スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ポルタヴァの戦い (3)

2009-11-01 18:26:35 | スウェーデン・その他の社会
ポルタヴァの戦いから300年経った2009年6月28日、ウクライナの町ポルタヴァでは300周年を記念する式典が開催された。地元の市が計画したこの記念式典にはスウェーデンやロシアから代表が出席し、ロシア兵やウクライナのコサック兵、スウェーデンの兵士の衣装をまとった人々による当時の戦いの再現が小規模ながら行われた。式典の目的はあくまで一つの歴史を振り返りながら、これからの将来に向けて3国が良好な関係を築いていく意思をアピールすることだった。


スウェーデンにとって、この敗戦は遠い過去のことであるため、感傷的に振り返るというような動きは全くない。

一方、ウクライナ人にとっては複雑だ。ポルタヴァの戦いに先駆けてスウェーデンを支援することに決め、ロシアを相手に戦ったコサックの君主マゼーパを祖国の英雄と見る傾向が強いからだ。ウクライナのコサックたちは17世紀半ばにポーランドに対して反乱を起こし独立を勝ち取り、その後、ロシアの影響を排除しようとしてスウェーデンについてロシアのピョートル大帝と戦った。そして、ポルタヴァでの敗戦は、その後1991年にソ連から独立するまでの288年間におよぶ長いロシア支配を意味することになったのである。

1991年のウクライナの独立以降、ウクライナでは民族感情を表立って表現できるようになった。ソ連時代には、スウェーデン国王カール12世を「敵」としか見なせなかった。マゼーパにしても、あくまで「裏切り者」だった。しかし、現在ではカール12世を中世後半から近代にかけてのロシアの拡大に真っ向から挑もうとした最初のヨーロッパ君主だと讃える見方もある。だから、彼らにとっては「ポルタヴァでの敗戦はウクライナにとっては悲劇となった」というわけだ。

他方で、ウクライナ人の3分の1ほどはロシア系もしくは新ロシア派であり、ポルタヴァの戦いにおける「勝利」という側面をむしろ強調したかった。だから、この式典に際して新たに建立されることになったカール12世のブロンズ像には強く反発している。

2004年を振り返ってみれば分かるように、ウクライナでは大統領選挙の時に新ロシア派のヤヌコヴィッチ親EU派のユシチェンコが対立し、「オレンジ革命」と称される激しい政争が繰り広げられた。それに最近も、ロシアからのパイプラインによるガス供給を巡って、ウクライナとロシアは険悪な関係にある。だからこそ、現在の政治的な争いが、300年前という遠い過去に起きた歴史的な出来事の解釈にも影響を与えている。

しかし、考えてみれば、スウェーデンの当時の国王カール12世が意図していたのは、ロシアをいかに倒すかということであり、そのためにウクライナのコサックを利用したに過ぎない。ウクライナ人に自由と独立国家を提供しようなどという意図はこれっぽっちもなかっただろう。マゼーパにしても、ウクライナ人に自由を!いうよりも、自分の権力の維持が専ら念頭にあったのだろう。だから、後世の人々が激しい感情移入による勝手な解釈を加えて、歴史を現在の政争に用いようとするのは滑稽といえば滑稽だ。

300周年記念に際して、親EU派であるウクライナのユシチェンコ大統領は「300年前にウクライナとスウェーデンの間で結ばれていた同盟関係を私は記念したい」と発言していたという。これに対して、スウェーデン政府や外交官は「私たちが記念したいのは、あくまでポルタヴァの戦いという歴史的事実だ」と述べて、ウクライナの民族感情に同調するつもりはないことをはっきりさせていた。