顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

鹿島灘海浜公園とハマナス

2018年05月29日 | 季節の花

茨城県の長い海岸線(鹿島灘)約120Kmのほぼ中央に位置する鹿島灘海浜公園は、鉾田市にある総面積27haの茨城県営都市公園です。

隣接する大竹海水浴場近くに植えてあるハマナス(浜茄子)は、花より実が目立つ時期になっていました。果実が梨のような味がするためのハマナシ(浜梨)が東北で訛ったといわれます。

知床旅情の歌詞にもあるように北海道での群生のほかに、分布は東北や茨城県の一部で、ここから約10Km南の鹿嶋市大小志崎が太平洋側の自生南限地帯になっており天然記念物に指定されています。

ところで仙人が紅顔の少年時代には県北の高萩市が南限地になっており、校歌にも♬浜なすにおう松原に~♪と出ていました。校庭にハマナス園を作ることになり、いくらでも自生していたハマナスを理科の先生と採ってきて植えたのを覚えていますが、そんな行為のせいか激減し、またさらに南の鹿嶋市でも発見されたため指定地が変わってしまいました。

一帯は広い海岸線がどこまでも続いています。釣り人の身支度を見ると、イシモチのエサ釣りでなくルアーでのヒラメやシーバス狙いのようでした。

砂浜の海岸に平行して1000mのボードウオークという木道があり海風に吹かれながら散歩を楽しめます。

背の低い防風松林の間に散策路もあり、自然のままの海浜植物がいろいろと楽しめます。
この辺の海岸でよく見かけるテリハノイバラ(照葉野茨)は、ノイバラ(野茨)との違いは艶のある葉と花の付き方で、ツル性の原種バラの一つです。

海岸の砂浜が好きなハマヒルガオ(浜昼顔)は北海道から沖縄まで、海外でも広く分布し、朝から夕方頃までの日中に花を咲かせます。

同じくハマの名が付いたハマエンドウ(浜豌豆)も北海道から九州の海岸に分布する海浜植物で、赤紫色の花はだんだん青紫色に変わります。

はまなすや親潮と知る海のいろ  及川 貞
浜昼顔砂丘へ一花一花寄る  兒玉南草
浜豌豆風の持ち去る日月よ  吉野陽子


木道の側にクワ(桑)の実?、コウゾ(楮)の実?…、実の形が丸くないのでヤマクワ(山桑)の実のようです。つまむと桑の実の味です。蚕を飼育する桑はカラグワ(唐桑)とか畑桑といい、この山桑の方は昔から高級工芸品の材料として知られています。

こんなところにもブタナ(豚菜)の群生です。昭和のはじめに渡来したヨーロッパ原産の外来植物、フランス語の名前「豚のサラダ」がそのまま日本名になりました。一面の黄色は美しく、食用にもなるそうですが、繁殖力が強く害草として駆除されています。

潮来あやめまつり

2018年05月26日 | 旅行

きょう5月26日から6月24日まで開かれるあやめまつり、スタート3日前に町内の日帰り旅行で訪れました。園内に植えられた約500種、100万本といわれるアヤメ(花菖蒲)は、季節の訪れの早い今年はもう開花が始まっていました。

咲いているのはほとんど花菖蒲です。アヤメは乾いた草地などに生え網目の模様の小振りの花、ハナショウブ(花菖蒲)は湿地に生え大きい花で中心が黄色との違いがありますがアヤメ科アヤメ属なので、総称してアヤメと呼ぶことも多く、間違いとはならないようです。

1960年発売の吉田正作曲「潮来笠」の橋幸夫が銅像で建っています。
メロディーがすぐに浮かんできますが、もう58年も前のこと、17歳だった歌手も75歳になっています。

いろんな色があり模様も多様でなんとも豪華な花です。江戸時代頃からの品種改良で、絞りや覆輪の組合せにより5000種類くらいあるそうで、それぞれ夢の羽衣、浮寝鳥、淡雪桜など、雅な名前が付いています。

ここは北利根川(常陸利根川)に流れ込む前川沿いで、江戸時代には利根川を遡って江戸へ向かう船運の物資集積地として繁栄し、伊達藩や津軽藩の名の付いた河岸跡が残っています。

さて、お昼はかんぽの宿潮来です。
4階の大浴場は、北浦を見下ろす絶景のロケーション、ナトリウム塩化物泉は少し塩っぱくてしかも褐色、なんか身体に効きそうな感じがします。風呂の湯気にぼんやりと、遠くに鹿島スタジアムが見えます。

誰も居なくなったのを見計らって浴場の写真、褐色の湯の色が微かに分かるでしょうか、ふだん家庭風呂で味わえない大絶景のなかで、手足を伸ばして充分に満喫できました。

勘十郎堀 ② 紅葉運河

2018年05月24日 | 歴史散歩
水戸藩は藩政改革のため宝永3年(1707)から他藩の改革に実績のあった松波勘十郎を起用し、当時の江戸に至る物資輸送ルートの運河を掘削した勘十郎堀は、「紅葉運河」と「大貫運河」の2つの大工事でした。

当時東北からの物資集積地の那珂湊から江戸へのルートは、リスクの高い鹿島灘を避け那珂川から涸沼を経て北浦、利根川、関宿から江戸への内陸舟運ルートが一般的でした。
しかし涸沼の海老澤や安掛河岸から北浦に注ぐ巴川までの区間は、舟から積み替えて陸送になるため、ここに運河を掘りその航路を利用する舟から通行税を取り立てて藩財政の立て直しにあてようとしたのです。

しかしこの運河掘削区間約10キロは、大地を人力で掘り下げる大工事で農民たちを苦しめ、日雇い銭も支払われず、宝永5年(1708)12月、領民代表が江戸におしかけるほどの農民一揆を引き起こし、松波勘十郎は水戸藩から追放され、財政改革は中止されました。
哀れにも、のちに捕えられて投獄され,同じく水戸藩に抱えられていた二人の息子ともに翌7年11月に水戸赤沼の獄で死んだそうです。

茨城町城ノ内の堀跡
ざっと見ても10m以上あるような深さです。場所を訪ねた農家の人は、底がすぼまった籠で農民たちが土を運んだという言い伝えを話してくれました。

鉾田市紅葉地区の勘十郎堀跡
水戸藩では宝暦5年(1755)に工事を再開します。行方郡富田村(いまの行方市)の羽生惣衛門が水戸藩より勧農役に任じられ、工事を行いましたが巴川との水位差が余りにも大きく断念しました。

この辺に河岸があったとされる鉾田市紅葉の巴川、小さな川ですが勢いよく北浦に流れています。小舟で運び、北浦からはおおきな高瀬舟に積み替えたようです。
ところで川舟の上りは、もっぱら人力で、岸を動きながら綱で上流に引き上げたというから、その労力は大変なものでした。

近くに小宮山楓軒先生頌徳碑が紅葉の木のもとに建っています。
立原翠軒に学び彰考館で大日本史の編纂に尽力、寛政11年(1799)水戸藩南郡の紅葉郡奉行に抜擢されここに陣屋を置き、21年もの間勧農殖産政策を進め、荒廃していた農村の復興に成果をあげ領民にも慕われたそうです。

紅葉地区の神社、鹿島神社もありました。祭神は武甕槌命、元禄年間(1688~1704)水戸藩主光圀公命により紅葉の鎮守となると説明板にありました。
ところで、鹿島神宮を総本社とする鹿島神社は、東北、関東を中心に全国で600社以上、茨城県では約1770の神社の中で約228社が鹿島神社です。

散歩道でスウィーツ

2018年05月20日 | 散歩

久しぶりに道端の蕗を採りながらの散歩に出かけたら、ちょうどキイチゴの鈴なりの時期で、ジューシーでうす甘い、懐かしい味を摘まむことができました。
このキイチゴ(木苺)は正確にはモミジイチゴ(紅葉苺)、葉の形がモミジの形で、白い花も黄色い実も下向きに付くのが特徴です。
少年時代の山歩きで、空いた弁当箱に入れて母にお土産と持ち帰ってみましたが、山で食べた美味しさを家では感じられなかった記憶があります。

スイカズラ(吸葛)は、名前の通り花のつけ根の部分の蜜を吸うことからの命名、今でもつまんで啜ると、舌に甘い味覚が残ります。冬でも葉が生い茂り寒さに耐えているように見えるところから忍冬(ニンドウ、スイカズラ)ともいい夏の季語です。

すひかづら髪に一輪戻り海女  八木林之助
忍冬のこの色欲しや唇に  三橋鷹女



番外編、道端のオオキンケイギク(大金鶏菊)は北アメリカ原産の宿根草で、日本では工事の際の法面緑化に利用されていましたが、強い繁殖力が問題となり、「特定外来生物」に指定されています。栽培禁止ですので、まもなく刈り取られるまでのつかの間の饗宴です。
白いフランスギクも混じっています。これも外来種で、冬を越せない同種のマーガレットを尻目に日本中に蔓延っています。右の青いネットで囲われた一画は、いま水戸市で推奨しているジョイント支柱栽培を実践している梅林です。

大洗カジキミュージアム

2018年05月18日 | 釣り

近年、大洗沖はゲームフィッシングの対象魚カジキ釣りの日本一の釣り場として全国に知られるようになりました。2007年から行われているビルフィッシュトーナメントでは多い年では60艇も参加、124匹もの大物が上がった(2016)そうです。(ビルフィッシユBillfishとは英語で嘴魚、カジキのことです。)
その大洗に1年前、高さ4mもの大きなカジキモニュメントが正面に飾られたミュージアムが、関東筑波銀行のあったビルに開館しました。

海流に乗って移動するカジキですが、大洗沖は餌が豊富で滞留する期間が長く、絶好の漁場になっています。ただ、漁業者以外の釣りは基本的には認められておらず、県から特別採捕許可を受けた上で7~9月の土日に限って可能となり、大会も開催できるようになりました。
展示スペースにはカジキ釣りに使う丈夫なロッドやリール、大きな針などの釣り具、釣り上げたカジキの長く鋭く伸びた嘴(くちばし…吻(ふん)の実物などもあります。

カジキといえば「老人と海」のヘミングウェイ、小舟でカジキを釣り上げ4日もかかって引き上げた老人とカジキの戦いと結末を描いた小説は、後のノーベル賞につながりました。その時のカジキは、小説では18フィート(5.4m) 1500ポンド(675kg)となっています。

日本では、去年亡くなった松方弘樹も愛好家で、トーナメントではここの沖合8Kmのポイントで、118Kgのカジキを釣り上げたそうです。これらの写真は、元銀行の金庫室に展示されており、無機質の部屋に何故かぴったり決まっていました。

寺子屋食堂という名前の飲食スペースでは、カジキ肉を利用した軽食を200~300円の低価格で提供しています。また毎週土曜日夕方は、子ども食堂として子供たちが食事作りに携わりながら無料で食べられるという応援もしています。

たまたま在館していたオーナーを昔から知っていましたので、トローリングで使っている「ファイティングチェアー」に座り、かじき釣りのシュミレーションをやらせてもらい、大海原の画面を見ながら強烈な引き、ジャンピング、ジージーというドラグの回転音を充分に味わうことができました。