
よく知らなくてもシンプルな線と色で構成された独特の作品は目にしたことがあるキース・ヘリング……世界で唯一のキース・ヘリングの美術館として知られる中村キース・ヘリング美術館(山梨県)の収蔵品をもとに茨城県近代美術館で「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」が4月6日まで開催されました。

撮影可だったので、わずか10年間の創作活動だったキース・ヘリング(1958~1990)の作品の一部を、構成された各章別にご紹介いたします。
第1章 公共のアート
キース・ヘリングは、正体不明で有名なバンクシーなどストリートアートの先駆者としても知られています。最初は1980年にニューヨークの地下鉄の広告掲示板の空いているスペースに貼られた黒い紙に、白いチョークで勝手に絵を描くサブウェイ・ドローイングが、ニューヨーカーの心をとらえて一躍有名になりました。
これで20回以上も逮捕されていますが、警官に捕まらないよう素早く描き上げ、地下鉄に飛び乗って次の駅でまたドローイングすることを繰り返したそうです。


第2章 生と迷路
この時代のニューヨークはHIVが蔓延して社会に暗い影を落としていますが、ピッツバーグから移ってきたばかりのヘリングにとっては、日々新しい文化が生み出される自由で刺激的な場所でした。混沌としながらも希望に溢れるこの街で解放されたヘリングは、生の喜びと死への恐怖を背負いながら、自らのエネルギーを創作へと注ぎ込んでいきます。



第3章 ポップアートとカルチャー
アメリカが経済不況にあった1980年代、ニューヨークは現在以上に犯罪が多発する都市として知られていましたが、多様な文化が混ざり合う環境で、ヘリングは舞台芸術や広告、音楽などと関わりながら制作の場を広げていくことになります。




幅6メートルに及ぶスウィート・サタデー・ナイトのための舞台セット、ダンサーが踊るように描かれており、この作品の前で実際にブレイクダンスが披露されました。
第4章 アート・アクティビズム
ヘリングは大衆へダイレクトにメッセージを伝えるため、ポスターという媒体を使いました。アートの力は人の心を動かし世界を平和にできると信じていたヘリングは、ポスターだけでなくワークショップや壁画といった多くの媒体を使って核放棄、反アパルトヘイト、エイズ予防や性的マイノリティをテーマとするメッセージを送り続けました。



第5章 アートはみんなのために
アートを大衆に届けたいと考えたヘリングは、自身がデザインした商品を販売するアート活動・ポップショップや、世界の都市数十ヶ所で制作された彫刻や壁画といったパブリックアートなどを通してのコミュニケーションを図りました。


この「赤と青の物語」は、絵画の連なりから1つのストーリーを想像させ、子どもだけでなく大人にも訴えかける視覚言語が用いられた、ヘリングの代表的な作品のひとつです。

第6章 現在から未来へ
1988年にエイズと診断されたヘリングはその後、死を意識ながらも最後まで自らの思いを未来へとつなぐ作品を発表しましたが1990年に31歳の若さでエイズ合併症により永眠しました。
31年間の生涯のうちアーティストとしての活動期間は10年程ですが、残された作品に込められたメッセージはいまなお色褪せていません。


最後の個展に出品された三角形の変形キャンバスによる大作「無題」1988 (キャンバスにアクリル)