顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

龍門の滝(那須烏山市)…大蛇伝説の壮観な大滝

2023年07月27日 | 歴史散歩

暑い季節は滝に限ると、栃木県の龍門の滝に足を延ばしました。
まず幅65m、高さ20mの大きさにびっくり、栃木県の那須を源流として茨城県の那珂湊で太平洋に流入する那珂川の支流、江川の流れです。

大瀑布なのでしぶきが相当離れた遊歩道一帯を覆い、まるで天然のミストシャワー…この時期にぴったりの演出効果です。高校生たちが両手を上げて滝のしぶきを身体に受けていました。

ブラタモリ流に言えば、このような滝は地殻変動による断層によって生じたと思いましたが、この滝の場合は、那珂川の河床低下によって下流部の柔らかい層と上流部の硬い岩盤との浸食作用の差で約3万年前に形成されたそうです。

滝の落ち口近くの上流部です。この江川は流量と運んでくる砂礫量が極めて少ないため、河床の凝灰岩を浸食する力が弱く、長い間滝の形を保っているという情報がありました。

さて、昔からこの滝の中腹に男釜、女釜という二つの大きな浸食穴があり、そこに巨大な生き物が棲むといわれていました。ある時それを確かめようと滝近くの太平寺の住職が祈り続けたところ満願の21日目に空が一天俄かに黒雲に覆われ嵐になり、男釜から大蛇があらわれ太平寺の仁王門に七周り半ほど巻き付き、滝の主は龍なりと言ってまた男釜に戻りましたが、尻尾はずっと滝の中に留まっていたという伝説が残り、それからこの滝を「龍門の滝」と呼ぶようになったそうです。

滝近くまで下りる遊歩道には、滝のしぶきを浴びた植物たちがみずみずしい表情を浮かべていました。

山間の湿地を好むギボウシ(擬宝珠)には絶好の環境のようです。


オタフクアジサイ(お多福紫陽花)がこんなところにも顔を出していました。


ヒメヒオウギスイセン(姫檜扇水仙)の赤が特に鮮やかです。


もうシュウカイドウ(秋海棠)の蕾が、濡れた大きな葉の間から顔を出しています。


遊歩道入り口には龍門ふるさと民芸館というカフェも併設した施設があり、そのテラスからも滝を見下ろすことができます。


テラスから見下ろした滝の眺めです。


カフェの食事メニューは「滝カレー」だけなので、選ぶのに迷うことはありません。地元野菜を中心に使っているという素直な味で充分に満足できました。



さて大蛇が巻き付いたという太平寺は、民芸館の向かい側斜面に建つ天台宗の寺で山名は瀧尾山、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝祈願して千手観音を安置し、その後嘉祥元年(848)に慈覚大師が開創したと伝わります。
中世にはこの近辺の領主であった烏山城主那須氏の篤く崇敬する寺院となりました。


仁王門は寛文元年(1661)烏山城主堀親昌が父親良の菩提を弔うために東江寺を建立した時の建築で、寛文12年(1672)信州上田に移封の際太平寺に寄進移設されたものです。
足腰治癒や旅路安全の祈願で奉納された大草鞋が架かっています。


江戸時代中期頃の作と伝えられる迫力ある「仁王像」は、古色蒼然として300年の歴史を語っているようです。


本堂です。
この寺を崇敬した烏山城主の那須氏ですが、第20代の那須資晴は、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐で参陣しなかったため、那須8万石を改易となってしまいます。
江戸時代になると、織田・成田・松下・堀・板倉・那須・永井・幕府代官・稲垣氏と短期間のうちに城主が交替し、享保10年(1725)大久保常春入封の後は、大久保氏が8代140余年にわたり城主となり、明治の版籍奉還とともに廃城となりました。


ここから約2.5キロ北方にある烏山城、八高山(206m)に築かれた連郭式の山城です。
拙ブログで4年前に紹介したことがありました。  ※下野の雄、那須一族の烏山城 2019.7.13


境内にある2代城主大久保忠胤の3女於十、4女於志賀(通称蛇姫様)、5女於霜の墓域です。この「於志賀姫」が川口松太郎の小説「蛇姫様」のモデルとして知られていますが、滝の大蛇との関係はないようです。

グロリオサ…直角に曲がった雌しべ

2023年07月22日 | 季節の花

頂いたグロリオサの球根から出た二本の茎に花が付きました。イヌサフラン科の多年草、旧分類ではユリ科、キツネユリ(狐百合)という和名もあります。
名前の由来はラテン語の「gloriosus(見事な)(栄光)」で、華やかで燃えるような姿にぴったりです。


よく見ると、受粉しやすい位置にあるべき雌しべが、まるで避けるように直角に曲がっている面白い咲き方なので、調べてみました。


蕾はユリのように下向きです。葉の先が巻きひげ状になっていて、支柱などに絡んで伸びてゆく半蔓性の植物です。


下向きの蕾が開いて、だんだん花が反り返る様子をまとめてみました。


花が開くと燃え上がる炎のような花弁と雄しべ6本は上に反り返り、下を向いた雌しべの子房から雌しべの花糸がまるで雄しべを避けるように直角に飛び出しています。


やがて花は全開して平らな状態、もう受粉能力は弱まっているかもしれません。


三つに分かれた雌しべの柱頭、その花柱はそれぞれ3つの子房に繋がっているように見えます。


花の色も移りにけりな…やがて萎んできた花弁は初めて下向きになります。
この時期になっても、雌しべはまだそっぽを向いています。


さてその答えは、日本植物生理学会「植物Q&A」に出ていました。
一つの花に雄しべと雌しべを持つ両性花では、均一な遺伝子組成の自家受精より、他家受精によって多様な遺伝子組成をもつ方が種を維持するのに有利なため、雄しべの葯と雌しべの柱頭が離れて自家受粉が起こりにくくなってると出ていました。

また、南アフリカの野生のグロリオサの受粉の生態学的な研究結果によると、花糸は周囲のより開けた方向を向いており、蝶もその方向から飛来するようで、花糸の屈曲が他家受精を促進すると考えられるそうです。
確かに写真の花粉の付いた雄しべは一定方向を向いているように見えます。


このグロリオサは花期の長い華やかな花が下から順番に咲いていくので、長持ちする花材としても人気があります。

ネット通販では、1本500円以上の値が付いていました。
生け花では、ユリと同じように花粉が衣類などに付くと落ちないので、葯は取ってしまうこともあるようです。


なお、原産地はアフリカと熱帯アジア…、そのアフリカ南部ジンバブエの国花にもなっています。
ジンバブエはザンビアとの国境にあるビクトリアの滝で有名です。
※世界遺産オンラインガイドより写真をお借りしました。

鮮やかな花が咲き乱れる遠くの熱帯の国へ暫し思いを馳せました。


斜面のアジサイ…涸沼自然公園(茨城町)

2023年07月17日 | 季節の花

梅雨明け間近の我が地方の気温は毎日35度超え、まだ筋斗雲に乗るには修業が足りない仙人は、地上のブログ取材もままならず、時期が少しずれてしまいましたが、今月初めに撮った近くのアジサイの紹介です。

わが終の棲家より5kmくらい南にある涸沼自然公園は、涸沼を見下ろす自然の地形をとり入れた34.5haという広大な面積の野趣あふれる公園です。



6月下旬から7月にかけて、1.5キロの散策路沿いと「あじさいの谷」は約30種10,000本のアジサイに彩られます。特に高低差のある斜面を利用した「あじさいの谷」の、林の奥まで続くアジサイは見ごたえがあります。

ところでアジサイの品種は2000種とも3000種ともいわれますが、世界中で品種改良がおこなわれ、毎年新品種が誕生しているため、本当のところは数えきれないというのが現状のようです。
しかし農林水産省のホームページをみると品種登録しているアジサイはわずか418種です。

アジサイは、挿し木で簡単に数が増やせて成長も早い植物ですので、近隣のアジサイ園はどこも歴史は浅く、増殖によって株数がどんどん増えつつあるようです。登録品種のものは増やして販売することは違法になりますが、自家増殖で自家使用は問題がないようです。

この「アナベル」は、北米に自生のアメリカノリノキの変種をオランダで品種改良されたもので、アメリカアジサイともよばれ最近人気の品種です。


手前のアジサイは仙人が名前の分かる数少ないひとつ、「ダンスパーティ」だと思います。


最近よく見かける「おたふくアジサイ」、花びら(実際は萼片)の縁が内側にくるっと巻かれたのが特徴で、「うずあじさい」ともよばれます。

涸沼自然公園 
開園時間/午前9時 ~ 午後5時  入園無料
休園日/   4月~10月・無休
    11月~3月・月曜(祝日の場合、翌日)
    12月28日 ~ 1月4日


園内には環境の整った250張設営可能なテントサイトや、56区画のオートキャンプサイトがあり、自然公園を楽しみながらのアウトドアライフも満喫できます。(※写真は茨城VRツアーのホームページよりお借りいたしました)

キャンプのご予約 TEL:029-293-7441

利用時間/ 通年営業
宿泊:チェックイン13:00チェックアウト翌日11:00
日帰り:チェックイン10:00 チェックアウト当日15:00
定休日:毎週水曜日(祝日及び祝日の前日を除く)
    年末年始(12/28~1/4)
※ご利用料金は、基本使用料と施設使用料の合計となります。

金剛寺…盛衰の歴史の花の寺と滝野不動堂 

2023年07月12日 | 歴史散歩

茨城県の北西部の寺院八ヶ寺が宗旨を超えて設けた、十二支の守り本尊と花めぐりの「花の寺」の5番寺は、笠間市にある真言宗豊山派の箱田山地蔵院金剛寺で、承久年間(1220年頃)賀海和尚の開山と伝わります。


その後一時衰退しますが文明9年(1477)笠間城主笠間朝貞により再建され、笠間三ヵ寺の1つとして隆盛します。江戸時代には無住寺の時もあり明治4年(1871)に廃寺となりますが明治24年(1891)再興されて現在に至ります。


本堂は木造平屋建て、内陣には本尊となる延命地蔵菩薩像が安置されています。


参道は桜の木に覆われており、春の花の寺にふさわしい景観が目に浮かぶようです。


急な石段を上ると山門があります。


本堂左には樹齢600年ともいわれているシダレザクラの古木があります。
現在は初代が枯朽してひこばえにより再生している状態ですが、春には見事な花を咲かせます。


山塊に抱かれたロケーションのため、四季折々の花と自然に囲まれています。

ここの寺宝である永正元年(1504)制作の不動明王像及両童子像は、金剛寺門徒の薬王院が別当として管理していた滝野不動堂の本尊で、県指定重要文化財に指定されています。


ということで、金剛寺の南東約1.5kmにある滝野不動堂にも寄ってみました。


滝野不動堂の創立は不詳ですが、伝承によると旅僧(弘法大師とも?)がこの地に霊を感じ取り、御経を読み上げると岩の表面に不動明王が浮かんできたとされています。以後、真言宗系の山伏修験者の祈祷所として近隣に知られた存在でした。


現在の建物は享保14年(1729)に笠間城下の富豪滝野伊兵衛が中心に寄進したことから、滝野不動堂とよばれてきました。2間4方の方形造りで、3面を回廊が回り、石灰岩の露出した岩場が堂の土台や背後まで続いています。大きな鉄拳が立っています。


片側を石灰岩の巨石に抱えられた堂上部には、大小の竜の木鼻が並び、そのほか獏や獅子の精巧な彫刻は、地元箱田村出身の藤田孫平治の作と伝わっています。この藤田孫平治は当時この地方の有名な宮大工で正徳元年(1711)成田山新勝寺の三重搭の墨書にも名が記されています。


堂の片側は片庭川に張り出した懸崖造りです。


堂の周りには多くの鉄剣や絵馬が奉納されています。不動明王の剣は魔を追い払うとともに因縁や煩悩を断ち切るといわれ、以前は出征兵士の武運長久、戦後は安産や育児、商売繁盛を祈願する人々が訪れていました。

ハス(蓮)と仏教…茨城県立歴史館

2023年07月07日 | 水戸の観光

茨城県立歴史館の蓮池に咲き始めたハス(蓮)の花、今年もいっぱい咲いています。

なぜか仏教のイメージの強いこの花は、泥の中に根を張ってきれいな花を咲かせるハスが、挫折や悲しみがあるからこそ、やがて清らかな花を咲かせられるという仏教の教えに通じるとして古来より特別の存在でした。

もちろん仏教誕生の地インドの国花はハスです。因みに日本はサクラとキク、韓国はムクゲ、英米はバラ、ウクライナはヒマワリ……、侵略者のロシアもヒマワリとか、もう一つある国花カモミールに変えてもらいたいですね。

仏像が据えられている台は蓮華座や蓮台といい、その名の通りハスをかたどっています。泥に汚れず咲く花を悟りの世界として、仏像が俗世にそまらず、悟りを開いた状態であることを表しているそうです。


この蓮池には、もともと千葉県の遺跡から発掘された2000年前の古代ハスの種を発芽させた大賀ハスが植えられましたが、その後在来種との交配が進んで純粋の大賀ハスとはいえなくなってしまったそうです。
国内でのハスの品種は数十種もあるそうなので、古代ハスの一種ということでいかがでしょうか。

この日の撮影は午前10時、すべての花が全開になっていて期待していた姿ではありません。ハスの花の命は4日と短く、いちばんの見頃は2日目、しかも半開き位の状態の早朝がいいという情報です。



そこで以前撮影のも加えて8:40→10:00→13:00の時間別に撮った写真を並べてみました。早朝から開き始めた花は、朝9時~10時には全開、昼頃から閉じ始め半開になりやがて蕾へと戻ります。


確かに午前10時の撮影では、花弁は全開になり蓮のイメージと違うような気がします。
いまにも開かんというような花を撮るのには、早朝から7時くらいまで、あとはかえって昼過ぎの方がいいかもしれませんが、さすがに早朝と夕刻の写真は無精仙人には向いていません。


もうすでに花の真ん中に花托が大きく突き出ています。花托の周りにある雄しべは短く、花托の穴から出ている雌しべに届かないため自家受粉せず、昆虫が運んでくる他の花粉で受粉する仕組みになっています。


やがて1か月くらい経つと、花托の中にはしっかりと黒いハスの実が生ります。この様子が蜂の巣のようなのでハチスとよばれ、転訛してハスになったというのが名前の由来です。


同じ仲間の睡蓮(スイレン)との違いですが、花や葉が水面から立ち上がるハスに対して、花や葉は水面上に浮かび葉に切り込みがあるのがスイレンなので区別できます。

万葉集には4句、蓮(ハチス)という名で詠まれています。

      ひさかたの雨も降らぬか 蓮葉(はちすば)に
     溜まれる水の 玉に似たる見む     右兵衛府の官人

     (天から雨が降って来ないかなぁ 蓮の葉に溜まった水が 玉のように光り
                            輝くのを見たいものだ)