顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

菜の花とからし菜

2016年03月27日 | 散歩
久しぶりの散歩道、石川川にまた菜の花が黄色い花を咲かせ始めました。
涸沼川に流れ込むこの石川川は、水戸市元吉田からけやき台団地付近を通り、元石川、大場、秋成を経て涸沼川まで約8キロ、すぐに那珂川と合流し、太平洋に注ぎます。
ここのところ、この石川川を始め、近辺の河川では那珂川、久慈川、山田川、里川などの土手に同じように菜の花が咲いていますが、この川の特徴は、からし菜の方が多く交じることです。

正確には、菜の花はセイヨウアブラナ、からし菜はセイヨウカラシナといい、こういう野菜類の花の総称が菜の花と言うようです。この両者の区別は花が咲くと難しいですが、味は極端に違い、また葉、花によっても判別は可能です。
写真の真ん中、咲き始めがからし菜で、両側の満開が菜の花です。菜の花は葉が丸みを帯び、茎に巻き付くように出ていますし、からし菜の葉にはギザギザがあります。もっとも野生のものは交雑が起こって、単純なものではなくなっていることもあるようですが。

早速摘んで晩酌のツマミ…、右がからし菜のぴりっと辛い塩漬け、左が自然の甘みと軽い苦味の混じった菜の花の辛子和えです。
しばらく続いている花冷えにピッタリの熱燗に、春の色と味がよく合いました。




梅いろいろ…③

2016年03月16日 | 水戸の観光
偕楽園には約100種類、弘道館には約60種の梅があると言われています。水戸市ではさらに500種を目指して全国から400品種以上集めた苗畑で、平成21年にPPVというウイルス感染が発見され、その多くを処分してしました。幸い本園の感染は発見されず、また少しずつ新しい品種も増えていますが、現状の梅園でも個性のあるいろいろな梅花が眼を楽しませてくれます。

表門を入ってすぐ迎えてくれるのが、いわゆる陰の部分にひっそりと咲く、「緑萼」です。野梅系の八重、その名のとおり、萼が緑色のため清楚なイメージで人気の花です。少量結実します。

園中ほどの通路わきの「道知辺」…野梅系の一重、端正な姿と香りが道導(しるべ)になるという意味で命名?ただ知辺という字になると、知り合いという意味になってしまうので、「道しるべ」の方がいいとか、勝手に考えています。結実種です。

紅白咲き分けの花で人気の「春日野」、園内にはこの他何種類かの咲き分けがあり、思いのままとか輪違いとか名前がそれらしくなっているものもあります。李系難波性八重、まれに結実するようです。
遺伝子が突然変異を起こし赤くなるので、同じ場所に来年も赤い花が顔を出すことはないようです。

咲き分けが絞りになった「長谷川絞り」、白い花弁に紅色の絞りが艶めかしい花です。移り白といい、だんだんと紅色が消えて、白い花弁に変わります。この移り白という性質は多くの淡い紅色の花にみられます。
李系難波性八重、少量結実品種です。長谷川という人がつくった品種なのでしょうか。

盆栽などにも人気の品種、「連久」は李系の紅材性八重です。花びらの裏の方が表より濃い紅色で波打っています。例外はありますが、通常白梅、紅梅は幹の色で分類するようですが、この花の幹は特に濃い紅色です。結実するようです。

紅梅の紅の通へる幹ならむ   高浜 虚子
紅梅の支柱頼みの色香かな   顎鬚仙人


梅いろいろ… ②

2016年03月11日 | 水戸の観光

弘道館売店前の臥龍梅


地を這うように幹や枝を伸ばす「臥龍梅」と呼ばれるこの梅は、偕楽園や弘道館に何本もありますが、その由来は、いろいろ説があります。
伊達政宗公が朝鮮に出兵した際、持ち帰り(一説では兜を植木鉢にして)、最初は岩出山城に植えられ、そして仙台城から晩年若林城への居城に伴い、このウメも一緒に若林城へ移植されましたが、この朝鮮ウメは、成長すると地面を這うように枝や幹が伸びていったため臥龍梅と呼ばれていました。城の跡は現在宮城刑務所となっており、現在も臥龍梅は残されており、国内最大のものとして、朝鮮ウメの名前で国の天然記念物に指定されていて、樹齢は220年以上とも360年ともいわれ、最初の梅に接木した2代目といわれています。
また、宮城郡松島町の瑞巌寺にも伊達政宗が朝鮮から持ち帰ったとの伝承を有する臥龍梅(紅梅・白梅の2本)があり、こちらは宮城県指定天然記念物となっています。


偕楽園南崖の臥龍梅

さらには、徳川家康が、幼少の一時期、今川家の人質として清見寺(せいけんじ)という禅寺に暮らしていた頃植えた梅は、さながら龍が臥したような枝ぶりが、家康が身を潜めて天下を狙っていたかのようだということで、いつの頃からか清見の臥龍梅と呼ばれるようになったという話もあります。

また、柳井市余田にある余田の臥龍梅は、室町時代のものと伝えられ、四方に伸びた幹が地について、十数本の独立の株となり、全体として梅林のように広がって、一重小輪の白い花をいっぱいに咲かせ、国の天然記念物に指定されています。



樹皮だけになっても白い梅をいっぱい咲かせている老木(偕楽園)

偕楽園、弘道館の梅の特徴は、老木が多いということです。梅の寿命は、200~300年くらいといわれていますが、通常100年を超えると、幹の芯の部分から枯れていき、栄養分を運ぶ樹皮の部分だけで生きている木を数多く見かけます。
さらに樹皮の色も黒くなり筋や裂け目などができ、いかにも風雪に耐えてきた逞しさが出てきたものを、「鉄幹」と呼び、鑑賞の対象にしています。


その鉄幹から一輪の梅の花、まるで荒くれ男の中の乙女?…胴吹きといわれる現象で、特に古木に多く現れるようです。幹に小さく芽が出て短い枝ができ、そこに花が付いたのですが、まるで幹から直接、花が咲いているようです。(偕楽園)

高速道側道の蕗の薹

2016年03月07日 | 散歩

いつもの散歩道、高速道路の側道のコンクリートの隙間から顔を出した蕗の薹3個、地下茎が芽を出せる場所をちゃんと見つけていました。たくましく笑っているいたずら坊主のようです。
キク科フキ属の多年草、全国の山野に自生する日本原産の山菜です。蕗の薹はつぼみの部分でやがて茎が伸びて白い花を咲かせますが、株が弱るので蕗の薹として摘み取ったほうがいいという説もあります。


早速、細かく刻んで味噌と合え、皿に塗ったのをガスで炙り、焦がし蕗味噌(仙人命名)の出来上がり、それと定番の天ぷらです。
昔から「春には苦みを盛れ」といわれているように、この苦みにこそ、冬から春の体に覚醒させる働きがあるようです。冬眠から目覚めた熊が一番初めに口にするのは「蕗の薹」といわれていますが、奥久慈の山奥で毎年立ち寄った蕗の薹群生地、イノシシの掘った跡が無数に見られたのは同じ現象だったのかもしれません。


西福寺(那珂市瓜連)

2016年03月05日 | 歴史散歩


地理に詳しくない町の迷い道で見つけた大きな時宗西福寺の石塔、しかしどこにも本堂やお寺の建物は見えず、地蔵堂という小さな建物と墓地だけ…思わず写真を撮って調べてみました。

鎌倉時代末期の武将、北条貞国が、元弘2年(1331年)に建立したといわれ、廃仏毀釈(光圀時代?江戸末期~明治?)により廃寺となったため、寺の詳細を伝えるものは残っていません。ただし寺格は没収されたものの、地蔵堂と墓地などが現地にそのまま残っているため、寺としての機能は残っており、常陸太田市にある同じ時宗の浄光寺が兼務管理しています。ということは、廃寺ではなく無住寺というのでしょうか。山川菊栄の「幕末の水戸藩」にも、光圀、斉昭の仏教嫌いが描かれていますが、逆に保護された名刹などもあったようですから、整理される方の寺院は哀れとしか言いようがありません。

地蔵堂にある本尊は、木造では県内最古(鎌倉後期)の地蔵菩薩像(市の指定文化財)です。

そのほか鎌倉後期から南北朝時代の造立とされる五輪塔数基,時宗の開祖一遍上人直筆の碑などがあります。一遍上人は弘安3年(1280年)に陸奥国江刺郡稲瀬(岩手県北上市)にある祖父の別府通信の墓に参り、その後、松島や平泉、常陸国や武蔵国を経巡るという記録があるのでこの地方に来たかもしれません。なお、五輪塔は歴代和尚の墓碑と説明板には書いてあります。

無住寺に派手な群落犬ふぐり  亀山幽石
春浅し廃寺に並ぶ五輪塔  顎鬚仙人