12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

地球にやさしく財布にやさしく

2009年12月28日 08時15分13秒 | Weblog

 先日、電気湯沸かし器(飲用のポット)が二度目の故障を起こした。購入後3年目で一度上蓋部分の電子部品をごっそり交換し、今度は6年目で電気回路部分に水が入り漏電警報が出た。

5年保障も切れてしまったので修理もせず、その上新規購入を見送り、どこまで無しで過ごせるか実験中である。(最近の家電製品は実に故障が多い、毎度頭にくる)

意外なことに、代替手段が幾つもあるのである。その一つは、ガスコンロに薬缶をかけて沸かす従来の最も普通の方法。その次は、電子レンジで湯飲みなどを沸かす方法。どちらも冷水から沸かすので数分かかかるが、それでも慣れるとそれほど不自由を感じない。

 ある雑誌に「あっても足りない人、なくても幸せな人」という名言が載っていた。便利さ効率性などを重視した時代から、「ちょっと昔のやり方に戻る」だけで「なくても幸せな人」なれる時代で、なんだか気楽なエコな生活が出来そうに思えてきた。

偶然に湯沸かしで「ちょっと昔のやり方に戻る」事の価値を発見したのだが、あちこちにこんなヒントがありそうである。

 特に我々は時間的なゆとりが大きい、多少効率が悪く時間が掛かろうとも十分に辛抱できる身分である。

半世紀以上前の子供のころの生活を思い出し、日常生活にそのやり方を試してみることが出来るのは高齢者の知恵とでもいうべきだと思う。

追記;
洗濯物の外干しは目の前に出てくるとやはり気持ちの良いものではないが、地方に住む身では、外干は普通のことである。しかし、日本でも都会では見ることが少なくなった。

昨日のニュースで、洗濯物を電気乾燥機から「外干」に戻そうとする米国の人たちの運動を見たが、多くの住民の抵抗は思いのほか大きいようで、外干に戻すのは一筋縄でいきそうにない感じであった。

単に、過去に戻すだけでなく、もうひとひねり必要なようである。