上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

大企業病?甘い甘い

2010年07月20日 | 日記
先日某所で、中国の政府系企業が大企業病に罹っているのではないかという指摘を頂いたのですが、 日本でよく云う所の大企業病とは次元が全然違います。

小平氏が改革開放政策を実施する以前の資本の国有、全企業の国営という全労働者国家公務員状態、官僚社会の究極の姿が共産主義社会でした。
国営の人民公社にはサービスやホスピタリティの概念は無く、鉄碗飯で死ぬまで衣食住を保障された両親を見て育った家庭からは、他人に奉仕する心など微塵も育ちません。
こんな社会で大企業病?とっくに全員罹っています。
改革開放で企業や社会の構造が変わっても、幼少期からこんな社会環境で育った庶民の意識はいきなりは変わりません。
今でも、ローカルのスーパーや特権を維持した役所に行くと、日常的に目にする事が出来ます。
彼等にとって、面倒臭いと何でも「無い」で済ませようとする行動が基本動作です。
つまり、中国社会全体は大企業病どころか、更に酷い怠け病に罹ってきました。

では何故そんな中国社会が成長出来るのか?

そもそも中国社会の伝統的且つ基本的な精神は、持てる者への嫉妬と自己欲望実現第一です。
最終的には、欲望が無気力を凌駕する社会。
非常に荒涼とした世界ですが、大陸の厳しい自然環境にはマッチしているともいえます。
そして嫉妬とエゴの究極の形態は、無慈悲な競争原理です。

他人を出し抜き、格差を付け常に自分が前に出る。
強烈な競争社会を現出させています。
そしてこの競争力は、驚くべき勢いで変化をもたらし続けます。

その影には、変化を牽引し、面倒臭がり言い訳する民衆の尻を引っぱたく督戦隊の役割を務める、党幹部、党委員がいます。
常に強制力(時には生命与奪権)を行使して、嫉妬とエゴと怠惰の塊である人民を先へ先へと急き立てて進ませるのが党の役務です。

応老師という老党員を隣で直に見ていると、人生の大半を新技術への挑戦と、生徒への叱咤激励に費やして来た事がよく判ります。
社会指導者が冒険者且つ教師で、強制力を持つ社会。
中国の経済構造は変化しても社会体制は変更していません。

強権的な政治システムが、停滞した社会の急成長には不可避なのかもしれません。
(やりすぎるとクメールルージュやゲシュタポになってしまうので注意が必要ですが、独裁体制が経済政策を効率的に推進できることは事実でしょう。 しかし、私には中程度の経済状況を維持する緩やかな複数政党体制が平和な日本にマッチしている気がするのは何故でしょうか。)

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第三企画室、出動す ボスはテスタ・ロッサ

2010年07月20日 | 日記
明後日用の講演原稿からの逃避の為、阿川大樹さんの小説を読んでいて思い出した言葉。

「東、辞めへんでもええんやで。ここは一生居られる会社やから。」

今から15年前、直属の上司では無かったけれど、YRLを去る時に、某課長が掛けてくれた言葉。

YRLを辞め、レッズ(というか蘆田氏と岡本氏)に合流する事に踏み切ったのは、当然フィギュア・オタク市場の可能性や、趣味を仕事にしたいと言う欲求や、賞与を貰って踏ん切りが付いた事も有るが、それ以上に直属の上司だったS課長との衝突が大きかった。
横河財閥と富士銀系金融機関との合弁会社という、芙蓉グループでも主要企業(当時は新宿の野村ビルに入っていた)で、30歳中途入社でも肩書きが主任だったから、確かに周囲からは、上司との衝突で辞めるのは勿体無いと見えたのかもしれない。

だが、30歳の私には、「伊東社長の様に実業家に為りたい。何かムーブメントを自分の手で起こしたい。」という衝動を抑える事は出来なかった。
人生の舵を大きく切った瞬間に、そのきっかけを作ってくれたのが、本当に心配して、優しく声を掛けてくれた某課長の一言だった。

その情の有難さと、逆に評価し留意してくれた、某課長の期待を裏切りたくない心が、私を決断させた。

風の噂に横河電機に戻られたとお聞きする、当の某課長とは、その後お会いしていないが、何故か直属上司だったS氏は中国においでになる。

本当に人の縁とは不思議だ。