2005年9月末にデンマークの有力紙Jyllands-Postenが、イスラム教の預言者ムハンマドをテロリストに見立てた風刺画を掲載し、その後、イスラム教諸国で大規模な抗議活動が起き、大使召還などの外交問題のほか、デンマーク製品の不買運動に発展したのはちょうど2年前の話だった。風刺画そのものがイスラム教を冒涜したと受け取られただけでなく、イスラム教では預言者を実際の物かたちとして表現することが禁じられていたことが、大きな原因であった。
以前の書き込み:
渦中のデンマーク(1)(2006-02-02)
渦中のデンマーク(2)(2006-02-04)
渦中のデンマーク(3)(2006-02-06)
それと似たような騒動が、今スウェーデンで起きている。
事の発端はこうだ。スウェーデン人の芸術家Lars Vilksが、ムハンマドを犬に喩えた風刺画を作品として作成した。彼は、その作品をいくつかの展覧会に出展しようとしたものの、宗教の冒涜としてイスラム世界から反発を受けることを恐れた主催者側によって、展示を全て拒否された。Lars Vilksのそもそもの意図は、まさに「芸術のよる表現の自由の限界」を試すことであったのだが、それに同調してくれる主催者はいなかった。
問題の風刺画。製作者Lars Vilks本人のホームページより
この手の「宗教の冒涜」vs「表現の自由」の論争は、表現の自由を重んじる西側諸国では常に問題となる。そんな中、ストックホルムから西へ200km近く行ったところにある、オーレブロー(Örebro)市周辺の地方紙Nerikes Allehandaは、表現の自由を擁護するという趣旨の社説を今年8月終わりに掲載したのだが、その際に、問題となっていた風刺画も一緒に添えて掲載したのだった。
この掲載の直後、まずイラン大統領Mahmoud Ahmadinejad(核開発や人権など様々な面で欧米から問題視されている)が新聞社に対して公に抗議を行った。また、パキスタンではデモが起き、スウェーデン国旗とスウェーデン首相を真似た人形が燃やされた。また、新聞社の地元オーレブロー市でも新聞社前で謝罪を求める抗議活動が展開された。さらに、もともとの発端であるLars Vilksのもとには殺人を仄めかす脅迫が届いたため、彼は自宅を離れ、潜伏をする羽目になった。
ラインフェルト首相に見立てた人形、らしい。パキスタンにて
今のところ、デンマークでの前例ほどには騒ぎが深刻化していないが、この問題に関しての争点はデンマークのケースと同様、次の2点に集約されるのではないか? と私は思う。
① 風刺画の掲載は、新聞社Nerikes Allehandaが行ったことであり、よって責任を負っているのは新聞社であって、スウェーデン政府の関与することではない。よって、スウェーデン政府に抗議するのは筋違い。
② 芸術家Lars Vilksは“芸術”という名の下にこの風刺画をあえて描き、一部の人々を不快にさせたわけだが、そこまですることに大きな意義があったのか?
(長くなるので、続きは次回)
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渦中のデンマーク(1)(2006-02-02)
渦中のデンマーク(2)(2006-02-04)
渦中のデンマーク(3)(2006-02-06)
それと似たような騒動が、今スウェーデンで起きている。
事の発端はこうだ。スウェーデン人の芸術家Lars Vilksが、ムハンマドを犬に喩えた風刺画を作品として作成した。彼は、その作品をいくつかの展覧会に出展しようとしたものの、宗教の冒涜としてイスラム世界から反発を受けることを恐れた主催者側によって、展示を全て拒否された。Lars Vilksのそもそもの意図は、まさに「芸術のよる表現の自由の限界」を試すことであったのだが、それに同調してくれる主催者はいなかった。
問題の風刺画。製作者Lars Vilks本人のホームページより
この手の「宗教の冒涜」vs「表現の自由」の論争は、表現の自由を重んじる西側諸国では常に問題となる。そんな中、ストックホルムから西へ200km近く行ったところにある、オーレブロー(Örebro)市周辺の地方紙Nerikes Allehandaは、表現の自由を擁護するという趣旨の社説を今年8月終わりに掲載したのだが、その際に、問題となっていた風刺画も一緒に添えて掲載したのだった。
この掲載の直後、まずイラン大統領Mahmoud Ahmadinejad(核開発や人権など様々な面で欧米から問題視されている)が新聞社に対して公に抗議を行った。また、パキスタンではデモが起き、スウェーデン国旗とスウェーデン首相を真似た人形が燃やされた。また、新聞社の地元オーレブロー市でも新聞社前で謝罪を求める抗議活動が展開された。さらに、もともとの発端であるLars Vilksのもとには殺人を仄めかす脅迫が届いたため、彼は自宅を離れ、潜伏をする羽目になった。
ラインフェルト首相に見立てた人形、らしい。パキスタンにて
今のところ、デンマークでの前例ほどには騒ぎが深刻化していないが、この問題に関しての争点はデンマークのケースと同様、次の2点に集約されるのではないか? と私は思う。
① 風刺画の掲載は、新聞社Nerikes Allehandaが行ったことであり、よって責任を負っているのは新聞社であって、スウェーデン政府の関与することではない。よって、スウェーデン政府に抗議するのは筋違い。
② 芸術家Lars Vilksは“芸術”という名の下にこの風刺画をあえて描き、一部の人々を不快にさせたわけだが、そこまですることに大きな意義があったのか?
(長くなるので、続きは次回)
イランの現政権に関しては管理人様が仰られた人権問題や核問題の他にもホロコースト発言に対する反発があるように日本人から見ると感じられますね、ホロコーストに関してはその真偽も含め疑問点は多々あるわけですが欧州(私が滞在した事があるのは極めて少数ですが)では疑問を投げかけること自体がタブーであり、それが科学的根拠に基づいたものであっても発言者が社会的に不利な状況に追い込まれるケースが見受けられます。
忘れてはならないのは少なくとも現イランのアフマディーネジャード大統領は民主的な選挙によって選ばれているという事です、米でしばしば見られる政権そのものをどうこうせよと云う意見に関しては明らかに行き過ぎですね。
さて管理人様のあげられた2つの要点ですが①に関しては全く仰るとおりで疑問の余地がありませんね、ただし、イスラム教に対する偏見や無根拠名批判的風潮が国内にあるとするならば全く無責任であるとは言えないかも知れません。
難しいのは2つ目の様に感じます、風刺というのはパロディやユーモアでは無く多分に政治的な要素を含み相手に対し変革や純粋な抗議を含むものだからです。
分かりやすく言ってしまうと、Lars Vilks氏が描いたものが風刺であるのか、それとも単に相手に対する侮辱や偏見、言って見れば「攻撃」であるのかという事ですね、宗教的に中立であろう私から見れば彼の作品は偏見に基づいた攻撃にしか見えません、キリスト教社会もある部分では十二分に閉鎖的ですから。
報道の話に摩り替わってしまい恐縮なのですが、表現の自由、報道の自由を隠れ蓑にし他者や公共の利益を著しく損なう行為が(日本では報道)見受けられるように感じます、彼らに問いただしたいです、あなた方のやってるいるものは本当に報道ですか?表現ですか?何か他意を含んでは居ませんか?と、我々は自由です、でもその自由は公共の利益を損なわない範囲でのみ許されるものです、それは他者の自由を尊重することでもあるからだと思っています。
長文失礼いたしました、まだ前半という事ですので後半非常に楽しみにしております。
> ただし、イスラム教に対する偏見や
> 無根拠名批判的風潮が国内にあると
> するならば全く無責任であるとは言
> えないかも知れません。
> Lars Vilks氏が描いたものが風刺で
> あるのか、それとも単に相手に対す
> る侮辱や偏見、言って見れば「攻撃」
> であるのかという
その通りで、やはり芸術家本人が言う目的の裏には、イスラムに対する軽蔑、もしくは無理解・無知識があったのではないかと思います。風刺画自体も、芸術作品という割には随分と低俗である印象を受けます。
それから、ヨーロッパでは反ユダヤ的発言が、イスラム教徒にとっての預言者批判と同じくらい、大きな問題になります。でもって「反ユダヤ」であれば、「言論の自由」の制限も致し方ない、と判断している国さえあるようですね。(幸いスウェーデンは、そこまで敏感ではなく、そのような法律もない)
> 表現の自由、報道の自由を隠れ蓑に
> し他者や公共の利益を著しく損なう
> 行為が(日本では報道)見受けられ
> るように感じます
このあたり、もう少しお聞かせ願えれば嬉しいです。具体的にどういうケースなのか、私がふと思いついたところでは、ワイドショーに見られるような低俗な芸能人報道や、ジャーナリズムの名を借りた一方的な個人批判などですが、他にも教えていただけると助かります。
2007年5月17日、日本では一人の若い警察官が亡くなりました、彼は愛知県警SAT(特殊急襲部隊)所属の機動隊員でした。
同日午後3時頃発生した拳銃人質立てこもり事件の結果発生した被害者の一人です。
彼は何故死ななければならなかったのでしょうか?
事件後各種メディア(特に放送局)は警察の事件対応、救出が遅れ警察官が死亡した事に対する批判を行いましたが、果たして彼が死んだ大きな原因は愛知県警にあったのでしょうか?
私はそう考えてはいません、総時間29時間にも及ぶこの立てこもり事件をそれ程まで悪化させたのは他ならぬ報道の姿勢による所が大きいと考えるからです。
事件発生後すぐに現場に駆けつけた多数のメディアはライブ中継を用いて現場の仔細を伝え続けました、犯人が立てこもった民家の中にはテレビモニターがあるにも関わらず。
警察関係者の動き、屋根の上の狙撃手、車両の配置、全てテレビを見ている民間人にすら筒抜けでした、程無く報道管制が敷かれた際も写せない部分を具体的に示した上、上空からの空撮に切り替えた局も存在しました。
彼らがやった事は報道でしょうか?過去の同様の事件のケースから犯人がテレビ中継から外部の様子を探るというのは素人の私でも気がつく事です。
ご存知かもしれませんが過去に瀬戸内シージャック事件という事件がありました、戦後初の犯人に対する狙撃射殺で幕を閉じた事件はこの後、狙撃した警察官の名前、顔写真が報道で全国に報じられ家族に対する嫌がらせ、本人の退職、そして自称人権派弁護士による殺人罪起訴にまで至りました。
瀬戸内シージャック事件がその後の警察の判断に与えた影響が大きいのは想像に難くありません。
撃たれた林一歩警部(二階級特進)を殺したのは犯人です、まず批判を受けるべきは犯人であり、次に社会的な配慮を欠いた報道機関です。
1歳に満たない娘を持つ父親でもあった若い警察官を殺したのは日本のマスメディアです。
埋もれた被災者の声が聞き取れなかった可能性が高いということでした。
なるほど、ジャーナリズムという名を借りた行き過ぎた報道活動や、現場での悪影響を省みない無神経な取材ですね。SATの機動隊員がなくなった立てこもり事件は聞いておりましたが、お教えいただいた点については知りませんでした。
そういわれれば、被害者や親族の心情も考えず、そのお宅を早朝から深夜まで散々、訪ねまわしたりすることも頻繁にあるようですね。
このような行き過ぎには何らかの規制が加えられるべきだと思いますが、それを政府や行政機関などの公権力が行うと問題です。報道の重要な目的の一つは、政府や公権力の情報独占体制を弱め、隠されている重大問題があればあれば、それを積極的に公表することですから。
一つの手としては、マスコミなどの業界団体や政府の手がかからない第三者機関が倫理委員会を作り、そこで行き過ぎ報道や取材の申し立てを行い、判断を下すことだと思いますが、日本ではそのような制度があるのでしょうか? あっても機能しているのでしょうか?