三女も観た感想もあわせて😊
6/29
青年団+韓国芸術総合学校+
リモージュ国立演劇センター付属演劇学校
『その森の奥』
自然の摂理と分かっても、
人間の尺度や感情で
受け入れられないこともある。
対立する2つが
自分の中でせめぎ合い、涙。
どちらが正しいなんて言えない。
暮らしの中にも、
折り合いが難しいことはある。
最後、みんなで見た虹に
光が見えたような気がした。
………………………
小4娘、青年団作品は
子ども向け以外は初観劇。
一般向け作品は難しいかも…と
躊躇してたが
子どもの反応も良かったとの話を聞き
一緒に観劇することに。
都合で『その森の奥』のみ。
私は先に『カガクするココロ』観劇済み。
設定的には、その森…の方が
三か国語の会話が飛び交い
字幕を含めてやり取りの内容を
把握するのは難易度が高そうだった。
上演時間90分。三女は後半、若干
集中が切れてきたかと思われたが、
後で感想を聞くと以外な答えが返ってきた。
字幕はあまり見てなかったと。
それで内容は分かったのだろうか
という疑問。
けれど、彼女が言うには
表情や動きを見ているだけで
何となく伝わるものもあるのだと。
確かに細かいことは分からないけど、
〈分からないのが楽しい〉のだと。
自分で考えたり想像できるから。
更に言うと
決められたことしか出来ないのは嫌だ、
自分で思うようにやりたい、のだと。
なるほど、最近注意されることが多く(笑)
反抗したくなる気持ちの表れかもしれない。
大人には厄介なことだけど、
これくらいの歳の子どもとしては
自然な反応だろう。
妙に納得。
大人とは違う感覚かもしれない。
やはり多くの大人は、日常生活の中で
限られた時間で効率よく多くのことを
しなければならない。
なので〈分かる〉ことが重要になる。
あれこれ想像したり試行錯誤したり
することを敬遠してしまいがち。
更に娘が話に出してきたのは
以前ノトスで観た
南アフリカの人の舞台のこと。
最初に日本語で説明は入るが、
本編はすべて外国語。確かに…
言葉に頼らないタイプの作品ではあった。
見ているだけで伝わるような。
けれど、言葉が分からない以上
表情、動き、あらゆるものから
感じとろうと感覚を働かせることになる。
言葉が分からないのに伝わる感じが
いいなと思ったらしい。
その舞台は私も一緒に観ていたので、
分かるような気がした。
言葉は便利で大事にしたいものだけど、
きっと、それだけじゃない。
娘との話で、改めて気付かされた。
……………………
『その森の奥』も『カガクするココロ』と
舞台は同じセットで、
猿の研究者などが集まる場所。
語られる話は違うけれど。
互いに翻訳機を持っている。
首から提げた機械から
相手の言葉を聞き取り、
耳にかけた機械で翻訳した言葉を
聞いているようだ。
三か国語なので、
字幕を見ていると割と忙しい(笑)。
それに加えて、
若干、かぶって言葉が発せられるので
それにあわせた字幕のタイミングでもある。
途中からは、じっと読むというより
俳優の表情や動きも含めて
ざっくり見る感じになっていた。
なので個人的には、集中というより
飛び交う話を眺めている感じに。
それが、あるところから
ぐっと集中度が増していった。
新しく来た女性の研究者が
自閉症の我が子のためにも
やりたいという研究の話に
なったところ。
その研究は、果たして許されるのか。
難しい。
そして別の
猿の観察の話で、猿の子殺し。
自然の摂理だと理屈では分かっていても
人間の感情として受け入れ難いこともある。
研究者としての立場はあっても、
我が子を亡くした後であれば
心が揺れてもおかしくない。
二人の対立するやり取りを
聞きながら思った。
どちらか、なのか?
どちらかが正しいのか?
そうではないはず。
これは人間同士でも
いえることではないだろうか。
人種、国、地域、
ひょっとしたら家族であっても。
それぞれに言い分はあるだろう。
一理あると理解できても
自分に関わることになると
手放しで受け入れられない場合もある。
否定するのは簡単だ。
見てないふりをすることも。
受け入れ難いことと
どう折り合いをつけるのか。
現実の身近な問題でもある。
向き合う限り、
永遠に課題は無くならない。ただ、
傷つき、葛藤する者に
雨上がりの虹のような
思いがけないご褒美があればいいな、
と思った。
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