コンスタンティヌスの人物歴は、古代ローマ帝国の衰退の歴史に重なる。紀元312年、コンスタンティヌスはローマに進撃中だった。 ローマには政敵のマクセンシウスが待ちかまえていた。
コンスタンティヌスの軍勢は、3万。ガリア、ゲルマニア、ブリタニアの勇猛な兵士たちは長い行軍に疲れ果てていた。 攻撃の対象は、千年の帝国を標榜するローマ。
マクセンティウスは鉄壁の要塞と15万の兵士を抱えて、コンスタンティヌスの、わずか3万の軍を迎え撃とうとしていた。 誰の目にも、いや攻撃軍の将コンスタンティヌスにしてから、この進軍は不安に満ちたものだった。
ローマを目前にして、ガリア・ゲルマニア軍団は評議を開いた。そのときの結論は、奇蹟が起こらなくては、ローマには勝てぬ、というものだった。
幕舎に戻ったコンスタンティヌスはしばらく仮眠をとり、夕日を浴びるテントの外に出た。地上を赤く初める夕日の残照に見とれ、ふと気配を感じて、振り向いて東の空を仰いだ。
すると、暗くなりゆく空に、黄金色の十字の印がくっきりと浮かび上がっていた。ここまでは、光と雲のいたずらで、しばしば起こる可能性のある天然現象だ。
しかし、コンスタンティヌスはこの天然現象のなかに、文字をはっきりと読んだ。十字架の上の空に「In hoc signo vinceイン・ホク・シグノ・ヴィンケ(汝、この印にて勝て)」と書かれていた。
これこそ奇蹟だ。十字といえば、キリスト教の印ではないか。 コンスタンティヌスは、この奇蹟を直ちに全軍に取り入れた。全軍団の旗や楯、馬具などに、十字の印を付けることを命じた。
全軍は一夜にして、キリスト教徒の軍団に変貌した。 奇蹟(十字架)の加護を受けた、ガリア・ゲルマニア軍団は、マクセンティウスの大軍団を、まさに奇跡的に破壊し、ローマ入城を果たした。
マクセンティウスの暴政に疲れ果てていたローマ民衆は歓呼し、コンスタンティヌスを受け入れた。暴政は去り、ローマに本来の元老院による政治が戻ってきた。
コンスタンティヌスはキリスト教を初めて認めた統治者となった。紀元313年、キリスト教を公認するミラノ勅令を発布し、キリスト教がローマ帝国の礎となった。
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