スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

トライアスロン皆生大会 団体参加

2010-07-21 11:27:15 | Yoshiの生活 (mitt liv)
最近、スポーツイベントの話題が続いていますが、またスウェーデンの政治の話も続けて行きます。

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さて、鳥取・米子市で開催されたトライアスロン皆生大会。30周年記念である今年は、団体参加によるリレーも可能になったが、初めての試みとあってルールや手続きなどが確立しておらず、大会主催者側も大いに困惑していた。

さて、朝7時の水泳スタート。この日は晴天で地元の最高峰、大山(だいせん)が空にきれいに映えていた。雲ひとつなく、朝から気温がドンドン上がっていった。今年の出場者は個人参加が824人、団体参加が48組。日野川河口部の砂浜に選手が一堂に集まった(団体参加の人は水泳担当の選手のみ)。我が「チームSATO」で先陣を切る私の妹も、号砲を待ちわびる選手の中のどこかにいた。


7時の号砲と共に日本海に向かって一斉に駆け出す選手たち。まず沖合いに400mほど泳ぎ、左折した後は浜と平行に泳いで行くことになる。先頭争いをする選手に他の選手が連なって行き、きれいな長三角形ができた。そして、それが次第に左寄りに歪んで行き、先頭集団が左折を始めていく。



沖合いに400mと言っても、実際に目で確認すると浜からかなり離れていると感じる。妹が本当にそんな所で3kmも泳げるのか・・・。次第に不安になっていった。しかし、その妹が群集のどこにいるかも見分けがつかない状態なので、「あそこでちゃんと泳いでいる」と確認することすらできない。妹はこのような大会は初出場。しかも、これまでプールでの練習がほとんどで、実際に海でトレーニングしたことは数回しかなかったのだ。

この3kmの水泳コース。実は、1.7km地点で一度浜に上がり折り返す。だから、心配だった私は、その折り返し地点に急行した。すでに、多くの選手が上陸し、給水した後に再び海へと戻っていた。そこで20分ほど待っただろうか。浜に向かってくる選手が残り4人となったとき、その中に少し変わった動きをする選手を見つけた。他の選手がゆっくりとクロールしているのに対し、その選手は腕を見せず、頭が水面に出たり沈んだり。そう、平泳ぎだ。おそらくこの大会唯一だと思われる平泳ぎの選手が、妹だったのだ。


クロールだと力の消耗が激しい。平泳ぎのほうがマイペースに泳げると、当初から平泳ぎだけで泳ぎきるつもりだった。折り返し地点の通過時は最後から2番目。私もタイムなど競うつもりは最初から全くなかった。とにかく泳ぎ切って、次の自転車に繋いでくれればいい。1.7kmの折り返し地点で47分。2時間という制限時間はクリアできるだろうか・・・?

そんな心配も杞憂に終わった。折り返した時点で最後から2番目だった妹が、平泳ぎにもかかわらず後半戦で10人以上も追い越して、1時間27分でゴール。泳がない泳げない私にとっては想像も付かない世界だ。

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自転車を担当する父がバトンを受け継いだのは8時半過ぎ。既に炎天下の兆し。そんな中を145kmも走るのだが、コースは大山(だいせん)の山麓を駆け巡る非常にアップダウンの激しい所。前日の開会式でコースの概要を説明した審判長も「最初の部分に少し平坦な部分があるが、それ以外は登りか下りしかない」と言っていたほどだ。コースが広範囲にわたっており、残念ながら途中を観戦に行けないのが残念。


各選手が足にICチップを巻いておりタイムが自動的に計測される点は、スウェーデンの自転車大会(ヴェッテルンルンダン)やヨーテボリ・ハーフマラソン、そしてストックホルム・マラソンと同じだ。しかし、スウェーデンのこれらの大会では途中ポイントの通過時間が瞬時にオンラインで公表されたり、携帯メールに自動的に送信されるため、選手の奮戦状況が第三者に簡単に伝わるのに対し、残念ながらこのトライアスロン皆生大会では、そこまで行き届いたサービスはない。

私が得た唯一の情報は、テレビ局の撮影チームからのものだった。実は我々「チームSATO」は親子での団体参加とあって、地元のテレビ局(日本海テレビ)がドキュメンタリー番組を作るために絶えず追跡していたのだ。自転車の競技中もテレビ局の撮影班が私の父を追いかけ、ワゴンの天井からテレビカメラで撮影していた。その撮影班から私の元に入った情報は、父が猛スピードで自転車を飛ばし、エイドステーションにもほとんど立ち寄らないで先へ先へと急いでいるが、足がつったために苦労している、というものだった。しかしその後、予想よりも早く、残り50kmのところまで来ている、という未確認情報も飛び交っており、最後のマラソンを担当する私も、腹ごしらえを済ませ、早めにスタンバイしておくことにした。

さて、12時に最初の選手が自転車を終えて帰ってきた。この大会には、個人参加の選手(つまり1人で3種目すべてをこなす人)と団体参加の選手(リレー式)が一緒に参加しているが、驚いたことに最初に自転車を終えた選手の数人は、みな個人参加の選手だった。自転車を置いて着替えを済ますと、順次マラソンのスタートを切っていく。



第1位で帰ってきた選手

わたしの父は、その未確認情報によると13時ごろの到着だったので、13時にはバトンの受け渡しエリアに入って、スタンバイしていた。その時には既に団体参加の何組かが自転車からマラソンへの切り替えを済ませていた。さて、待つこと数十分。個人参加の選手が次々と自転車を終え、マラソンに移って行き、団体参加の選手も一組、また一組とバトンタッチをして行った。時刻は14時を過ぎ、14時半を過ぎていった。次第に心配になっていった。そんな時、自転車選手のリタイアの情報が入ってきたが、幸いにも別のチームだった。

そして、14時40分を回った頃、ANA(全日空)のロゴの入ったシャツを着た父の姿が見えた。ついに自転車を終えゴールだ。父に続いて、テレビ局の撮影班がカメラとマイクを担いで私のほうに向かってくる。そして、私へのバトンタッチの様子を詳細に記録に収めていく。バトンタッチと言っても、バトンを渡すわけではない。実際には、足首に巻いたICチップを外して渡すのだ。

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さあ、ついに私の出番がやってきた。目指すは境港。弓ヶ浜半島の先端だ。そこで折り返し、同じ経路をたどって再び米子市に戻ってくるコースだ。3kmを泳ぎ終え、145km自転車を終えて、やっと最後のマラソンに取り掛かった個人参加の選手とは違い、マラソンだけを担当する私は足並み軽く、快調に走っていった。この大会は私にとって2度目のフルマラソン。1度目は今年6月のストックホルム・マラソンだったが、その時は前半をハーフマラソン並みに飛ばしたために後半が続かず、苦い経験をした。その教訓を踏まえ、今回は前半で力を入れすぎないように気をつけた。自分の限界の60%を意識しながら前半を終えた。


ただ、不安要因も出てきた。実はこの大会、自転車コースもマラソンコースも交通規制がほとんどない。赤信号になると青まで待たなければならないのだ。信号に引っかかることは頻繁にはなかったものの、それでも一度止められるとそれまでのペースが乱れてしまう。足を止めたために、足の筋肉がつりそうにもなった。

実際に足がつったのは、ちょうど中間地点である落ち返し地点の直前だった。「ゲゲゲの鬼太郎」で町おこしをしている境港市の「妖怪ステーション」が折り返し地点なのだが、その100m手前で右足ふくらはぎが痙攣を起こし動かなくなった。激痛に耐えること1分ほど。するとたまたま「ねずみ男」(の着ぐるみを着た人)がやって来て、私を指差す。私も動くことができないまま「妖怪なら、何とかして助けてよ」と冗談で言うと、本当に足を軽くマッサージしてくれた。ありがとう。

この痙攣後もしばらくは順調に走ることができたものの、25kmを過ぎたあたりから足の筋肉が限界に近づいてきた。あと15km余りを走り切れるようにと徐行をするものの、足を動きを緩めた途端に、筋肉が痙攣を起こし立ち往生。そんな状態が3kmごとにやって来た。



時刻は5時半を回ったものの相変わらず暑い。今日の最高気温は35度、湿度は90%とのことだった。復路は既に走った道。余計に長く感じられる。国道431号線の直線部分が単調でしんどい。しかし、この大会の素晴らしいところは元気なボランティアの人たち。一般の人々もいるし、中学生、高校生もいる。全部で4000人ものボランティアが大会を支えていると言うが、そんなボランティアの人たちが沿道の至る所に立って交通整理をしながら声援を送ってくれる。そして、エイドステーションのたびに頭に冷たい水をかけてくれる。

テレビ局の撮影班もコースの各所に待ち構えて、私が半ばフラフラになりながら走って(歩いて)来るのを撮っていた。あるエイドステーションでは「あと10kmもないからガンバレ」というボランティアの人の声に応えて、大きく手を振りながら勢いよくその場を後にした300m後に、再び足が痙攣し、立ち往生してしまった。その一部始終もカメラが収めていた。

私の周りにいるのは、ほとんどが個人参加の人たちだ。彼らは泳ぎ、自転車を漕いだ後に、いまフルマラソンを完走しようとしている。とてつもない体力と精神力の持ち主だ。中には倒れそうになりながらも、歩いて着実にゴールに向かっている人もいる。それに対し、私は団体参加の一人。マラソンだけの参加だから、本来なら体力も残っていなければならない。それなのに、個人参加と同じくらいに疲れた顔をしている。情けない。そういえば、好調だった前半部分でも、ヘトヘトになって走っている個人参加の選手たちを次々と追い越していくことに、ある種の罪悪感を感じたものだ。このトライアスロン大会は、あくまでトライアスリートが主役のはずだ。そんな所に私みたいな団体参加の者がまぎれていてもいいのか・・・?

一番辛かったのは30km~35km区間だったが、ボランティアの元気な声援に励まされながら、最後の7kmはほとんど歩くことなく前へ進み、19時36分にゴール。妹、父に加え、母も一緒になって、家族での伴走ゴール。もう暗くなっていた。水泳の妹が朝7時にスタートしてから12時間あまりが経過していたことになる。私のマラソン部分は、かろうじて5時間を切った。ストックホルム・マラソンよりも大幅に記録が落ちた。しかし、時間がどうだったかよりも、最後まで完走できたことが嬉しかった。

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2 コメント

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Unknown (夏美)
2010-07-22 10:08:44
トライアスロン報告、楽しみにしてました。

当日は鳥取の方へ行っており、帰りの電車の中からたくさんの自転車選手たちが見えました。
トライアスロンって本当に鉄人レース。。。
心から敬服します。

チームSATO、完走おめでとうございます!
またドキュメンタリー番組の放映が決まったら教えてくださいね。

お疲れ様でした。
ぜひ来年も!!!!^^

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2011年 (ikebuchi)
2011-05-08 03:29:19
今年はチーム消化器内科で参加することにしたよ!
おれは泳ぎます!
よろしくー。
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