スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

1月14・15日「脱原発世界会議」 in 横浜

2012-01-29 14:46:34 | コラム
年が明けてから日本に2週間滞在。仙台・東京・山口・広島・鳥取などで過ごした。

その間に参加したイベントのひとつは、1月14・15日横浜で開催された「脱原発世界会議」。一昔前ならば少し過激な印象も受け、異端的な目で見られたかもしれないこのテーマに、両日でのべ11000人もの人が参加した。海外からも30カ国から50人を超えるゲストが参加した。


とてつもなく大きなイベントで、1000人収容できるメインホール、600人のサブメインホール、そして、150人前後収容できる部屋が10ほど用意され、その全てで様々な企画が同時に進行していった。この巨大なイベントをピースボートの専従50人、ボランティア300人で実現したというからスゴイ。

初日は13:00から開会イベントがスタートする予定だったが、当日券を買い求めたり、引き換えたりする人たちが開会の時間になっても会場入り口前に長蛇の列を作りながら、寒さの中で待っていた。だから、30分遅れたスタートとなった。

私は2日目の分科会で「持続可能なスウェーデン協会」のレーナ・リンダルさんと一緒に、電力自由化や発送電分離についてのトークショーを行ったところ、会場を埋め尽くし、立ち見が出るほどの人が詰めかけ、熱心に聴いてくれた。

朝日新聞1月19日朝刊の社説面でこのイベントについて触れている。脇阪記者は私の分科会にも参加してくださった。


脱原発という、これまではメインストリームから外れていた動きが、こうしてメインストリームになりつつある、という印象を受けた。私と同じような20代・30代の若い人が参加者に多かったことも印象的だ。今までなんとなく不安は感じながらもこのような動きに加わるのをためらっていた人たちが、2011年3月を機に、これは自分達の問題なんだ、自分達の将来に関わる問題なんだ、と真剣に考えつつあるのだと思う。それは、正直なところ、私も同じだ。次のステップとして、「脱原発」という考えを「持続可能な社会」の実現という枠組みの中で捉えたうえで、では、私たちはどのような「持続可能な社会」を望んでいるのかを議論していくことが必要になると思う。

(話はそれるが、このイベントの関係者ではない在京のスウェーデン大使館も自身のHPのイベント一覧で、この会議のことを触れていた。スウェーデン大使館としても応援しているのだと私は理解した。)

今回の会議は、脱原発のうねりの第一歩にすぎない。ネットワークを作って、今後、次の行動につながっていって欲しいと思う。

海外からのゲストが様々な場で口にしていたのは「福島第一原発やその周辺の状況が、いまだにこんな状態だったと知って驚いた」というものだ。海外ゲストは、この世界会議に先駆けて福島県の南相馬市などを訪れて現地の様子を視察していた。現地の実情は予想よりも深刻だったというのだ。

震災直後の世界的な注目に比べて、今は世界に流れる福島関連の報道は大きく減っている。しかも、日本政府の意味不明の「収束宣言」が世界に報道され、間違った「安心感」が世界の人々に伝わってしまったのかもしれない。とにかく、海外にいる私としても、海外の人々に実情を伝えていくことが必要なのだと感じた

以下に、欧州議会議員レベッカ・ハルムス氏(ドイツ選出・緑の党)の言葉を紹介するが、彼女は「原子力のパワーから脱却しなければ政治的なパワーも失ってしまう」と言っている。彼女の意味するところは「原発依存に代わる新しい政策を提案できなければ、政治家は有権者の投票行動を通じて職を追われてしまう」ということだが、私はむしろ日本が国としての信頼を失い、世界の中における影響力・発言力を失ってしまう、という解釈もできるのではないかと思う。


印象に残った言葉:

【レベッカ・ハルムス氏(欧州議会議員、緑の党/欧州自由同盟副代表)・開会イベントにて】


福島原発事故の大きな帰結は、日本よりもむしろ、遠く離れた地球の裏側において顕著となった(← 脱原発を政治的に決定したドイツ・スイス・ベルギーを指して)。我がドイツは脱原発を決定し、半分にあたる8基の原子炉を停止したが、それから半年以上経った今、電力の輸入で補うことはやっていないし、電力価格が高くなったわけでもない。ドイツはこのまま行けば、温暖化対策の目標達成も可能である。

福島の政治的なインパクトは、ドイツをはじめとするヨーロッパで強く現れた。ドイツのある選挙において、原発推進の保守系候補者が福島の事故ゆえに負けたのである。

では、日本ではどうだったのか? すでに多くの原子炉が停止し、54基のうち5、6基しか動いていない。日本の世論も大きく変わり、脱原発を支持する人々が半数を超えている。これはまさにドイツの世論と同じような展開である。それなのに、どうして(政治的に)脱原発を進められないのか?

日本の皆さんには、ドイツの経験から学んで欲しい。日本の市長の方、地方議会の議員の方、県知事の方、国会議員の方、中央官僚の方々。あなた方は正しい教訓を福島原発の事故から学ばなくてはならない。さもなければ、皆さんは権力の座から追われることになる。原子力のパワーから脱却しなければ政治的なパワーも失ってしまう。

日本政府のこれまでの対応を見ていると、もっと科学を生かして解決に向わなければならないと感じる。政府機関から独立した医師や科学者、原子力に詳しい専門家や、チェルノブイリ事故の経験をよく知っている専門家など、世界中の英知を集めて、ワーキンググループを作って共に学ぶことが必要だ。


【佐藤栄佐久氏(前福島県知事)・開会イベントにて】


私が在任中に、いくつかの原子力事故が福島の原発であった。ある時は、原発で非常事態を告げる警報が原発施設内で鳴ったが、東京電力はそれを消したという。そして6日後になって福島県のほうに連絡がきた。電力会社から東京の本社へ報告があり、そして経産省に報告があり、そして地元の福島県に届いたのは最後で、6日目だった。原子力事故が起きた場合、一番の関係者は地元自治体であると思うが、一番最後だった。

チェルノブイリ事故の教訓を生かすために採択された「スラヴィティチ基本原則」(欧州地方自治体会議がチェルノブイリ事故から20年経った2006年に採択)では、原発の一番の関係者は地元の住民、そして、地方自治体だと明示している。

また、この基本原則は「他国政府の原子力の事業者は偽りのない情報を平時に於いても緊急時に於いても提供する義務を有する」と書いている。福島第一原発から放射能を含む10000トンの汚染水を流す際に、私は当然のこととして、これを世界各国に報告した上で行っていると思っていたが、実際はそうではなく、韓国から抗議の声が早速上がった。9ヶ月以上経った後に、原子力安全・保安院の院長が記者会見して「いや、事故のために混乱したから他の国には報告しなかった」と言っている。

1999年に、福島県の隣の茨城県でJCOの臨界事故が起きた。その時に現場で指揮を取った当時の原子力安全委員会の隅田副委員長が、退職後である2009年に「これだけは言っておかなければならない」として、新聞にこう投稿していた。今こそ、推進と規制の分離をすべきだと。つまり、推進機関とチェック機関が経産省という同じ役所に入っているから、これを是正しなければ事故は必ず起きるよ、と書いていた。

実は、新しい時代の幕開けの2001年1月1日に省庁再編が行われ、21世紀に向けた新しい役所が作られていた。この時、大蔵省は、銀行業務の監督を行う部門と金融行政を執行する部門の両方抱えていたために、前者を金融庁として分離した。しかし、同じときに原子力行政の世界ではどういうことが起きたか? 何と、経産省はチェック機関を、原子力を推進する経産省の中に取り込んでしまった

現在、原子力安全・保安院は経産省の管轄下にあり、チェックするところが一緒の屋根の下にあって、人事もたすき掛けで行われている。泥棒と警察が一緒の館に住んでいるということである。私も県知事として、2002年と2004年に原子力委員会の委員長にこの問題を提起したが、改善はなされなかった。

また、2002年8月29日には、経産省に送られてきた原発作業員からの内部告発を、経産省が東電に流し、東電が検査記録の改ざんをしていたことが明るみになった。経産省がこのようなありさまであるから、内部告発する人も怖くなったのだろう。当時知事であった私の元に2002年から2006年まで20通の内部告発が寄せられ、ずさんな安全管理の実態が訴えられていた。残念ながら安全を確保するような国の体質に全然なっていない。


【飯田哲也氏・閉会後の記者会見にて】

民主党政権は、その失敗を露骨に出してしまった。私は、海外のメディアのインタビューにこう答えた。自民党の政治は歌舞伎だったが、民主党の政治は学芸会だと。学芸会だからそのお粗末さが見る人に分かってしまう、ということだ。

結局、何でこうなってしまったかというと、官僚に完全にお任せだからだ。官僚というのは市民とか地域のことを毛ほども考えていない。上から目線でとにかく見下しているだけなので、一人ひとりの人間の幸せとか苦しみを、地域の目線で考えるようなことを全くしない。民主党政権は、それに任せて大雑把な政治をしている。

だから、そういう政治にさせないために、どういう手を打つべきかを考える必要がある。しかし、レベルの低い日本のこんな政治ではそう簡単にできることではない。まずは、地方政治の中で、きちんと機能する政治を部分的に実現するようにしていく。あるいは、国の政治の中でも省庁の縦割りをまたいで官僚らをきちんと使いこなせるようなレベルまで作りこんだ政権を作れるように働きかけていくしかない。


【吉田達也氏(ピースボート代表)・閉会後の記者会見にて】

私たちは、本質的な問題に向かい合わなければならない。この脱原発の問題は、日本の民主主義の問題とも直結している。私たち一人ひとりが行動を始められるか、ということなのだ。「行動してもどうしようもない」という諦めではなく、自分たちが行動することで何かが変わるのだという実感を得ることだ。福島の現場に足を運べば分かるが、本当にどうしようもないことが起きている。それなのに、(現在の原発依存のエネルギー政策は)お上のやっていることだから仕方がない、と思ってしまったら、おしまい

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6 コメント

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脱原発のドイツ  電力不足でオーストリアからも電力支援を受ける (coj21)
2012-02-01 21:00:25
脱原発を決めたドイツが、電力不足の懸念から2011年12月に隣国のオーストリアから電力支援を受けたことがわかった。ドイツ政府によると、2011年12月、自動車工場など多くの産業を抱えるドイツ南部で電力不足のおそれが出たため、オーストリアから予防措置として電力供給を受けたという。

ドイツ政府は、電力不足の原因について、南部の原子力発電所1基が点検のために稼働していないうえ、北部の風力発電施設から南部への送電網建設が住民の反対運動で遅れているためとしている。オーストリアの電力会社は、ドイツからの要請を受け、休止中の火力発電所を急きょ、稼働させて対応したという。

言いたいことはいろいろあるがこの記事をまず乗っける。ハルムス議員はこのニュースを知らなかったのだろう。
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Unknown (Yoshi)
2012-02-02 09:22:09
>言いたいことはいろいろあるがこの記事をまず乗っける。

いいんですよ。おそらく今のシステムしか考えられない方々や、現状に満足しておられる方々、現状を維持することによって利権を得ている方々は、さまざまな理由をつけて脱原発など無理だといい続けるでしょう。別に、私は構いません。

日本のstatus quoをそのまま維持していくのであれば、おそらく脱原発も省エネも何も達成できないでしょう。2030年にそれまでの20年を振り返って「失われた20年」とか再び呼ぶことになるのでしょう。そうしたければ、どうぞご自由に。

しかし、そうではなく今の時点で2020年、2030年の日本をイメージし、このような社会がほしい、というビジョンを描き、再生可能エネルギーをどれだけ導入したいという目標をしっかり設定し、そのために毎年どのような中間目標を達成していき、その達成のためにはどのような政策が必要なのかを議論していけば、大きな変化を起こすことも可能でしょう。それが信じられない方、もしくは、そもそもそのような変革を求めない方は、勝手にやっていただいたらよいと思います。

大きな目標を打ち立てたドイツが、2022年までにどのような実行力を見せてくれるのか、私は期待したいと思います。それと同時に、それをただ傍観しているのではなく、日本でも似た挑戦を行っていく動きに、私は協力していきたいと思います。
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Unknown (Yoshi)
2012-02-02 09:31:37
>脱原発のドイツ 電力不足でオーストリアからも電力支援を受ける

ドイツは日本とは異なり、隣国と送電線で結ばれているため、国境を越えた電力の売り買いが全く無いということはそもそもありえない話でしょう。一年を通して、あるいは一日を通して、電力が国内で余れば輸出するし、足りなくなれば輸入する。ハルムス議員もそれを前提として話をしているでしょうし、私もそれを承知の上で紹介しております。

ここで重要なのは、一年を通して見たドイツの電力需給が、果たして脱原発を選んだことによってマイナスになったかどうか、ということでしょう。私がハルムス議員の話を聞きながら理解したのは「脱原発を選んだことによって、それ以前と比べて電力需給の状態がマイナス側に動いた、という傾向はこれまでのところ見られない」ということです。

指摘のニュースの詳細については知りませんが、季節的な電力の供給不足もしくは需要超過を理由とした電力の輸入は、脱原発を選択する以前の段階でもやっていたことでしょう。
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主張の違い (coj21)
2012-02-02 22:20:01
私は、ただ賛成できないところがいくつかあるだけです。ただ、それだけなのに主張が違うというだけで平然と他者を見下す発言をして恥ずかしくないのか?
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Unknown (coj21)
2012-02-05 22:56:33
>季節的な電力の供給不足もしくは需要超過を理由とした電力の輸入は、脱原発を選択する以前の段階でもやっていたことでしょう。


それなら、何故、我が国のマスコミで取り上げたのでしょう?脱原発とは無関係で「よくあること」ならば我が国のマスコミがわざわざ『脱原発のドイツ』と見出しをつけて報道するとは不自然だと思うのですが・・・
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Unknown (Yoshi)
2012-02-05 23:18:59
ドイツのエネルギー問題は、最近注目を集めた話題であるので、その一挙一動にメディアが注目しているのだろう。日本でも新幹線トンネルの内壁崩落事件に注目が集まれば、その後、しばらくは以前であればニュースにならなかったような小さな崩落もメディアは流すだろう。

個別のニュースが長い目で見た場合にどのような意義を持つのかは、ある程度時間が経ってから判断すべきこと。そして、それはニュースの読み手が自分の頭で行うというのが、メディア・リタラシーだと思う。メディアが取り上げたから大事件というのは短絡的。
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