劇団オムツかぶれ公演
『セイシン』
9/8(金) 観劇
とある精神病棟でのお話。
途中で「あっ」と思う瞬間があり、
そこで視点がガラッと
変わったような気がした。
普段、自分が見ているものは
他の人から見るとどうなのか?
同じではないかもしれない。
確信が揺らぐような感覚になった。
そもそも
人間みな感覚が違うのだから、
同じ物事でも捉え方や感じ方が
違っていても当然なのだ。
けれどそれが
どれくらい違うのか、
多くの人の「同じ」から
どれくらいズレているのか、
かけ離れていたりするのか、
それを客観的に
把握することは難しい。
お互い様ではあるけれど。
その違い、ズレにより
生まれた溝は
時に人と人の間を大きく引き裂き
それぞれに大きな傷も残す。
自分にも身に覚えがある。
それぞれが
特別悪い人間でなくても
起こり得ることなのだ。
それを思うと
やり切れない。
現実の厳しさは
病棟の内側はもとより
その外側にも広がっている。
相容れないものは
共に存在できるのか?
我が身に迫る問題を
突きつけられたような気がした。
それでも自分は
共にありたいと思うし、
誰かを排除したくはない。
そのために
何が必要なのか。
何かできることは?
多くの人が
当たり前と捉えている
世界の方を
大きく捉え直すことが
必要なのかもしれない。
ケアする側される側が
決まっているわけではなく、
誰にでもそれぞれに
必要なケアがあるはず。
それが足りなくても
どこかに余地があれば
何とかバランスを
とれるかもしれない。
けれど今は、
何につけてもギリギリいっぱい。
一度つまずいたら
そこから転がり落ちてしまいそう。
物理的にも心理的にも。
そんなことを
考えさせられた。
自分は生き残りたい。
だからこそ、
皆が生き残る道を探したいのだ。
ただ、
大きな深刻な問題を
こうしたら良いという
答えはまだ見つからない。
けれど
少なくとも今
自分たちを縛るものを
見直すことは
できそうな気がする。
これしかない
と思える足元の道も、
縛りを解けば
歩ける道も広がりそうだから。
………………
舞台上での一連の話について
振り返ってみた。
観客の自分が見ていた
とある場面は
ある人の妄想だった。
再度
その現実の場面を見ることで
ハッと気づかされたのだ。
ある人の視点と
他の人の視点では
見え方がガラリと違っていた。
実際の違い以上に
感覚的な違いが
自分にとっては大きかった。
見え方が変わると
劇的に変わることもある。
感覚的なものが
プラスに働くこともある。
もちろんその逆もあるけれど。
どちらにしても
可能性はあるということ。
道は無いと思っても、
それをひっくり返すような
余地はどこかにあるかもしれない。
そう思うと、
詰まった息が
ふっと抜けるような
感覚にもなった。
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