10月の最初の土曜日はAlla helgons dag(諸聖人の日)。AllhelgonadagenともAllhelgona(11月1日)とも呼ばれる。(細かな違いについてはコメント欄に頂いたコメント参照) キリスト教では、中小様々な聖人を祀る日らしい。しかし、キリスト教が伝播する以前、ケルト人たちにとっては亡き先祖を祀る日でもあった。このケルト人たちの伝統が、キリスト教化したゲルマン人に取り入れられる形で融合し、今日のスウェーデンでは先祖を祀る日として知られている。(アメリカでは同時期にハロウィーンがあるが、これもこのケルト人の伝統が起源だとのこと)
死者の魂は、夏の終わりと冬の始まりの間に、再び家へ戻ってくると考えられた。家へ無事たどり着くためには道しるべが必要であり、そのために松明やろうそくを燃やす伝統があったという。今でも、お墓にろうそくをともしたり、花やモミの枝飾りでお墓を飾り立てて先祖を祀る。だから、この土曜日に墓地を訪れると、辺りは一面、ろうそくの火で一杯になっているのだ。日本のお盆と通じるところがあるかもしれない。
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私が訪れたヨーテボリ市内の大きな墓地も、一面にろうそくの火が見渡せた。訪れる人の数も多かった。その巨大な墓地の一角に、ひときわ明るい場所があった。誰か個人の墓ではなく、墓石もない。しかし、たくさんの花飾りやろうそくで埋め尽くされていたのだ。
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実はこれは「Minneslund(ミンネスルンド)」だった。「Minneslund」とは「無名墓地」とか「集団墓地」と訳されるのだろうか? 普通の墓のように骨壷を埋め(もしくは土葬をし)自分や一家の墓石を建てるのではなく、火葬の後、墓地の一角の決められた場所に他の人と骨と一緒に納骨、または散骨する。個人としての墓石は建てないし、納骨・散骨の際には身寄りの立会いは禁止されているので、特定の個人の骨がどこに埋まっているのかは分からない。その人の死後、家族は「Minneslund」に設けられた共同の祭壇や墓標に対してお墓参りをすることになる。そのため無名(anonymous)であり、集団(collective)の墓地なのだ。
(「minne」とは“記憶”であり、「lund」とは“茂み・林”の意(おそらく“大勢の霊の集まり”という意味で)。よって、「記憶の茂み」とか「追憶の茂み」と訳したら雰囲気が出るだろうか?)
亡き人と、その人を敬う人との間の個人的な関係は薄れる。一方で、見知らぬ大勢の人の霊とともに祀られるので、いつまで経っても見捨てられることはない、と考えることもできる。「Minneslund」はその墓地を管理する教会や市が、責任を持って手入れしてくれる。そのため、人によっては、自分の死後にわざわざ墓石を建てて、自分の身寄りに定期的に手入れをしてもらう煩わしさを嫌ったり、長い歳月の後、放置されてしまうことを心配したりする理由で、「Minneslund」への納骨・散骨を選ぶ人もいる。または、他人と連帯・共同、すべての人の平等性という点に着目して、ここを選ぶ人もいる。生前の段階で、自分の身にもしものことがあったらどのように葬儀をして欲しいか、臓器移植の可能性なども含めて意思表示をしておくのだ。
タイプはその墓地によって様々のようだ。骨壷に入れたまま納骨するところもあるし、地表下に散骨するところもある。また、そのMinneslundに祀られている人々の名前を石碑に刻銘しているところもある。
山や海などの自然に散骨する自然葬と、個人としての墓石を建てる一般的なお墓の中間と言えるだろうか?
いつもお世話になっている東京のKyotonC先生によると、スウェーデン(北欧?)ならではの珍しい墓地だとのこと。
死者の魂は、夏の終わりと冬の始まりの間に、再び家へ戻ってくると考えられた。家へ無事たどり着くためには道しるべが必要であり、そのために松明やろうそくを燃やす伝統があったという。今でも、お墓にろうそくをともしたり、花やモミの枝飾りでお墓を飾り立てて先祖を祀る。だから、この土曜日に墓地を訪れると、辺りは一面、ろうそくの火で一杯になっているのだ。日本のお盆と通じるところがあるかもしれない。
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私が訪れたヨーテボリ市内の大きな墓地も、一面にろうそくの火が見渡せた。訪れる人の数も多かった。その巨大な墓地の一角に、ひときわ明るい場所があった。誰か個人の墓ではなく、墓石もない。しかし、たくさんの花飾りやろうそくで埋め尽くされていたのだ。
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実はこれは「Minneslund(ミンネスルンド)」だった。「Minneslund」とは「無名墓地」とか「集団墓地」と訳されるのだろうか? 普通の墓のように骨壷を埋め(もしくは土葬をし)自分や一家の墓石を建てるのではなく、火葬の後、墓地の一角の決められた場所に他の人と骨と一緒に納骨、または散骨する。個人としての墓石は建てないし、納骨・散骨の際には身寄りの立会いは禁止されているので、特定の個人の骨がどこに埋まっているのかは分からない。その人の死後、家族は「Minneslund」に設けられた共同の祭壇や墓標に対してお墓参りをすることになる。そのため無名(anonymous)であり、集団(collective)の墓地なのだ。
(「minne」とは“記憶”であり、「lund」とは“茂み・林”の意(おそらく“大勢の霊の集まり”という意味で)。よって、「記憶の茂み」とか「追憶の茂み」と訳したら雰囲気が出るだろうか?)
亡き人と、その人を敬う人との間の個人的な関係は薄れる。一方で、見知らぬ大勢の人の霊とともに祀られるので、いつまで経っても見捨てられることはない、と考えることもできる。「Minneslund」はその墓地を管理する教会や市が、責任を持って手入れしてくれる。そのため、人によっては、自分の死後にわざわざ墓石を建てて、自分の身寄りに定期的に手入れをしてもらう煩わしさを嫌ったり、長い歳月の後、放置されてしまうことを心配したりする理由で、「Minneslund」への納骨・散骨を選ぶ人もいる。または、他人と連帯・共同、すべての人の平等性という点に着目して、ここを選ぶ人もいる。生前の段階で、自分の身にもしものことがあったらどのように葬儀をして欲しいか、臓器移植の可能性なども含めて意思表示をしておくのだ。
タイプはその墓地によって様々のようだ。骨壷に入れたまま納骨するところもあるし、地表下に散骨するところもある。また、そのMinneslundに祀られている人々の名前を石碑に刻銘しているところもある。
山や海などの自然に散骨する自然葬と、個人としての墓石を建てる一般的なお墓の中間と言えるだろうか?
いつもお世話になっている東京のKyotonC先生によると、スウェーデン(北欧?)ならではの珍しい墓地だとのこと。
僕も3日の夕方に、近くの教会の墓地に行ってみたのですが、ろうそくが灯されていてきれいでした。それで、疑問に思ったのが、スウェーデンではこの日が本来の意味と違う先祖に祈る日になっているかということでした。僕の中では、プロテスタントでは祖先崇拝はしないという認識があったのに、なぜスウェーデンではこのような伝統が定着したのか、そこが疑問で自身のブログにも書いたところだったのです。
Yoshiさんのブログを見たらなんとなくその疑問が解決しました。やはり、キリスト教以前の習慣だったのですね。死者の魂が戻ってくるという考え方も、ある意味キリスト教を超越して仏教に近い考え方ので、ちょっと驚きですね。日本人的には理解しやすいですが・・・。
それと、もしよかったらYoshiさんのブログにリンクを張らせていただけませんか?
それではまた。
カトリックでは11月2日が先祖を祀る日のようで、宗教改革によってこれが廃止されました。スウェーデンでは先祖を祀る日の役割は元々は聖人を祀る日である11月1日になったようです。
なお11月1日はAllhelgonadagenで、10月31日から11月6日の間の土曜日がAlla helgons dagと呼ばれる祝日になります。この2つの区別は、私も最近まで知りませんでした。
どうも、アメリカのハロウィーンと同起源のような気がします。キリスト教化以前の信仰や伝統が、その後も人々に受け継がれて残っている、というのはホントに面白いですね。
リンクは自由にはっていただいて構いません。
ご指摘ありがとうございます。
もともと起源は同じであるものの、休日法改正で両者を分けたとのことですね。
ミンネスルンドは日本で、追憶の杜、追憶の木立、追悼の杜などと訳されています。
スウェーデン教会で確認したところ、デンマーク、ノルウェー、フィンランドにもあるようですね。またドイツにはアノニューム墓地(匿名共同墓地)があるようです。
日本では、スウェーデンのミンネスルンドだけが紹介されていますが(わたしもレポートを1本2004年に書きましたが)、もう少しグローバルに、歴史的に、匿名性墓地を研究する必要がありと思っています。