藤沢周平全集 第二十二巻 文芸春秋 H18年発行は、「三屋清左衛門残日録」と「秘太刀馬の骨」が掲載されている。その解説に向井敏氏が書いているこから一部引用する。
“・・・かつて、藤沢周平は、「時代小説の可能性」と題する随想(s54)の中で、時代小説と、「従来の価値観が収拾しがたいまでに分裂してしまって、何を信じていいのかわからないといった今日的状況」との関係に触れて、「時代小説は、今日的状況をカバーし切れない。しかし、それでは時代小説は、現在の、述べたような状況に対して、何の発言も出来ず、いわゆる娯楽作品として、状況の外に、あたかも骨董品のように位置するいしかないのか」とみずから問い、「そんなことはあるまい」と答えている。
時代や状況が超えて、人間が人間であるかぎり不変なものが存在する。・・・
今日の価値観の混乱にしても、歴史をふりかえってみれば「いまにはじまったことではない」という事情に思い当たるはずだと述べたのち、彼はさらの語を継いで、何をどう描けば時代小説が今日的状況に相渉ることができるかという問題にさぐりを入れていく。
だが人間の内部、本質ということにと、むしろ何も変わっていないというのが真相だろう。どんな時代にも、親は子を気づかわざるを得ないし、男女は相ひかれる。景気がいい隣人に対する嫉妬は昔もあるし、無理解な上役に対する憎しみは、江戸城中でもあったことである。
愛憎、恩讐、嫉妬、自尊、そして色欲から権勢欲にいたるさまざまな欲望。千古変わらぬこうした情念や欲望にそそのかされて右往左往する人間のいとなみを浮びあがらせ、そうすることで遠い昔の人間と今日のわれわれとのあいだに橋を架ける。“
まさに万葉集もしかりである、古今東西人の心の根底は一向に変わっていないのである。宗教や政治思想や教育が、人の心をひどくゆがめてきて、前述の「何を信じていいのかわからないといった今日的状況」をいつの時代にも認識させられるのである。