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暑い季節は滝に限ると、栃木県の龍門の滝に足を延ばしました。
まず幅65m、高さ20mの大きさにびっくり、栃木県の那須を源流として茨城県の那珂湊で太平洋に流入する那珂川の支流、江川の流れです。
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大瀑布なのでしぶきが相当離れた遊歩道一帯を覆い、まるで天然のミストシャワー…この時期にぴったりの演出効果です。高校生たちが両手を上げて滝のしぶきを身体に受けていました。
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ブラタモリ流に言えば、このような滝は地殻変動による断層によって生じたと思いましたが、この滝の場合は、那珂川の河床低下によって下流部の柔らかい層と上流部の硬い岩盤との浸食作用の差で約3万年前に形成されたそうです。
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滝の落ち口近くの上流部です。この江川は流量と運んでくる砂礫量が極めて少ないため、河床の凝灰岩を浸食する力が弱く、長い間滝の形を保っているという情報がありました。
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さて、昔からこの滝の中腹に男釜、女釜という二つの大きな浸食穴があり、そこに巨大な生き物が棲むといわれていました。ある時それを確かめようと滝近くの太平寺の住職が祈り続けたところ満願の21日目に空が一天俄かに黒雲に覆われ嵐になり、男釜から大蛇があらわれ太平寺の仁王門に七周り半ほど巻き付き、滝の主は龍なりと言ってまた男釜に戻りましたが、尻尾はずっと滝の中に留まっていたという伝説が残り、それからこの滝を「龍門の滝」と呼ぶようになったそうです。
滝近くまで下りる遊歩道には、滝のしぶきを浴びた植物たちがみずみずしい表情を浮かべていました。
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山間の湿地を好むギボウシ(擬宝珠)には絶好の環境のようです。
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オタフクアジサイ(お多福紫陽花)がこんなところにも顔を出していました。
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ヒメヒオウギスイセン(姫檜扇水仙)の赤が特に鮮やかです。
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もうシュウカイドウ(秋海棠)の蕾が、濡れた大きな葉の間から顔を出しています。
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遊歩道入り口には龍門ふるさと民芸館というカフェも併設した施設があり、そのテラスからも滝を見下ろすことができます。
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テラスから見下ろした滝の眺めです。
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カフェの食事メニューは「滝カレー」だけなので、選ぶのに迷うことはありません。地元野菜を中心に使っているという素直な味で充分に満足できました。
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さて大蛇が巻き付いたという太平寺は、民芸館の向かい側斜面に建つ天台宗の寺で山名は瀧尾山、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝祈願して千手観音を安置し、その後嘉祥元年(848)に慈覚大師が開創したと伝わります。
中世にはこの近辺の領主であった烏山城主那須氏の篤く崇敬する寺院となりました。
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仁王門は寛文元年(1661)烏山城主堀親昌が父親良の菩提を弔うために東江寺を建立した時の建築で、寛文12年(1672)信州上田に移封の際太平寺に寄進移設されたものです。
足腰治癒や旅路安全の祈願で奉納された大草鞋が架かっています。
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江戸時代中期頃の作と伝えられる迫力ある「仁王像」は、古色蒼然として300年の歴史を語っているようです。
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本堂です。
この寺を崇敬した烏山城主の那須氏ですが、第20代の那須資晴は、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐で参陣しなかったため、那須8万石を改易となってしまいます。
江戸時代になると、織田・成田・松下・堀・板倉・那須・永井・幕府代官・稲垣氏と短期間のうちに城主が交替し、享保10年(1725)大久保常春入封の後は、大久保氏が8代140余年にわたり城主となり、明治の版籍奉還とともに廃城となりました。
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ここから約2.5キロ北方にある烏山城、八高山(206m)に築かれた連郭式の山城です。
拙ブログで4年前に紹介したことがありました。 ※下野の雄、那須一族の烏山城 2019.7.13
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境内にある2代城主大久保忠胤の3女於十、4女於志賀(通称蛇姫様)、5女於霜の墓域です。この「於志賀姫」が川口松太郎の小説「蛇姫様」のモデルとして知られていますが、滝の大蛇との関係はないようです。