られる京都の宝鏡寺門跡主催の創作人形公募展で大賞を受賞し、国民読書年ポスターにも起用されたため世に知られるようになったそうです。


おうまさん


床屋はかあさん


夕焼け小焼けで日が暮れて


いろり端


背伸びたかな


こたつでカルタ


アイスキャンデー


紙芝居


カミナリおやじ


たき火


おいしいうどん


しょうぎ


ベーゴマ


駄菓子屋


魚屋さん


肩たたき


唄声は浜辺に」   『二十四の瞳』より


この子らに報復の銃は持たせたくない


祈り」「萌し」   
おばあちゃんのいつもの祈りとそれを真似て手を合わせる孫…明るい萌しに向かって進んでいこうというコメントで展示が締められていました。

顔の表情やしぐさがいかにも自然で、さらに衣装や小道具などのきめ細かい仕上がりが素晴らしく、昭和30年代の世界につい引き込まれてしまいました。撮影、SNS可でしたので、暑気払いに71点の展示から20点を紹介させていただきました。